2007.08.14

訃報 吉川文夫 先生

休眠中の当blogでもこの記事だけはどうしても取り上げなければいけません。

タイトルのように鉄道友の会の副会長をなさり私が編集した「江ノ電写真集」をお書きになった吉川文夫先生が11日お亡くなりになりました。詳しくはここ

mixiでそのことを知り愕然です。お体を壊されたことは知っていましたがお亡くなりになってしまうとは。大変きっぷのよい方で「写真、なんだったら全部持ってってさ、適当に並べて返してよ」と言って大きな箱を渡してくださり「なくなったらさ、それはそれでいいよ」と笑ってお話なさいました。

私の場合は鉄道出版は本当に最近お手伝いをはじめ、かつ専門出版の皆様とは違った道筋から入ったものですからお聞きすることが全然違っていたようで、けっこう色々お話をうかがえました。

ある日のことです。かねてから鉄道趣味は年齢の二極化と大先輩方の後に続く先輩方の数が少なく、趣味の継承が難しいのではというお話をしたところ「私もそう思う。だから頑張ってほしいのだ」と力強くお話なさいました。

出版社がいい加減で、資料を返そうともしないので激怒し、自ら乗り込みなかば泥棒のような形で資料を取り返してお返ししました。まだお元気だった昨年12月16日のことです。開口一番「オタクも大変だね。俺はさぁまだ良いけど・・」と明るくお話されたことを覚えています。帰りは門前まで送ってくださり「元気で頑張ってよ」と声をかけてくださった、そのお姿が最期でした。私にはまだその姿がしっかりと記憶に残っています。

鉄道趣味、とりわけ路面電車や地方ローカルという分野を開拓されたことは今を持っても大きいです。蒸気機関車、特急列車の研究は進んでも路面電車の研究をなさったという方は当時はあまりいらっしゃりませんでした。また吉川さんは永福町の生まれ。帝都の電車もたくさん写真に撮られています。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

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吉川さん宅より駅への帰宅途上。バスがあいにく行ってしまったため徒歩で鎌倉駅まで。見かけたレトロなお店。

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2007.06.07

blog 無期限休止のお伝え

本blogをお読みの皆様へ

2003年より本blogにご支援ありがとうございました。ここ2年は更新度合も遅くなり、また満足なコメントもお返しできない日々が続き申し訳ありませんでした。

更新できない理由の一つとして「鉄道に乗る機会が減った」ということがあります。なのでどうしてもネタ拾いができなくなってきています。加えて本業や他の仕事やNPO関係で時間が割かれてどうしても鉄道に対しての時間を取ることができません。

今後、今以上に趣味に割く時間が減ってしまう現実を鑑み、当面blogの更新を止めることにしました。当初は看板も下ろし閉鎖も考えたのですが「必ず帰ってくる」という決意の表れとしてここに残骸を残すこととします。

仕事にNPO、なぜ打ち込むか。それはすべて生活のためであります。2003年あたりから激変した自分たち夫婦の生活、共稼ぎでも追いつかない現実が目の当たりにあります。目をそらしていた2004年、そして悩んだ2006年。

決めました。何かを得るためには何かを失わなければならない。残念ですがblogとその仲間を一時的ですが失います。mattohさんに続く老舗鉄道blogの意地があったのですが、意地でメシは食えないと感じております。

頑張って必ず帰ってまいります。

今までありがとうございました。そしてしばしさようなら!

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1月に福岡出張で乗った京急

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福岡に着きました

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西鉄の新車にも乗ったよなぁ・・

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さよなら!

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2007.03.16

相鉄が新デザインに

http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiimar304/

によると相模鉄道で創立90周年を記念しデザインの一新を図り車体の塗色を変えるようだ。

対象となるのはおそらく8000系と9000系だと思われる、URLには新塗色をまとった9000系が写っているが、グループカラーのブルーとオレンジをあしらった新デザイン車両を二十二日から導入する模様だ。

2010年にはすべて塗り替えるようである。また新デザイン導入を記念し、22日に車両の撮影教室を開催するほか、撮影会を行う。撮影教室は先着20人で参加無料。いずみ野駅に停車している新デザイン車両を撮影する。日本鉄道写真作家協会の会員が撮影のポイントを指導する。

 撮影会は11:30から15:00までで、同駅に停車している新デザイン車両の撮影ができる。参加費は無料。撮影ポイントの指導というのは珍しい。

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2007.02.09

生活情報センターが破産

昨年いくつか出した本の出版元「生活情報センター」が2/5に破産しました。

私は原稿料が未払いになってしまいました。大変困っております。
実は危ない噂は秋口から聞いており、各先生方に借りた写真の所在が危ないと感じて昨年末までにすべて返却しておきました。なので写真に関しての実害はないのですが、別口の先生方で被害にあわれたかたもいらっしゃると聞きます。

リンクを削除しています。まったくふざけた会社で怒っております。

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2007.02.06

南武線 新駅は「西府」に

かねてから新駅の予定があったJR南武線、分倍河原ー谷保の新駅が「西府」(にしふ)となった。私が府中に住んでいたころから「いつかできる」と言われていた駅がようやくできる。

この西府、ちょっと変だが、おそらく「西府中」の頭二文字を取ったのだろう。実際、現在の府中市は西府村、府中町、多磨村が合併してできたものだからだ。

西府駅は長い間「仮称 本宿駅」として地元では言われていた。ただ駅の上を走る甲州街道にかかる橋が「西府橋」であるから、私は西府という駅で良いと思う。

あまり目立った特徴はないが、付近には公立では異例のラグビーの強い学校、都立府中西高校が、そしてあの「スカイラーク」の1号店がある(現在はガスト)

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2007.02.04

「melonpanのつぶやき。」さん主催の都電貸切オフが開催されます

私のブログと相互リンクをしているKaz-Tさんのご友人melonpanさん(一度オフでお会いしています)のblog「melonpanのつぶやき。」で、オフ会を開催することになりました。今回、私もその主旨に賛同して協賛させていただくことになりました。

以下、melonpanさんのブログ記事(最新の情報については、このリンク先からご確認下さい。)を引用致します。なお、敬称等一部文章表現については、最適化しています。

「都電貸切オフ開催!」

日頃から当ブログをご覧頂きまして有難うございます。当ブログも一昨年の2月12日に開設以来約2年が経過しようとしています。今まで相互乗り入れを行っている各ブログにて開催されたオフ会に参加または協賛ということは今までありましたが、今回は当ブログ主催にて都電貸切をメインとしたオフ会を開催致します。

また、今回のオフ会では下記の方々の協賛を頂くことになりました。ありがとうございます!(順不同です)

さすらい館Returns(管理人:さすらいの8143様)
栃木路快速 Tochigiji Rapid Service(管理人:栃木路快速様)
red star's Blog(管理人:red star様)
Metropolitan Travel(管理人:和佐様)
鉄道少年の唄(管理人:でんしゃ様)
Kaz-T's blog レインボーライン(管理人:Kaz-T様)
びんいちのきままな日々(管理人:びんいち様)

概要は以下のとおりです。

1.概要 都電荒川線を貸切乗車し、ブログ運営者の方々をはじめとしたレールファンの集いとする。

首都圏に残る貴重な吊り掛け車両の一つとなった都電荒川線に残る7000型のうち、更新当初の黄色い塗装に直された7022号を使用する予定です。

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今回のオフ会で貸切る予定の都電7022号 (東池袋四丁目で撮影)

なお、都合により7022号以外の車両に変更となる場合もありますので、あらかじめご了承下さい。

2.開催日:平成19年4月21日(土曜日)

3.開催概要
  3部構成で企画しております。
第1部
都電荒川線貸切オフ 三ノ輪橋11:00頃出発→早稲田11:50頃着
 
片道貸切での乗車となります。なお、なるべく車内での飲食はご遠慮下さい。
ご持参されたペットボトル飲料程度はOKです。

第2部
ナイアガラ カレーツアー 13:30頃より予定
  
鉄道ファンに有名なカレー店での昼食会と致します。
なお、早稲田到着後、現地(最寄:東急東横線祐天寺駅)までは各自自由行動と致します。

第3部
都内某所にて懇親会を開催予定 こちらは開催地未定です。
18:00頃から開催予定ですので、第2部終了時点で一旦解散とさせて頂き、現地までは各自お越し下さい。3月18日のダイヤ改正以降の鉄巡りなど、各自でお楽しみ下さい。
集合場所・集合時間等は今後決定させて頂きます。

4.参加費用について
第1部につきましては乗車人員によって多少増減致します。
あくまで目安ですが、1500円~2000円程度を予定しております。
なお、第1部に乗車された方には主催者より参加記念品をご用意する予定です。
  
第2部に関しましては各自それぞれお支払い頂き、
第3部に関しましてはワリカンでのお支払いを予定しております。

5.お申し込み方法
melonpanoff@yahoo.co.jp まで(迷惑メール対策で@を全角にしておりますので、半角に変えて下さい)メールを送付下さい。
その際、メールは以下の書式でお願いいたします。

・件名を「都電オフ会申し込みの件」として下さい
・本文には氏名、ハンドルネーム(ある方のみ)、メールアドレス及び
 携帯電話番号(緊急連絡時に使用のため)を御記入ください。
・今回は3部構成ですので、第何部に参加ご予定か、その旨もご記入下さい。もちろん全部ではなく、一つだけでのご参加も歓迎致します。
 なお、中高生の方は第1部・第2部のみとさせて頂き、第3部の参加はご遠慮下さい。参加頂ける際は、保護者の方の連絡先(ご自宅もしくは保護者の方の携帯電話でも結構です)もあわせてご記入下さい。
・メールを確認後、のちほどこちらから折り返し詳細をお知らせ致します。

なお、頂きました個人情報に関してはオフ会開催以外の目的では一切使用致しません。

6.締め切り
お申し込み締め切りは2月末日です。現在随時お申し込み受付中です。ふるってご参加下さい。 

7.注意点
未成年の方のご参加も歓迎いたしますが、保護者の方の承諾を得てください。こちらから保護者の方による同意の旨を確認させて頂く場合があります。ご確認が取れない場合、御参加をお断りすることもあります。

8.今後変更など、ご連絡事項についてはこの記事を更新致します。

御意見・御要望は、コメント欄もしくは「5.お申し込み方法」に記載のアドレスまでメールにてお願いします。

私、SATOは保存品の中から都営6号線と書かれている営団時代の路線図、ならびに新玉川線開業直後の駅時刻表を参加者の皆様へ枚数の許す限りプレゼントの予定です。どうぞふるってのご参加をお願いいたします。

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2007.01.02

これから韓国へ

2005年の正月以来2年ぶりの訪問、5日までの旅行です。

最近は現地からもメールチェック他出来て便利になったものです。
もし画像アップができるようなら挑戦してみます。

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まだ残っているか。2号線のパタパタ

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2006.12.24

JALの戦略? Suicaに続きPASMOも射程圏内に

いろいろblogを見てみたが書かれていないので

1枚でJALのマイレージサービスと小田急のポイントサービスをご利用いただける提携クレジットカード「JALカード OPクレジット」(提携ブランド:JCB)が、2007年4月に新登場します。

JALといえばいち早くSuicaと組みマイルカードを空中戦から地上戦へと下ろした立役者だが、私鉄にもさっそく触手を伸ばしている。まずは小田急からだ。

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経堂に停車中の小田急3000形

ただ、株主の関係(JALと経営統合した日本エアシステム(JAS)は東急の関連企業)で東急との提携カードはすでに出ているが、そこにはPASMOとの連携は書かれていない。実質の第一号はこれだろう。

JALがここで先鞭をつけたからPASMOの市場はもうJALで決まってしまうようにも思う、ライバルのEdyはANAと組んではいるがやはり名古屋中心の展開にならざるを得ない。怖いのはセブン&iの「ナナコ」であるが、ここも現金決裁が中心と思うのでJALの優位は揺るがないだろう。

いずれは各私鉄が自社デパートのカードと組んでの展開になるとは思うが、自社デパートを持たない相鉄や京成の動きを見たい、相鉄は高島屋と組むだろう。京成はあっと驚きの外資か京急百貨店、そして大きなマーケットの東京メトロ、ここを制するのはJALなんだろうか、それとも流通なんだろうか。見ものだ。

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メトロ07系は東西線に移籍の予定、西武の代走をしているヒトコマ

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この会社はどうするんだろう? 横浜高速鉄道

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2006.12.22

ダイヤ改正318

恒例の春のJRダイヤ改正が3/18に行われることになった。私鉄版SuicaことPASMOも同日より利用可能になる。

JR東海は伝統の「東海」(特急)をいよいよ廃止する。かつては名古屋までの急行も静岡まで短縮、そして373を入れて特急にしても利用率は上らなかった。私は静岡まで乗り継ぎ料金割引制度を使って半額で静岡に行くなどで使ったがガラガラ、穴場列車が消えるのは痛い。

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小田原駅にて撮影 上りの特急東海(2004.8.13撮影)

それよりも驚いたのが東京モノレールの改正だ。区間快速という種別を作り快速は「空港快速」と名前を変えて天王洲も止まらずに一気に空港まで走る。まるで開業したときのような停車駅だ。これは昭和島にモノレールでは珍しい「追い抜き」の設備ができることによるもので、京急に速度では押されっぱなしのモノレールもこれで一矢報いたことになる。区間快速は空港近辺を通過するもので、天王洲アイル、大井競馬場、流通センターに止まることになる。1サイクルで空港快速、区間快速、普通と単なる「顔見世」のダイヤではなく本格的な速達運転になる。

詳細

またこの改正、なぜかJR四国が詳しく内容を書いている。貨物まで書くというサービスぶりには頭が下がる。

JR四国のありがたい解説書はここ

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2006.12.03

残った 京王線の出囃子

千歳烏山を出ると快速は八幡山に止まる。2001年の改正で快速停車駅に格上げされた駅だ。京王は発車種別を信号の真下に漢字で出すという凝ったことを昔からしている。この場合は「快」だ

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その撮影をしているさなか、京王が90年代にほぼ全駅に入れ、なかなか好評もその後廃止になってしまった出囃子を聴くことができた。動画を取れるデジカメだったので、録音も兼ねて撮ってみた。

声も90年代のもので変わっていない。どちらかというと私はこっちのほうが好きだ。かつて出囃子は千歳烏山、永山、神泉などあったが、今でも稼動しているのは八幡山と下高井戸くらいだと思う。

やっぱり京王線が一番好きだ。こういう小ネタにも敏感に反応してしまうのだ。

追伸:いい音で聞くならここ よくぞこんな素敵なサイトを作っていただけたと感謝です。聞き比べてみてください。全く同じですよ。「牧場の朝」を選択し「各駅停車」と「新宿」を選べばOK

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受難急行 鐘ヶ淵に止まる

今日は所用があり千歳烏山へ、京王沿線とあればカメラ必至で撮影後渋谷回りで東武伊勢崎線沿線へと出かけた際に出会った大変珍しい光景、それは普段絶対止まらない、いや止まれない急行が曳舟ー北千住を各駅停車で走ったことだ。

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普段どおりの急行 久喜行き 渋谷にて

ここで曳舟に差し掛かったときにドラマは起きた。普段なら横に並ぶはずの「区間**」(この時間帯だと区間準急)が来ていないのだ。「きっとダイヤ改正で接続しなくなったんだろう」と思ったら大間違い、浅草で車両故障を起こして走れなくなったそうだ。

アナウンスでは「これは急行ですが、曳舟ー北千住は各駅に止まります。次は東向島です」とのアナウンス、一瞬信じられなかった。なぜなら急行は10両、曳舟ー北千住は8両しか止まれないと記憶していた。

しかしその後アナウンスどおりに東向島には止まった。

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開いたドアから見える東向島駅と北千住の案内を出す液晶パネル

どうやらここは10連が止まれるようだ。しかし鐘ヶ淵では車掌が「ホーム一杯に止まります、前の車両の人は後ろから降りてください」残念ながら私は最後部車両なので前が締め切りかどうかはわからなかったが、止まった画像は撮影できた。

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非常に珍しい光景

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やっとの思いで北千住に着いた

その後しばらくしてみると問題の車両だろうか、久喜行きが北千住止まりとなり、北千住にいる予備編成と振り替えられた。

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久喜行きだけどここで折り返す

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普通 浅草だが、ここで幕を変えて「区間準急 久喜」となった。ちなみにワンマン仕様車だ

写真を撮るか、鐘ヶ淵の閉切りを見るかで悩んだが、今回は写真を撮った。しかしこういう運用になるのかと初めて知った次第である。

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2006.11.23

書評をいただく

夏に編集をして出した「都電が走った昭和の東京」ですが、鉄道ピクトリアル2007年1月号で和久田康雄さんから書評をいただけました。大変光栄なことです。

本格的な鉄道本の編集でいきなり重鎮の方から書評をいただけるとは思ってもみなかっただけにとても嬉しいです。

今号は急行というマニアックな特集に加え、つくばexpの記事に昨年お世話になった里田啓さんの手記第一回と私も読むところが多いのでさっそく買いました。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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2006.11.11

代走での珍プレー

東京鉄道といいながら、東京雑談言ったまま日記となりつつある最近だが、京王ネタを1つ。

かつてダイヤが乱れたときの代走について書いたが、都営新宿線は先ごろのダイヤ改正で京王が担当の急行は10両、都営担当の各停は8両と編成長で差が出てしまった。

これが以前のように編成に差がなければ単に運用を差し替えれば済むのであるが編成長で差が出るとそうとも行かない。

話は飛ぶが、メトロ有楽町線も同じで西武車は和光市までしか行けないし、東武車は西武の線内には全く入れない。よって運用で乱れが出ると新線も交えて「行けるところまで行く」という流れになり、小竹向原で突然行先が変わるといったことが起きる。

さて、京王の場合はどうか。10両、これが厄介で笹塚での折り返しが難しくなるのだ。私は笹塚まで送った後、桜上水まで回送で行って、そこで折り返して笹塚まで回送かと思ったらあっさり結果は出た。

新宿で返すのだ。

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ぶれているがダイヤ乱れでTKの運番をつけた京王車

新宿では笹塚方に用意された折り返し線に入り、時刻を見て本八幡に戻す。戻った時期が急行の発車時刻と同じなら急行として出して元の運用に戻せばなんとかなるし、無理なら大島で車両交換をするなどの策を取るだろう。こんな技を使うとは現実を見るまで考えられなかった。

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2006.10.22

鉄道Net 勝負の潮目とその後

いつのまにかNet歴も10年となる。Netは進化が速いので10年といってももう大昔のようなイメージだし、その間に様々な出入があった。いくつものサービスが進出し、敗退していったがおおむねの傾向がある。ちょっと分析してみる。

鉄道に関しては10年前は「パソコン通信」と「草の根BBS」がメインでインターネット掲示板はマイクロソフトがMSNで提供していた。そのMSN、最初は強制入会などさせられ金額も高く、サービスは香港にあってたどたどしい日本語でIDの発給などをしていたためかサービスが定着せず、私も数回書いたがなくなってしまった。今では考えられないがNetがパソ通に負けたわけである。

またちょっと高度になるとfjというニュースグループがあった。ここは面白かったがniftyのゲートウエイサービスで利用とやっぱりパソ通の一環で、今の2chの走りみたいなもの。ヌルい発言は徹底的にやられた。ただ、来る人が少ないためかあまり巡回の対象でもなかった。

パソ通はniftyがリードでPC-VANは勝負あった後、peopleは新進という流れで、もし私が15年選手だったすればPC-VANの全盛期を知っていたわけである。

niftyは拡大の一途だった、フォーラムは増え、会議室は増える。スタッフも増え、発言も増えると。ちょっとお手伝いしたこともあるが、一日30発言くらい来るのはザラで、60発言来たなんて日もあり。丁寧にコメントつけていたら2時間経ってしまったなどということもあった。主催者は強気一辺倒で私はどうもそこがなじめずスタッフはすぐに降りてしまった。

敗者のPC-VANは会議室こそあるが発言はメンバーが固定化され、同じメンバーが同じことを書いている、新規が来てもあまりうまく扱えず、すぐに離脱という流れ。「小さいけれども内容が濃い」とか「アットホーム」とかウリを書いていたけれど、やはりその後事業そのものが廃止、残ったメンバーがしばらくは自主的に動いていたけれど今は活動しているのだろうか。mixiで当時のメンバーを見るが・・(ちなみにそのページは残っている)

peopleも同じで、こっちは全盛期を知らない状態だから仲間内の集まりのようなもので、サービスという感覚がない。こちらはプロバイダそのものが消えてしまい同じく最後は自主開催。「だれでも気軽に参加」とか「楽しくやりましょう」と書かれて会議室も一杯あったが1年ほどで撤退している。

勝負の潮目というのはマスコミが簡単に取り上げるというところでまず勝者が決まるようにも思える。niftyの場合はトレインシュミレーターや交友社がスポンサーに付くという段階で勝負に勝ち、他は付かなかった。敗者の傾向も簡単で「やさしい」」とか「誰でも歓迎」とか「小さいからサービスが行き届く」とか差別化のキーワードを出すが、ユーザーには全然それが届かない。やさしくなくてもサービスが少なくても「たくさん会員がいる」が勝者のキーワードのようだ。

mixiがどうやら次の勝者になったようだ。週刊アスキーで「今度のオフについてmixiに詳しくは書きますというメッセージを見て、一つのコミュニケーションツールとして成り立った・・」という行のコラムを見た。事実私もそう思う。

かつて共に楽しんだ仲間がmixiにガンガン入ってきていて往年のやり取りが進んでいるからである。新しい居場所ができたらコミュニケーションの成立は簡単だ、人間が介在しているサービスというのはこういうところが面白い。枠組みをメンバーが取捨選択し、勝ち上がったところに人々は居つくのだ。

さて、敗北をしたnifty、ここも例外なく「やさしい」「誰でも歓迎」と強気の姿勢を変えての再挑戦だが、私が見た範囲では敗北したサービスと同じ道を歩んでいるとしか思えない。どこまで持つか。私の着目点はそこの一点だけである。

一方、自らのサービスを敗者が決まる前に撤退したものがある。MSNもそうであるが、JRが用意した「サイバーステーション」ここはJR直営だけに掲示板もさぞ本格的だろうと思ったが、時代が早すぎた。パソ通全盛でメンバーが居付かず、勝負の前に撤退してしまった。ここの撤退は潔かった。企業が介在するサービスはさすが潮目を読むのが上手い。

さて勝者となったmixi、次はどんな手でメンバーをつなぎとめておくのだろうか。

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2006.10.08

ちょっと待て!

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都営三田線水道橋にて。これはまるでメトロの駅ではないか!

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2006.10.01

長続きしなかったCI

営団地下鉄が東京メトロになって看板表記などが若干変わった。

元々、営団は車輌にせよ表記にせよあまりこだわらない会社だったので、路線や下手をすれば駅ごとに看板が異なることを結構平気で長い間放っておくこともあった。

東京メトロになり「コーポレートカラー」というのが決まり、1つはMマークの水色、もう一つは濃い青(群青)であった。画像の在庫整理をしていたら2004年に撮影したものが出てきた。

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地の色がコーポレートカラー
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駅名標もこのとおり

これは2004年当時は実験的導入だったようで、大手町と銀座でしか見ることができなかった。しかし今年の4月ごろ大手町に寄ったらもうこの地は使っておらず元の白になってしまっていた。そして今日、銀座に行ったら
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この通り、群青は消えてしまった

確かに色合いがあまり地下鉄にはマッチしていなかったので実験導入はしてみたものの、本格導入は見合わせ元に戻したんだと思う。東京メトロはこういう「あっさり捨てる」ことを見事に行う会社だからマニア的には面白い。荻原二郎さんもおっしゃる「出会いは一期一会」 こと東京メトロにはこの言葉が良く似合う。

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2006.09.25

お仕事 vol6 今度は江ノ電

都電に引き続き、今度は江ノ電の本を出しました。題名は「江ノ電写真集」です。

江ノ電写真集
江ノ電写真集
posted with 簡単リンクくん at 2006. 9.29
吉川 文夫編
生活情報センター (2006.10)
通常24時間以内に発送します。

吉川文夫先生のお写真を中心に、都電に続き荻原二郎先生、生方良雄先生に加え、青木栄一先生、長谷川弘和先生のお写真も掲載しています。

またblogでお世話になっている、Kaz-Tさん、TOMOさんのお写真も掲載しております。カラーが多く自信作です。ぜひお手に取ってみてください。

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ちょうど編集をしている頃、Kaz-Tさんと立ち寄った腰越の併用軌道は祭りだった

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発見 タモリ倶楽部は平成の・・

鉄道ネタをときどきやるタモリ倶楽部、私が大学生の頃からやっているからもう20年以上の長寿番組で、コアなファンも多い。

鉄道ネタ以外でも興味深い特集のときがある。「長靴を買う」とか「地震研究所に行く」など覚えている。

もちろん萩原健太氏などを呼んでの音楽色の高い日もあるが、おおむね理科系っぽい造り。先週は製本工場見学だった。

よく考えてみたが、タモリ倶楽部は平成の「はたらくおじさん」ではないだろうか。

はたらくおじさん、30代以上なら社会の時間で1回は見たというNHKの教育番組、働く人の勤労風景や時には手のアップなどを写し、巧みなナレーションでその職業に興味を持たせるという構成だった。1981年に終っている。

タモリ倶楽部はこれをトーク番組にしたもの。だから中年以上がつい見てしまうのだ。NHKの教育は叩かれることの多い局で、いずれは廃止などとも言われているが、今もなお良質なカルト番組を作る数少ない局なので、私はずっと残って欲しい。

民放のバカなお笑いタレントが内輪話をするくらいなら「ピタゴラスイッチ」でも見て出直せと言いたい。

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2006.09.19

飛行機の思い出と YS11 素敵な展示会と講演会

乗り物ということで鉄道のカテゴリに入れました。

私は鉄道の次に好きな乗り物はと聞かれれば即座に「飛行機」と答える。そのくらい飛行機も好きだ。
飛行機、まだまだ高価だった子供時代、全く乗る機会はなかった。父親が出張でよく乗ったと聞き、いつもうらやましいと思っていた。結局親の金で飛行機は1回も乗ることなく過ぎてしまった。

はじめて乗ることができたのは大学1年のときである。友人たちと八丈島へ出かけた際、帰りが飛行機だった。乗ったのはタイトルにもあるYS11、当時は「何だプロペラかよ」とバカにしていたが、今となってはこの貴重な体験ができたのは嬉しい。飛行機は予想通り良かった。すっかり虜になってしまい、次の金沢で行われた鉄道研究会の夏合宿に小松空港まで飛行機で行くということをして先輩から散々にいじめられてしまった(結局、それがもとで鉄道研究会は辞めたのだが)。これがあのロッキードのトライスターで、これまた今思えば大金星である。

その後は北海道にスキーに行く際に乗ったのだが、幹事のときは必ず毎回飛行機を変えた。興味のないやつだとすぐにJALにしたが、私はA300に乗りたいからJASのツアーにわざと申し込むなどして機材の乗り比べをした。

新婚旅行はイタリア、欧州はボーイングよりダグラスが多かったのもありがたかった。MD11などもこのときに乗った記憶がある。その後は毎年正月に韓国へ行くこととなり、777などにも当たっている。

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全く記事と関係ないけど正月に撮ったベトナム航空(クリックしてください)
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今となっては懐かしいJALカラーのMD機(クリックしてください)

さて、YS11が引退したが、国産機として長い間君臨した同機に敬意を評して上野の国立科学博物館でYS11についての展示会が行われるようだ。また講演も行われる
私が行ってみたいのが最終回の

シンポジウム「ありがとうYS-11」2006年 10月7日(土) 13時~17時30分
になる。申込をしなければならないようだがこれはぜひ行ってみたい。

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2006.09.03

お仕事 vol5 ついに本格著書出る

このところ宣伝ばかりで申し訳ありません。編集の仕事で土日が全滅、平日は自身の仕事がありメールすら満足に読めておりません。やっと先週分の仮面ライダーをかたずけたところです。

さて、4月あたりから本の制作のお手伝いをしておりますが、今回はじめて企画と文を担当した本が出ました。

都電が走った昭和の東京
荻原 二郎編
生活情報センター (2006.9)
通常24時間以内に発送します。

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2006.07.18

東池袋に連絡口ができそうだ

はじめて地元の駅ネタを出します。東池袋はほとんど毎週使う最寄り駅ですが、池袋よりは小さな住宅が軒を連ねていました。しかし3年ほど前に再開発で街を一旦更地に戻しました。そしてそこに大きなビルを2棟建てます。一つは豊島区の施設で、もう一つが住宅です。

このたび完成間近(平成19年1月完成)になったので東池袋駅からの連絡通路を新設することになったようです。

Higasiike

ショッピングセンターもできるとのこと。楽しみです。

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2006.07.17

頼むJR東 ジャリ電作ってくれ

乗り鉄ではなく、撮り鉄の私は遠出というのをあまりしない。そんな私のささやかなお楽しみが休日のグリーン車に乗ることだ。

グリーン車、ドマニアだったころは仇のように憎み、乗っている人間なんかファンではないとか思っていた。時が過ぎて社会人となったとき先輩、同期が全部グリーンに乗ろうとするのだ。どうしてかと聞くと「子供がいなくて静かでゆったりしているから」一回乗ったらその良さがわかった。

車内はとにかくうるさい。それは交通機関だから避けられない事実だ。それを追加料金で避けることができるんだったらとここ20年は機会があればグリーンに乗る。

ところがだ! ここ数年グリーンに乗るとうるさい。子供が騒ぐのだ。これには閉口する。普通車なら許せるが子供のうるさい声を避けるためにわざわざ追加料金まで払っているのに騒がれるのは大変心外だ。正直「ある年齢までは乗るな! 乗るなら覚悟して乗れ」と言いたい。差別ではない区別だ。

欧州では1等はそういう「区別」の場所でシートが良いとかいうサービスはないそうだ(今はなくなったとも聞く)最初は「何の意味があるんだろう」と思っていたが今は心の底から静かな空間が欲しい。せっかく本を読もうと持っていったのだが台無しになった。混んでさえいなければ車輌を変わったのに。悔しい。

鉄道用語で修学旅行用電車を「ジャリ電」と言っていた。もうこうなったらグリーンのジャリ車輌でも作って隔離して欲しい。10席でも良い、禁煙で静かな空間が欲しい。頼むJR東。作ってくれ。

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2006.07.15

お仕事 vol3

忙しくて更新ができず申し訳ありません。現在1冊本を作成中です。

さて、先週から下記のような本が発売されました

ビジネス脳を鍛える電車力トレーニング
野村 正樹著
東洋経済新報社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

ここでは「電車力向上委員会」として、私以外に仲間の

・TOMOさん
・Kaz-Tさん
・マニはらさん
・痛勤型酷電さん

の協力を得て校閲や加筆訂正の担当をしました。昨日は著者の野村先生との懇親会でした。本当に太っ腹な大先生でした。経歴がサントリーの宣伝部出身です。まさに作家になるためのエリートコースを歩まれました。

また素敵な方と素敵なお仕事ができて光栄です。皆さん、とてもユニークな本です。買ってください。

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2006.06.11

昭和30年代の小田急線写真展

小田急OBで貴重な写真や文を提供してくださっている生方良雄さんが、本年4月に新宿でお仲間の方々と展示会をなさったことはこのblogでも紹介した。

このたび狛江でもタイトルの写真展をなさるようで、昨日ご連絡をいただいた。紹介する。

-近郊区間(新宿ー向ヶ丘遊園)の風景-

日時 6月23日から29日
場所 泉の森会館2Fギャラリー
時間 10時から18時
主催 狛江の”まち”を考える会
後援 狛江市教育委員会
協力 小田急電車を撮る会、有限会社泉の森

入場無料です。私も必ず行く予定です。

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2006.06.10

助っ人の転身

夜行高速バス 東京~大阪間に輸送能力倍の2階建て運行

偶然TXがらみとなったが、TXが開通するまではJRバスのドル箱だったつくば線のマンモスバス メガライナーが6/1でその任を解かれた。そして次なる赴任先はなんと東名ー名神の東阪夜行便となった。

TXができ、時間が不安定なバスは敬遠されたのかもしれない、しかしこまめな停車は好まれ今でも利用者はいる。しかし大型を入れるまでもなく、かつつくば市内では大型ゆえコースも限定ということで任を解かれたのだろう。

その裏側で安価な夜行バスがひしめく東阪間に大型を持ってきた。燃料費などは普通よりかさむがその輸送力はさすがで採算ギリギリだと思う青春ドリームよりは少しは儲けられる商品になったんだろう。また車椅子対策もできているので障がいをもたれた方には良い知らせだ。

大型といえばかつての「つくば博」で走った連接バス、行き場がないかと思ったらリムジンバスに転身した。高速がほとんどだから認可も簡単だったんだろう。また今度も東京発だから都内は認可が簡単、東名、名神はフルトレーラーが突っ走っているのでここも認可が簡単だったはず。阪神高速と大阪市内が新規審査だったと思うが、こことて都会さほど難しかったとも思えない。

さて、混雑時の助っ人君、ここではどんな活躍をするんだろう。おそらく後継は考えられていないと思うので、寿命までの限定運行だろう。

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意外? 当然? TXの好発進

つくばEX 売上高140億 3月期決算 予想を50億上回る(産経新聞)

記事によれば今回の決算では、売上高に相当する営業収益が140億円となり、当初予想の90億円を上回り、1日当たりの輸送人員が15万人(予想は13万5000人)と予想を超えた。しかし8000億円を超す建設費の減価償却負担が重く、最終損益は49億円の赤字となった。また今年3月に国が発表した公示地価では、茨城県守谷市の住宅地が前年比で14%上昇した。

空気輸送もブームが去ったら起きるかもと思ったが意外なほど手堅く利用推移が伸びた(維持できた)のは嬉しい誤算かもしれない。140億の利益だからこの調子なら20年程度で償還できるだろうか(会計は詳しくないので識者のフォロー期待)

不況や都市回帰という逆風の中でも堅実にお客を拾ったということはある程度この水準は維持できると思う。インフラも向う20年は追加投資は不要だから整備程度のお金が出るくらいで残りは借金返済にも回せそうだ。ただもし来るなら人気で増発もしくは増結の希望か、JRのグリーン車作戦で奪い返されるという「投資」もしくは「減少」だ。

私が促進を考えたのがまず北千住までの都心区間、意外にも便利である。しかし新御徒町から北千住まで200円を越える運賃がネックになる。都営と組んで北千住往復キップでも販売すればメトロの鈍足には勝てる(TX発都営1日キップは既に発売中)願わくば次駅までは100円というサービスが欲しいが黒字ならこれはやらないだろう。

次は来るべきJR対策として早くも「サロ」を突っ込むのである。1両で十分、交直車オンリーで十分である。中間にサロを入れての快適通勤、もちろんsuicaシステムも入れれば人件費も薄くなる。3ドアグリーンだって4ドアグリーンだって構わないと思う。指定席ということであっても可。とにかく座らせる工夫をすればJRには戻らない。

私には意外だったTXの成績、それゆえ頑張ってほしいとも思う。快速性というのは確かに関東随一、乗って楽しいのはこの電車だ。

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2006.06.04

英字二文字は代走の印

本当に久しぶりの「見たまま日記」になる投稿である。

昨日は出版社の打ち合わせで市ヶ谷に出かけた、その帰り道、都営新宿線の乗ったところ京王線内で人身事故があったので急行の運転を中止し、京王線内の乗り入れも止めたという連絡があった(笹塚までは新線なので入れる)

不謹慎だが、こういう場合は得てして「珍運用」がやってくる。やっぱり来た。

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運行番号に注目して欲しい。下がアップの図

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TKとなっているのがわかるはずだ

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ちなみに上の画像は今はなき33F、Kだけの表示になっている。これは本来都営車が運用を担当する列車を京王が代走した結果を運行番号で表現したものだ。都営で見かけるものでメトロではこのような表示はない(メトロの場合は代走でもTと会社名をズバリ書く)

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続けて待ったら都営車が今度は京王の代走で来た。

これはダイヤが乱れると、入線した順番で列車を送り出す。そうすると担当運用とはずれる結果が出ることもあるが、それを「代走」という形で埋めるのだ。

歴史をたどれば京急などはこの「代走」が日常となっていた。俗に言う「TH急行」のことである。これは都営車が京急線内を長距離乗り入れ、どうやっても距離修正が解消できないので、毎日「精算列車」を走らせるということで対応をした。よって毎日代走のTHが入ったのである。快特中心のダイヤ改正の際にこの措置はなくなった。

2文字のアルファベットは代走の印、新宿線でしか今は見ることがないだろう。

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2006.05.17

荻原御大に会う

鉄道ピクトリアルなどに古い写真をたくさん提供してくださる荻原二郎氏のお宅へお邪魔させていただく機会を持てた。

御大は90を越える年齢だが、言語明瞭、知識豊富、なにより写真整理が秀逸で400冊近くあるアルバムのどこに何が写っているかを即座に答えてくださった。

また今もなお現役のファンで、心意気もお若いまま。お話を聞いて苦笑してしまった

「大井町線の8590の写真だけどこれは赤の時代のもんだ。これはほんのわずかの期間しか走らなかった」と(詳しくはこちら

私たちも「レアモノ」と称して珍しい写真を撮ったら羨望のまなざしで見られるものだが、御大の年齢になってもなお「レアモノ」を追いかけ披露する姿勢を見て「俺なんか御大からみればまだまだまだまだ×10だ」と。そして少年の心を今もなおお持ちの姿を見ていっぺんでファンになってしまった。

仕事とはいえ、素敵なご老人にあえたことを神に感謝したい。そして私も御大のようにいつまでも少年の心を持ったファンであり続けたい。

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2006.04.30

この不正 どうやるんだろう

<JR西子会社>コーヒー代着服で33人処分 食堂車従業員

記事によれば寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)の食堂車従業員らがコーヒーの売り上げの一部を着服をしたようだ。その会社はJR西日本の子会社「ジェイアール西日本フードサービスネット」で従業員ら計33人を処分した模様。刑事告訴はしない。

さて、これなんだがどんな不正をすればよいのだろう。代金を受け取って帳簿に上げないという動作なんだが、どんな管理か聞いてみたい。

もう時効だが、私もバイト先でこのような不正を見たことがある。それは立ち食いスペースのことで、やきそばが該当商品だ。ラーメンなどは1玉で計数管理を出来るが、やきそばは大きな1枚の麺を一気に炒めて作る。したがって管理は「盛り付けた皿」で行った。
よって、その皿の枚数で不正を行うわけだ。

今回、コーヒーが商品だが、これも同様なんだろうか。規定に基づいた「内容量」を少なくごまかし1杯分を浮かす。それをお客に提供して帳簿には載せず懐に入れるという手法なんだろうか。

確かに大問題ではあるが、最近はベンダーマシンなどがあるからそういうものを食堂車に導入するという考えは起きなかったのであろうか。また不正が起きる温床には必ず「低賃金」がある。労働量に対しての対価が安すぎたということはないだろうか。

食堂車、我々乗客が利用せず結果潰してしまった。しかし業者の側からもこのようなことがおきてしまうようでは、もはや本当に役目は終わってしまったのだろうか。

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2006.04.29

お仕事 vol1

このたびお手伝いした本が発売されました。

井の頭線沿線の1世紀
生活情報センター編 / 鎌田 達也構成・文
生活情報センター (2006.5)
通常1-3週間以内に発送します。
井の頭線沿線の1世紀 (楽天booksはこちらです)

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2006.04.20

鉄道の統合時代が来たか2

阪急の阪神株取得に反対 京阪、近鉄と共同戦線も

昨日の投稿で
こうなると辛いのは京阪と南海だ。両者合併はヲタの妄想でしかないが、このまま孤高を保つのか、例えば京阪が思い切って近鉄に話を持ちかけるのか、火蓋が切られただけにこれからは何があってもおかしくはない。

と書いたところ珍しく当たってしまった。合併こそないが共同戦線を組む予定になった。記事では【近鉄は阪神と相互に乗り入れる予定で、首脳は「京阪も将来、乗り入れることになる」と話している。】と書かれている。京阪が阪神に乗り入れをするのか、近鉄に乗り入れをするのかわからないが、淀屋橋にせよ中ノ島新線にせよ阪神梅田とは地下での接続だから考えられるのはかつて奈良電であった丹波橋での近鉄ー京阪の乗り入れだろう。

ただ乗り入れしたところでどうなのかももう一歩、近鉄は京都で唯一(除く地下鉄)新幹線接続ができる私鉄、一方京阪は枚方、守口などの沿線を持つ。京阪が京都発枚方経由の淀屋橋を走らせるのだろうか。一方出町柳発奈良行きというニーズはあるのだろうか。

これ、本音のところでは京阪も仲間に入れて欲しいというところではないだろうか。阪急、阪神が共通運賃になれば阪神間の利用度は上がるが、京阪間はライバル関係が残る。京阪間はJR西というお化けにさらなるモンスターJR東海道新幹線がいて京阪が孤独になれば太刀打ちできっこない。そうならない前に京阪神を1つの会社にしてJRの追撃体制を整えておかなければならない。近鉄はマンモスだから独自でやれるし、観光特急でも稼げる、でも残りは全部都市間輸送だ。

さて、明日南海の記事が出たら驚きだ。今のところ何もない。もっとも関空があるので関係ないのだろうか。

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鉄道の統合時代が来たか

阪神と対等な形で統合へ 阪急HDが新持ち株会社

銀行、保険など合併が進んだ日本だが、なぜか鉄道は吸収合併しかこのところ例がない。この合併は久々の対等合併であり、昨今流行の持ち株会社型合併だ。

関西は長く私鉄が都市間輸送を担い、規模の割には私鉄の数が多いようにも思えた。これからの本格的低成長を考えれば先手を打っておくのも良いと思う。

阪神と阪急の場合競合区間は文字通り「阪神」間だけ、海側の阪神と山側の阪急では商圏も若干異なるだろう。割って入ったのがJRでその路線網をフル活用して根こそぎパイを奪っていった。

阪神、阪急とも競争から「落穂拾い」の作戦に出、JRの手薄なところを強化していく作戦に出た。そして福知山線事故で若干のシェア回復もあっただろう。

阪急は三宮から神戸市営の乗り入れを希望している。一方阪神は西大阪線の難波延長で近鉄との乗り入れで奈良へと手を伸ばす。JRの追撃体制は揃いつつある。すでに関係強化の山陽も交えて運賃の共通化がおきれば私鉄の春は再び訪れるかもしれない。こうなったら阪急HDが神戸高速を買っておまけに神戸電鉄や能勢も運賃共通化を図れば姫路から奈良まではJRと同等とはいえないがかなりいい線になると考える。

こうなると辛いのは京阪と南海だ。両者合併はヲタの妄想でしかないが、このまま孤高を保つのか、例えば京阪が思い切って近鉄に話を持ちかけるのか、火蓋が切られただけにこれからは何があってもおかしくはない。

一方、我が東京だってうかうかしていられない。北総鉄道は思い切って京成に買ってもらい料金で優位に立ってNEXを追い落とすなどできないだろうか。また浅草線を京浜急行が買えば新橋、東京へはJRと互角になる。

低成長時代だからこそ統合で乗り切るのが得策だ。車輌は早くも統合の波が来た。次は本体の出番だ。

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2006.04.09

写真展に出かける

土曜日に新宿で行われた写真展「昭和30年代の小田急線」を友人たちと鑑賞した。

会場は西武新宿駅正面の「トラン・デュ・モンド」で、駅前の大きなビルの9Fが会場である。

出展者の顔ぶれがすごい。赤石定次、生方良雄、川島常雄、隈野成一、滝川精一、山岸庸次郎、山崎和栄、山下和幸、吉原実、渡邊淳一(いずれも敬称略)の方々で特別に荻原次郎さんも出展なさった。

写真のどれもが「博物館級」のもので、過去なんども「なつかしの**」という自治体主催の鉄道展に出たが、そこに貸す側の展覧会、どれも足を止める。質問したくなる写真ばかりである。

撮影者の方々数名が会場にいらっしゃった。適宜質問も受けてくださった。小田急といえば懐かしいのが「気動車」、御殿場線乗り入れのため、当時非電化だった御殿場線向けに開発したキハ5000の画像があった。単車での運用とばかり思っていたが併結されていたので質問したところ「3連で走ったこともあった」という回答をいただいた。また画像もカラーで、小田急旧塗装といういでたち、10分ほど食い入りように見てしまった。

12日まで、もう一回出かけようと今朝は早起きして仕事をしている。

小田急ロマンスカー総覧

生方さんがお書きになった本です

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2006.04.07

やっぱりすごかった 大井町ブルドック

以前ここで大井町のブルドックについて書いたのだが、その後いつ消えてなくなってしまうか心配なので大井町近辺による時はなるべく行くように心がけている。

Net検索しても結構引っかかるが、やはり名物はメンチカツのようだ。

Netで見つけたブルドックの記事
さとなおの男のための「昼メシ・レベルアップ」計画
ミドリフグ俳優くるりの良いことBlog
ズームインスーパー (書かれている値段は違うのでご注意を)

2月のある日に大井町で待ち合わせがありブルドックへ、しかし時間に間に合わずメンチカツを半分だけそれもかきこむように食べたので心残りだった。3月改めて挑戦!

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見てわかるようにでかすぎるのだ。皿の大半を占める大きさ「卓球のラケットと同じ大きさ」と書いてあるblogもあったが確かにそうである。

味噌汁はトン汁、ご飯は皿盛りと和風なんだか洋風なんだかさっぱりわからないが、本当に良いところだけを集めた和風無国籍食堂だ。

このメンチカツ1090円と決して安くはない、ただこの空間の入場料とこの大きさ、そして揚げる技術を見れば価格は納得である。

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お店の入口

いつ再開発がはじまり入れなくなるかわからない、また再開発後にお店が復活することも約束されたとも思えない。今ならまだ行ける。交通費をかけても行く場所だ。

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2006.03.21

どっかで見たよな この色

ロゴマーク・ブランドネームを決定しました!

これはJH改め東日本高速道路のニュースリリースだがネクスコとかいうニックネームになるようだ。まぁニックネームはそれでよいのだが、問題はコーポレートカラー

東日本・・・緑

中日本・・・オレンジ

西日本・・・青

これ、どっかで見ていますよね。そうJRが全く同じ配色

JR東・・緑

JR東海・・オレンジ

JR西・・青

考えた上でのネクスコの配色ならわかるが、どう考えても「流用」「パクリ」としか思えない。もしくは国土交通省からそれなりの指導が入ったとしか思えない。

赤(JR九州の色)は「赤字」をイメージするから避けるとしても「金」とか「灰色」とか「茶」とか他にも候補があって然るべきだと思うのだが・・・

無理してコーポレートカラーなんか決めなくても良いのに。

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2006.03.19

動画:半蔵門線

動画をはじめてみました。半蔵門線にいた8594です。懐かしいですね

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2006.03.18

イタリア発 粋な立ち飲み ムセッテイ@新宿

時々お邪魔させてもらっているblog「銀座OL&横浜OLちょっとリュクスな毎日」では本当に毎日素敵なお店が紹介されている。OLだからといって何でも小さいものとかかわいいものとかと思えば、結構私のようなガテン系の人間でも使える紹介があって大変助かっている。今回はエキナカでもあるが、そんな素敵なOL様にお礼の意味も込めて新宿のリュクスなお店を紹介したい。

新宿でも新線の方に昨年10月より「フレンテ新宿」というエキナカショップ群ができた。エキュートEchikaと違い、それほどたくさんのお店があるとは言えないがコーヒショップは他にないものが出店している。

イタリアのコーヒブランド「ムセッティ」がショップ展開をした「カフェ ムセッティ」だ。

フレンテ新宿は新線新宿駅の通路に出来た。昔はコインロッカーしかなかった寂しい場所だった。

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入口

カフェムセッティは新都心口に近いほうにある。大江戸線からだと少し歩く。

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お店の入口

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メニュー 詳しいものはこちら(PDFです)

メニュー的にはイタリアらしくエスプレッソが充実しているのと、アフォガート(アイスクリームのエスプレッソがけ)があるのが特徴だ。

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エスプレッソ

本場イタリアのエスプレッソは数回しか飲んだことがないので、本場と比べてどうだ! と言われても判断しにくいが、とても濃かった感じはする。

店内は銀色で、どことなくメカニックな雰囲気。落ち着くというよりはやる気が出るというインテリアになっている。店頭ではサンドイッチも売っている。

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京王では今後店舗展開を進めていくようだ。他社とは違った展開、これは期待できる。

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2006.02.24

ミジュノ キョース 帰国へ

韓国の鉄道を研究してもう5年以上も経つ。韓国の鉄道の著者、山田氏とも親しくさせていただいているが、水野俊平教授が韓国から日本へ帰国なさるようだ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/20/20051020000036.html

(朝鮮日報)

水野先生とはある会を通じて大変親しくお付き合いをさせていただいている。過日も新大久保で一緒にお酒を飲んだ。実は水野先生、大変な鉄道好きで韓国の廃線を歩いて探すなどのこともなさっておられる。

まだそんなに有名ではなかった頃は簡単に探索できたのであるが、有名になってしまってからというもの「ミジュノキョース」と指を差され、デジカメで写真を撮られてしまっているようだ。鉄道趣味もずいぶんとやりにくくなったと聞いた。

新大久保でもお店に入れば店主が凍る。それもそのはず、日本で言うところのボビーオロゴンやユン・ソナと同じような外国人タレントだからである。ただ、すれ違う日本人にはほとんどわからないので、その点は大手を振ってあるけるようだ。

別の記事では「ユミン」こと笛木優子も帰国の予定らしい、韓流ブームもいよいよ逆輸入までくるほどヒートアップしたようだ。

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HP本格リニューアルのお知らせ

blogをはじめるずっと前、20世紀時代に簡単なC&Cと鉄道のページを持っていました。

お世辞にも良い出来とは言えないのであまり積極的な発表は控えていましたが、このたび完全にリニューアルをしました。

古い電車の写真中心ですが、ぜひお立ち寄りください。

http://homepage1.nifty.com/NAL/rail/index.html

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2006.02.05

首都高モニターだったころ

カテゴリーで適当なものがなかったから関係ありそうなものを選択。引っかかってしまった方にはお詫び申し上げます。

10年ほど前に首都高速のモニターになったことがある。任期は2年、更新ができたので都合4年ほどやらせてもらった。

首都高速モニターができたきっかけはおそらくこれだろう。

首都高速、私が覚えている昭和52年ころは300円か400円だった。当時は路線があまりなく、府中に自宅から首都高速に乗るには高井戸まで下を走るという有様だった(聞けばこれでも伸びたほうで、50年ころは新宿まで、京王新線の建設と同時に高井戸まで延びた)これが500円になり、この期間が長かったが、600円になり間髪いれず700円になった。この700円の値上げがやりだまにあがって公団の不透明な運営とか、工事の談合、あげくは非合法の料金不払い団体などが出てきてゲートの強制突破などが起き、公団も苦情を受ける姿勢を持ったり、意見を聞くという謙虚な姿勢にようやくなってきたのである。

このモニター、おそらく私は第一回の応募だったので、突っ込みがいがあった。公団職員が本当に世間離れしていたからである。年に数回会議があったのだが、阪神大震災の直後で耐震構造の改善を公団側は述べた。一方利用者側はというと「サインシステム」や「多国語対応」「渋滞対応」などの意見が多く、公団の「今やるべきこと」と利用者の「これから取り組むべきこと」のズレをものすごく感じた。確かに耐震は大事だが、そんなもの

やってあたりまえ

の問題だろう。外国籍の方が「せめてローマ字を入れてほしい」という要望を出したが、当時の公団は「検討します」程度だったが今、見ればわかる。その方は先進的だったのである。私もちょっとだけ自慢できることがある。割引運賃の提案をしたことだ。

当時は特定運賃は羽田線があった程度でほとんどなく、府中に帰る際に永福から乗っても700円取られた。そこで「末端の区間のみ特殊運賃を設定してほしい。ただ他品目だと間違うから羽田券の300円か神奈川券の500円にしてほしい。区間は永福ー高井戸、一之江ー錦糸町を頼む」と話した。回答はけんもほろろで「それはできない!」

しかしその後この提案は実ったのである。一之江区間はECTになってからだが、永福区間は回数券時代に設定された。私以外にも不便に思っている人が多かったのだろう。

公団だったのでほとんど政府と同じ、だから会議に速記が付いた。速記なんてそのときしか見たことがない。暇だったのでその動きを見ていたが実に滑らかに筆を運ばせていた。また飲み物も出てなんとクリームソーダという時代錯誤のもの。おそらく今ならペットボトルの水だと思うが平成7年でもこんなに豪華にもてなしてもらったのだ。

見学会もあり、湾岸線の神奈川区間、今の鶴見つばさ橋の建設現場に連れて行ってもらった。公団職員も一生懸命説明してくれたが記念撮影があるというこれまた時代錯誤のサービスまであった。

--余談だがこの記念撮影というのは政府系の団体ではやたらやる。証拠作りかもしれないが、どうにも笑ってしまう。東京都の集まり、労働省が主催する講習会。いずれも行った。

このモニター特典として「毎月10枚の利用券がもらえる」でよく乗る私にはありがたかった。

首都高速、当時はサンドバック状態の叩かれっぷりだし、事実職員ものほほんとしていた、ただあのモニター会議で雑談として話した職員の汚名挽回の態度には感銘も受けたし、事実変わってきたと思う。

でもそれだけではダメだった。結局マイナスが0になった程度だった。日産も「変わらなきゃ」とイチローが叫んでいた時代は変わらず、ゴーンが来てぶった切って変わった。公団も自助努力では0まで、だから民営化でぶった切られた。これからはリストラをガンガンやって遊休資産をバンバン売って小さくなって建設は採算性をにらんでと会社らしくなってくると思う。

私はある種牧歌的な時代を垣間見れた貴重な体験をしたのかもしれない。

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2006.01.29

さすが! 足立の大英断に拍手

足立区:新年度予算発表 竹ノ塚駅周辺の立体化に10億円積み立て 

記事によれば「昨年10月の区議会で、立体化資金を積み立てる基金を条例で作っており、実現に向け06年度から3年間で60億円を積み立てるとしていた。区は今年度補正予算でも基金に積み立てる予定。」とのこと。自分の街は自分で作るという住民や区議の意識に拍手を送りたい。

よくこのような高架工事などを行うと住民は「反対」「経費は鉄道会社で持て」あげくは跡地は遊歩道にといったいそんな金どっから出てくるんだよ。と呆れ顔になる意見ばかり見るが今件は違う。

昨年、痛ましい事故が起こったが、一時期竹ノ塚を利用していた自分にとっては切実な現象だった。竹ノ塚は東京で信じられないようだが平面の複々線だ。平面の複々線というと川崎近辺や横浜の花月園のそばなどもあるが、あそこでも痛ましい事故が起きている。つまり複々線となったらもう平面にすることが難しいのだ。

足立区は従来の流れなら東武相手に「そっちの金と東京都の助成金で高架にしろ」と迫っただろう。それを今回は議会で予算につけた。予算は税金だから別の使い方をしようと思えばできたはず。それを高架に張ったわけだ。誰にも頼らず自力でだ。

この考えは気に入った! ちょっとでも法人税を上げるために、商店の所得を上げるために足立に買い物に行くことにした。あなた方の努力は鉄道ファンたる自分は忘れない。買い物で応援するから、私のことも覚えてほしい。

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2006.01.24

人にやさしい電車とは

京王電鉄:おもいやりぞーん導入 8人分優先席を16人に

同記事によると
23日から、従来の優先席を拡大した「おもいやりぞーん」を車両に導入した。つり革の色を変えるなどの工夫を加え、これまで以上に優先席を明確化させ、「人に優しい車内環境」を提供したいという。

大変結構なことではあるが、誰を優先させるかなどをどうせ広げるのであれば考えて欲しい。記事では席数を倍にするということを書かれているが、要するに車端部をすべて優先席(おもいやりぞーん)に変えることと思われる。となれば一般乗客は車端部に座ることは大変難しいことになってしまう。

*私は「優先席」に座らないというのは安易な判断だと思う。空いているなら座る。ただし椅子に困るような人が来たらすぐ代わるという意識さえあれば良いと思う。私自身はどこで座っていても同じ考えである。

都電があるが、都電などは車両全部が優先席みたいなもので、東池袋から町屋までは座るということは大変難しい。空けばすぐ老人が乗ってきて代わることとなる。しかしそれでもあまり文句が出ない。

お年寄りが弱者というのはどうも過去の遺物のようにしか思えない。もちろん大事にするのは大切だが、かくしゃくとしたお年よりも多く、まもなく団塊の世代もその仲間に入る。それをお年寄りと呼ぶのはちょっと失礼だろう。

むしろ「座りたい人」や「座らせたい人」の優先席と定義を変えたらと思う。お年寄りでも杖を持っていたら代わるなどのことである。
ただ、私はもう少し言いたい。私が弱者と思うのは「子連れ」だ。子供を連れて電車に乗ると子供はすぐに飽きてしまう。中にはそんな傍若無人な子供を放って携帯を見ているバカ親もいるが、大半は困りきった顔で乗っている。こういう人こそ「やさしい電車」で保護するべきだろう。国を上げて子育てを支援するならこういう部分でも支援をすべきである。

東急では女性専用車を終日連結しているが、そこに子供づれも乗車OKとすれば良いと思う。都電の例を出したが、どの車両でも気を使って乗るくらいなら1両まるまる明け渡す方が意識しない分楽である。また女性が怖いのは酔っ払いとか痴漢であって男全般や子連れに対してはそうは思わないはず。もしそう思うのであれば甘えるのもいい加減にしろと言いたい。

かくいう私も子供の騒ぎ声が車内から消えるとなればそれは歓迎すべきことだ。車端部に座れなくても諦めもつく。

やさしさが本当に欲しい層というのを鉄道会社は真剣に探して欲しい。

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2006.01.12

鉄道好きの履歴2-2

乗車券の画像を集めてみた。ご覧いただきご感想などを

sisetusyaho
左は小田急の車補、今では絶対に手に入れられない逸品。右は東武本線

kosyaho
左は自慢の逸品。大江戸線の路線図に注目。右は多摩センターまでの開業時代のもの。下はオマケ、500という販売されない価格のパスネット。営団のイベントに参加してもらったもの

koukenn
硬券。左は伊豆急行の国鉄連絡キップ、社紋が伊豆急のマークになっている。右は小海線中込から八王子までのキップ。当時の正式な子供用は右端を落として台形にした。子供用でも省略して長方形のまま出した駅も多かった

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2006.01.09

鉄道好きの履歴2

今度は「集める」分野である。

集めるに関しては父親の協力が大きかった。父は霞ヶ関勤務が長く、営団の記念乗車券をよく買ってきてくれた。原体験はここにあると思う。だから最初は記念乗車券からはじめた。また当時は自動改札など夢の夢なので普通乗車券も着札回収をのがれるようにして集めた(でもよくつかまっては回収された経験も多い)連絡キップなどは大半が硬券で「集める」というよりは「返さない」という感覚のほうが多いように思える。

意図的に硬券を集めたのは「入場券」だ。これは中学にはいってからはじめた趣味だが割合多く集めたように思える。

それよりも一番興味があったのが「車内補充券」である。これや「出札補充券」「改札補充券」などの補充券を集めようと思ったのが高校生から、前述のように趣味比率が下がっていたのでこれは大変だった。
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・左は水戸車掌区発行 急行券の補充券になる。右は沼津、なんと子供用のG車券。子供ながらにどうしても乗りたかった思い出がある。

今思えば出札補充券(最近は特補というらしいが)は割合簡単に取れたし、地方にいけばバスの券買所で国鉄キップを希望すれば補充券や常備券で出してくれたものだが全部着札で出してしまった。それでも少しはまだ手元に残っている。車内補充券は平成になっても残っており、このあたりになると検札の度に「わざと買う」ようなことをして集めた。しかしそれもパスネットの普及でかなわなくなってしまった。
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・これは首都圏では珍しい「駅名式」の補充券。発行が駅なので車補というよりは出札補充券になるのではと考える。思えば臨時の窓口で買ったような気が。これも急行券である

記念乗車券だけは今でも買うし、記念パスネットは極力買うようにしている。しかし昔と違うのは「使ってしまう」ことである。だから一般のキップやカードとほとんど同じ用途になってしまった。

そのパスネットでさえPASMOが出て怪しくなってきた。記念乗車券に回帰していくのか、記念PASMOの乱発になるかわからないがそれでも私は買うと思う。

フリーキップなどは着札回収がない場合も多く、そういう場合はだいたい捨てずに手元に置いておく傾向がある。これは各種サービス券やスタンプシートの類でも同じだ。

どうやら私は収集癖があるようだ。

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2006.01.07

鉄道好きの履歴1

鉄道好きを近年は公言できてありがたい。以前なら「なんであんなもの」と言われたものだが、最近は特に女性、ママの参加割合を多く見る。

私の鉄道好き履歴をちょっと追ってみる。
鉄道趣味はよく「乗り鉄」「撮り鉄」などと言われるがファンにとってはこんな大雑把な分類は大変心外で、乗るにせよ撮るにせよ集めるにせよとにかく分類が細かい。
大分類で切るなら私は「撮る」と「集める」で「乗る」はそんなに興味がない。

撮る分野だともう圧倒的に車両だ。この車両の好みの履歴を考えると、最初は気動車だった。気動車は車種による区別が少なく、急行型の後ろに普通型がつくなど混沌、その混沌さが好きだった。ただ東京地区ではすでに電化が大半で、八高線と相模線だった。ただまだカメラを持たなかった時分は房総が非電化でここは面白かった。返す返す写真を取れなかったのが惜しかった。次は「貨車」になる。貨車、これまたバラエティ豊かで飽きさせない、理由は鉄道模型で貨車をやたら買ったという経歴があるからだ。中でも特殊車両が好きで「控え車」の写真などを撮影していた。そして次が本丸の「旧型国電」になる。これも種類が多く、ここでそろそろお分かりだと思うが、私は「多種多品目」というのが好きになるポイントのようだ。飯田線に通って撮影した。と、同時に地元の京王線をやたら撮影した。

ここで一旦休止、それも長~~い休止に入る。高校進学、そして大学での鉄研における暗い思い出が入り一旦プチ引退をした。趣味的には旧型国電が終わったので、今度は客車に興味を持った。(それも若干程度だが)

平成に入り趣味が復活したときに選んだジャンルは「大手私鉄」となった。これはJRが画一的車種(と思い込んでいた)でイマイチ趣味範囲に入れないなどの理由があった。私鉄は元々京王線しか撮影していないので、青年期にあまり撮影しなかった東急や京急、そして意外思えるが平成まで全く乗ったことがない相鉄などに足げく通った。

そして今はJRである。205などは改造も多く今後研究対象になると思う。

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2006.01.03

歴史的和解による提携とメリット

西武鉄道とミレニアム、沿線再開発で一致(読売新聞)

この兄弟の確執はもはや芸術作品とまで思うほど、双方「西武」と名乗りながらほとんど提携がないという西武鉄道グループと西武百貨店グループ(以下セゾングループ、現在はミレニアムHD)が沿線開発で一致を見せたようだ。

両者を見ればどう考えても水と油、やはり両 堤総帥 にとって「和解」、いや兄弟の確執は消えたとしても経営での折り合いは難しかったとしか思えない。
芸術畑の兄 と 堅実経営の弟 奪い取る兄とひたすら守る弟、父に反抗し、そして父を超えることを目標とした兄と父の教えを守り、父を越えないことを目標とした弟、企業体質でこれほど差が出るのも稀だ。

私は兄に共感を覚える。氏は絶えず目標を定め、そして常人にない発想で消費を文化にまで押し上げたという立役者である。氏の芸術性だからこそなしえたと思う。しかしそんな氏でも経営の細部には堤魂があったと元関係者から聞いた。やはりそこには争えない血があったようだ。

カードビジネス、三和(三菱東京UFJ)の一機関だったJCBは日本を代表するカードになったが、同じように流通系カードで日本に浸透したのは「セゾンカード」である。あのヨーカードーや三越でさえできないことをやった。それも誰よりも早く、そしてどこよりも付加価値を付けてである。

不思議なものでセゾンカードはプリンスホテルでは使えないのである。これが上記確執の結果であった。いよいよその垣根が外される。

私鉄では非接触型カード「PASMO」が出るようだが、西武鉄道は数で圧倒的優位にあるセゾンカードとPASMOを連携すればSUICAのシェアには一気に追いつける。そして全国にある西武関連施設や近江鉄道、伊豆箱根鉄道などでも使用可能にする、ポイントはセゾン「永久ポイント」に繰り込めば電車乗って西武でお歳暮が買える、もうビジネスの将来像はできており、まず失敗はないだろう。

この和解は大きい。

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2005.12.18

出雲廃止による問題考察

JR西 出雲の廃止に代替案だす(山陰中央新報)

山陰は全く行ったことがないので地域特性もさっぱりわからないので、今回の私の投稿はむしろコメントによって鍛えられるようなそんな投稿になると思います。博学な方からのコメントをお願いします。

記事によればJR西は現在も客車で残っている「出雲」を廃止し、代替として智頭急行経由上郡行きの特急を走らせ鳥取からは乗換で対応してもらう旨の提案をしたようだ。

鳥取のダイヤ構造を見てみると山陽側で言う「岡山」のようで、ここで特急が上り下りとも終わっているものが多い。反面伯備線を持つ米子は山陽連絡の拠点で、新幹線を使える分鳥取より便利に思えるし、何より電化されているのがポイントだ。

廃止予定の出雲だが、手元にある2002年の時刻表によれば鳥取発が20:24、東京着が6:57と出張には最適の時間配分である。しかしそんなことはもう10年も前の理屈で、現在なら早朝便の飛行機で代替が効くだろうと思っていたところ、鳥取は羽田発こそ便利だが、鳥取発は10時ころの羽田着、これではちょっと使いにくい。

出雲のルートをたどってみると浜坂、城崎、豊岡、福知山、綾部が停車駅である。内、豊岡は早朝に特急北近畿が設定されているようで、ここは代替が効く。 城崎は豊岡まで普通電車でも10分の至近であるから同駅とみなせるし、綾部は福知山と同駅とみなせるので問題は浜坂と、鳥取、そして倉吉だろう。

JR西は智頭急行を提案したが、時刻表をみるとスーパーくにびき9号の時刻を30分繰り上げると米子でサンライズにうまいこと接続できる。智頭急行に乗ってもらうのも良いが、このルートで鳥取ー京都を途中下車しなければ鳥取ー京都は山陰線経由の運賃で計算するといった特例運賃やこの列車専用の切符を発売するなどの方法もあるだろう。

なお東京方面からの時刻はサンライズでは対応できない。またスーパーはくとをひねり出しても鳥取に9時に着くのは難しい。ここは飛行機の出番だろう。

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2005.12.11

鉄道講演会を仕切った

このblogでも書かせていただいた青木栄一先生の講演会が昨日開催されました。

人数は一般も含め70人以上と大変盛況でした。ありがとうございます。
内容は「市民が鉄道に何を求めるのか」という視点で、速さや乗り心地、そして乗換やダイヤなど様々な方面から分析をなさり、とてもわかりやすくお話をくださいました。

後半は福知山線での事故に関してのお話、保安装置だけでは完全にフォローできず、二重三重のバックアップが必要というお話と、「例え人間が解除したとしても、それすら織り込んだバックアップ体制が必要」というお話は心に残りました。

当日はゲストをお呼びしました。あえてNetでは告知をしませんでしたが、第5回の講師、元営団地下鉄車両部長の里田啓さんと小田急OB生方良雄さんのお二人で、生方さんからは脱線とガードレールに関して即興の講義をいただけました。私自身もまさか講義をいただけるとはと驚きました。

終了後は懇親会を3人の先生とともに行いました。営団5000系製作秘話や小田急8000の秘話などいろいろなお話を直接関係なさった方々うかがえたのは涙モノの体験でした。

講座を企画してこれほどまでに楽しかったことはありませんでした。今回の体験はずっと心の中に残るものと思います。

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2005.11.29

冷静に冷静に

LRT:構想実現を! さいたま市に市民団体要望

LRTがブームだが、その計画は慎重に願いたい。研究は続けているようだが希望路線が「さいたま新都心ー埼玉スタジアム」で驚いた。
埼玉高速鉄道が大赤字でどうしようもない状態なのに、さらにライバル路線を引っ張るというのは本当に効果のある路線設計なんだろうか。

また浦和美園から岩槻にまで延伸計画もある。同記事には「都心と直結する南北に比べて東西の交通網が弱い同市内では、」と書かれてあるが、これが所沢近辺ならまだわかる。しかしさいたま市には武蔵野線も川越線もあるではないか。大宮ー武蔵浦和ー東川口ー浦和美園の乗換では不満なんだろうか。またそんなに浦和美園に行きたいのだろうか。経由地にこそ意味があるんだということもあるだろう。しかし万年混雑の新大宮バイパスを通過するには地下化で凌ぐしかない。

確かにさいたま市にLRTがあってもおかしいとは思わない。しかし路線は冷静に、冷静にをお願いしたい。延伸予定の岩槻までをLRTにすることだって良いことだと思う。北浦和ー埼玉大学はダメなんだろうか。

引くのではない。乗ってもらうのだ。名古屋のピーチライナー、あの二の舞になるのは見たくない。

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2005.11.27

多品目が起こすヒューマンエラー

新幹線が50mオーバーラン 姫路駅、運転士が勘違い

JR西にとっては二度と聞きたくない言葉であるが、記事をよく見るとなるほどと思う。

最初、山陽区間だから停車駅の勘違いかと思った。しかし誤通過警告装置(でもいうのだろうか)は新幹線のような路線には付いているはずと思い直し。確認で読んだところ「編成長の勘違い」で起きたものだった。

記事では「JR西日本によると、運転士が16両編成と勘違いしたのが原因」と書かれている。8両だから「ひかりレールスター」が該当の列車だと思うが、のぞみと同じ700系、運転台などはのぞみと全く同じなのだろうか。
東海区間は早くも車種統一を図り、こだま・ひかりが300、のぞみは700が主流で、500がたまに入る、かつすべて16両とエラーの起こりにくい環境である。

一方、山陽区間は16両ののぞみに8両のひかり、6両4両のこだまも存在し、車両も100系が健在と多種多様、これでは間違いも起こりやすい。

山陽区間は東海区間と違い輸送人員が少ないため一律16両では不採算、それゆえの多品目なのだが乗務員は大変だろう。

しかし京急などは4両から12両まで様々な編成でも問題なく操作できている、このあたりは会社の方針や姿勢も関係しているのだろう。

新幹線は「特急」だ。通勤電車のように「混んで当然」「お客が合わせる」といった考え方は通用しないだろう。停車位置だって全部一番前に固定すればこんなエラーは起きないと思うが、それではグリーン車の位置が号によって全部バラバラという「特急らしくない」サービスになってしまう。

多品目にするにはその環境の後押しも必要だろう。本来なら特急は多品目には向かないはずだ。それを「利益」という名の下で強いられる会社も気の毒だ。

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2005.11.13

Suicaはカウセンラーになるか?

アメリカにこんな格言があるようだ
「日本でのカウンセラー成功は至難の業だ。なぜなら「街の飲み屋の女将」が有能なカウンセラーだからだ」

今日も疲れたビジネスマンが街に繰り出す。そして女将に愚痴をこぼして明日の活力を仕入れる、日本固有ではなくおそらくアジアに根付いた文化なんだろう。

神田や新橋の立ち食いそばやというのは、鉄道ファンの感覚で見ると少し変である。立ち食いそばやの形態をしているが”立派な飲食店”となる。つまり「流れ」の客以外に「固定客」というのが必ず付いている。社員食堂のない会社においてはその立ち食いそばやが「社食」であり「昼の飲み屋」なのである。

店員も心得ていて「あれっすか?」 客「うん」、これで注文完了である。なかには座っただけで出てくるというツワモノもいる(実際に見ています) 一般客の入店時には「たぬきそばに卵」というのに対して、常連は「当たったよ」(多分競馬だろう)「昨日ケンちゃん来た?」「あそこでさ、鈴木さんに合ったよ」 これでそばが出てくるわけである(笑)

Suicaが街に出始めた。ファミリーマートとジョナサン、ビックカメラなどが使用可能のようである。そしてJR構内は徐々ではあるがあじさいなども使えるようになってきた。

ビューSuicaなら個人情報がJRのセンターに保管されている。そしてSuicaの特長である「購入履歴」というのがタッチの際に残る。つまり「個人の年齢性別住所と購入履歴」が情報として一元管理されるわけだ。これを上手に使えば「男、40代、東京在住の給料日10日後の現金購入の傾向」や「あじさいにおける月曜日の購入層別最多販売商品」などが一目でわかることになる。

将来はわからないが、もし携帯端末に情報を送ることができるようになれば「今日はお子さんの誕生日です。今までの傾向から今日の佐藤さんは新宿で降ります。最寄にはSuicaの使えるおもちゃ屋さんはここです」ということや「月曜日です。今日は新橋にご予定はありませんか? 新橋の立ち食いそばやではサービスフェアやっています」といった個別プッシュ型情報提供が出来るように思える。そしてそれは個人個人の傾向を完全につかんだある種の「カウンセリング型の情報提供」になる。

人間のみが持ちうるきめの細かいサービスが機械に移行される日も近いだろうか。

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2005.11.06

さらば ウォーターシュート

いつもの悪い癖だが、ある本や講演会に出ると「興味を持って深く掘り下げたい」というマニアの虫が体の中を走り、結局あれこれと文献を買ったり、Netで調べてあげくは「区民大学」という流れになる。

プロ野球の歴史などは典型で、とあるNetで「黒い霧事件」を見つけ、それを調べているうちに西鉄ライオンズの歴史が知りたくなり、それから身売り先の「福岡野球KK」を知りたくなって、最後は坂井保之氏の講演会を行ったという流れ。自分にとっては一つの興味であそこまで大きく膨らませされたのは嬉しいし、本を売ってもらえた古本屋さんや坂井先生には大変感謝している。

今、その虫がうずくのが「遊園地と遊具の歴史」で、きっかけは2001年に新宿区の歴史博物館で行われた「特急電車と沿線風景」という展示会、特別講演があり鉄道趣味界では知らない人がいない吉川文夫氏がたいへん面白い講演をなさった。その講演内で「日本の行楽は私鉄が影響しているものも多い」という流れで、遊園地の歴史を紐解き、始祖は花見や噴水、入浴などがそれに入ったようだ。

このblogでも紹介した「船橋ヘルスセンター」などはそんな大正から昭和にかけての行楽の大殿堂のような存在で、見に行きここに書いたほどだ。

ここでやっとタイトルになるが、かつて遊園地にはウォーターシュートという施設があった。今で言うTDLの「スプラッシュマウンテン」の最後の滝の落下部分だけをやるそうな設備で、この記事を書いている時点ではまだ日本に現存している。八景島シーパラダイスにある。
しかし今日を持って廃止になるようだ。

私が乗ったウォーターシュートは西武園遊園地で、池のたもとにあった。しかし私は絶叫系が苦手なものだからこの1回のみ、結構スリリングである。しかし傍で見てれば単なる舟の落下であるからアトラクション的には現在では古臭い存在だろう。

しかしこれは先頭に乗る船頭のアクションにウリがある。西武園では着水時に飛ぶだけだったが、他では爆転するなんて場所もあったようだ。「魅せる」という点ではこれに勝るものはなかなかないだろう。

まだ残っていたということさえ知らなかった。もう消えてしまった遊具とばかり思っていた。しかしその最終日に立ち会えないというのは大変残念だ。

PS:レールの上を走るということで広義の「鉄道」のカテゴリにしました。

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2005.10.31

JR銀行ができるのだろうか

<りそなHD>JR東日本と提携 カード事業と人事交流で

記事によればカード事業と人事交流を骨子とした業務提携で合意。JR東日本の電子マネー「Suica」の機能を搭載した新型キャッシュカードをりそな銀行で発行し、人事交流も大筋で合意とのこと。

これはりそなの社長がJR東出身だからこそなしえる技だと思われる。と同時に私のこれからの鉄道会社の基幹事業として「金融」を考えたい。空前絶後の消費者ローン会社の伸びをみるにつけ銀行各社もいずれはと思っていたところ東京三菱に加え最近は三井住友までが消費性ローンカード発行にやっきになっている。

これとは別のトレンドが7-11(セブンホールディングス)の「セブン銀行」、絶対的店舗の多さを活用しての端末設置、これが実に使いやすい。

マネーに詳しい人ならお気づきだと思うが、深夜土休日の銀行手数料は消費性ローンカードで借りて平日戻すという行為で半減できる。セブン銀行+ORIXカードで私は実践しているが1,000円だけ必要ならORIXで1万円借りて1,000円使い、その場で9000円返すという作業が同一店舗内で即座にできるのだ。手数料は金利だけである。

このシステムを「鉄道の駅」でできたとするとありがたい。JRは現在パートナーを各社に振り分けはっきり言って足元が定まっていない。私鉄各社も京急と新生銀行の組み合わせが一歩抜きん出ている(他社カードの利用料0)が小田急と横浜銀行、京王と都民銀行は単なる「場所貸し」だ。もっと付加価値が付かない限り「自社カード」以外の顧客はつかないだろう。

JR、私はいずれノウハウを得たところでりそなを買収するか、大幅な資本投入をしてくると思う。大都市東京や横浜、仙台、新潟などを営業エリアに擁する同社にとっての駅はまさにお金を生み出す場所だと思うからである。

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2005.10.04

ついに公表 E233 中央線に

かねてから仲間内では噂の中央線向け新車E231の後継E233が中央線に来年12月を目途にデビューすることがJR東より正式に発表された。

中央快速線及び青梅・五日市線に新型電車を導入!

リリースでは
・フルカラーLED案内(方向幕のこと)
・バリアフリーつり革
などがあり、電動車比率は0番台と異なり6M4Tとなった。800番台と同性能。

驚きはスタイリングで、0番台、500番台とは異なり近郊型の1000番台に似たフォルム。つまり先頭車の運転台部分が大きくなっているところ。トイレも付くかと思いきや、それはなかった模様。

いよいよ201ともさよならのカウントダウンがはじまった。

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2005.09.23

チッチキチーで歴史を知る

あまりTVは見ないほうなのだが、「チッチキチー」で現在人気沸騰中の「大木こだま、ひびき」には注目している。

古典芸能が好きな私はTVの落語中継や本格派漫才番組、NHK「バラエティー生活笑百科」は極力見ているので、この名前はどっかで引っかかった。

まずバラエティー生活笑百科に芸人の一人として参加している。ここにはかつて大御所の「いとし こいし」師匠が出たり、現在でも「阪神巨人」師匠が出ている古典芸能好きには外せない番組だが、残念ながら「チッチキチー」は聞いていない。

それよりも記憶にあるのが「お笑いスター誕生」の10週勝ち抜きだった。「確か・・大木ひかり、こだま だったような・・・」
ここで調べたのであったが、やはり間違っていなかった。ひかり氏が事件を起して解散になり、相方が「ひびき」氏に替わって続いているようだ。

ひかり、こだま と新幹線の愛称を芸名に持ってきたところがベタな大阪のセンスなのだが(おそらく中田ダイマル・ラケット師匠あたりが走りか) ひかりが消えて「ひびき」を持ってきたところにセンスを感じる。

ひびき、これは東京ー大阪の臨時特急だったようで、157系が使用されたようだ。定期特急がこだまだった頃の話だからこだま・ひびきもネーミング的にはあながち「思いつき」で出たものではない。

しかし”ひかり”が登場して”こだま”はひかりとともに新幹線に移行、ひびきはこれが最後で消えてしまった。のぞみの採用で、今後も日の目を見る確率は低いだろう。157系はひびきの任務解除のあとは「あまぎ」となって伊豆特急のイメージを一気に上げた。

私はまだ「ひびき」といえば「東海道線の特急」という印象を先輩から聞いてはいるが、ヤングな諸君は「こだまになぜひびきが」と疑問を持ったかも知れない。

色々探したが、芸人で列車愛称を使っているグループはここだけだろう。

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2005.09.18

青木栄一先生の講座を企画

かつて元西武球団代表、坂井保之氏をお呼びして講座を行ったということを書きましたが、この度学芸大学名誉教授青木栄一先生をお呼びしての講座を企画いたしました。有料ですが参加ご希望があればぜひ申し込んでください。

講座は以下の通りです。

懐かしき都電 ~文京の交通機関の過去・未来~

日程、講師(敬称略) 

10/1 明治からの交通機関の歴史   東京学芸大学名誉教授 青木栄一

10/16 世界の路面電車、LRTとは    路面電車研究家 堀切邦生

10/29 文京区とバス            交通ジャーナリスト 鈴木文彦

11/12 懐かしの都電(画像で辿る文京区の都電風景)
                        箱根登山鉄道顧問 宮松丈夫

11/26 地下鉄の歴史、文京を走る地下鉄  元営団地下鉄車両部長 里田啓

12/10 交通機関を市民が育てていくには(公開講座)
東京学芸大学名誉教授 青木栄一

場 所 : 生涯学習センター学習室(シビックセンター地下1F)
時 間 : 13:30~15:30
費 用 : 3000円
申込み・お問い合わせ : 文京区生涯学習センター  電話 03-5803-1121

以上となります。この企画は私がお知り合いになれた専門家の方々にお集まりいただき、特に趣味を越え、どう社会的に鉄道を利用し、維持し、育てるかなどを中心にお話を聞こうと思っています。また懐かしい都電の話題や世界中の路面電車のお話、営団車両設計秘話などもうかがう予定です。

毎週は難しいという方でも大丈夫です。また最終回に限り公開講座といたしました。従ってこの回のみ参加の場合は無料になります。(定員に達したところで応募は締め切ります)

私、SATOが毎回の司会を勤めます。どうぞたくさんの方のご来場をお待ちしています

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代表はテツ

民主新代表・前原氏は「ジャニーズ系」

先週の今頃は投票、民主で政権交代を期待していただけに今回の選挙結果は個人的には残念、しかしここまで完敗すれば頭も切り替わり4年(できれば早期解散を願いたいから2年)の舵取りをじっくりみたいところです。

敗軍の将、兵を語らずのとおり、学級委員がそのまま議員となった政界きってのクソ真面目岡田氏は早々に代表辞任して新代表は管氏と2票差で前原氏となったようです。

タイトル記事の最後にこう記載されています。
熱狂的な阪神ファン。「国会一の腕前」と自負するSLの写真撮影が趣味だ。

経歴に「鉄道ファン」というのを公言した議員ははじめてみました。だから民主はおもしろい。構成メンバーに脈略がなく、政治とは無縁の趣味を持つ人や出身経歴がばらばらというごった煮政党だからです。

かといってそれが良い政党であるかは別問題ですが、判で押したような2世議員と官僚の天上がりの自民とは味の違った政党であることは確かです。しかしこういうことは一般人にはなかなかわかりにくいですね。

真面目を売りにした岡田、個人的には好きでしたが政治家という才覚の部分では失敗でした。今度は鉄道ファンの代表、さて一矢を報いるか、それとも返り討ちならぬ回送電車になるかはこれからです。

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2005.09.16

こんな定期券 欲しかった

新定期券発売/福島交通

福島交通でユニークな、しかしどうして出なかったか不思議な定期が発売されるようだ。
3つほど記事にはあったが、私が「欲しい」と思ったのは 通学に片道だけバス利用を希望する学生を対象にした「片道通学定期乗車券」である。

たしかに回数券という方法もあるのであるが、途中下車したら前途無効になってしまう。そこで片方向だけの定期というのが存在すればと何度も思ったのだ。
通勤時、行く際は寄り道などまずしないからこっちは回数券で、帰りはどっかで一杯やってだから定期で、こんな通勤もしてみたかった。
別のアイデアならこうだ。行きは通勤ルートが決まっているから定期、帰りはいろいろ寄って行きたいからキップということもあるだろう。

私も新宿ー九段下の通勤時代新宿線の定期を持ちながら何度も高田馬場経由で帰宅したことがある。こんなときは定期が無駄になってしまった。最後は定期買わずにキップだった。

乗客減でこれからはきめの細かい定期も出てくるだろう。それには自動改札といった技術の進歩も加わっているはずだ。週に何度か区役所に通うことがあるが、時間帯を自分で決められる定期ができたら私はきっと買うと思う。

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2005.09.10

台風の余波 高千穂鉄道存亡へ

高千穂鉄道存続の危機(yahooニュース 西日本新聞)によれば、先の台風で鉄橋に被害が出た「高千穂鉄道」が存亡の危機に立たされているようだ。

記事によれば
五ケ瀬川のはんらんで橋脚部分だけが現状維持となり橋りょう部分は流出の模様、第一、第二五ケ瀬川鉄橋該当の箇所のようだ。

同社社長も「復旧は年単位」と長期に止まることを述べている。

台風被害と言うと大糸線や数年前の大井川鉄道で例があるが、前者はJRという広域の大手、後者はSL運転などで観光鉄道化されたもの、と復旧できた。大井川の実状はわからないが、現在の経営状況から見て相当厳しい費用投入だったことは想像できる。大井川には当面、新車(他社からの買取)は出てこないようにも思える。

第3セクター経営の鉄道も交付金が止まってからというもの廃止、ないしは廃止前提が増えている。ちほくは廃止、樽見も危ないと聞いているし、あの優等生だった三陸でさえ沿線からの助成金で乗客増を図っているほどである。

書籍で記載を見たのであるが、かつて台風で橋を流された「岳南鉄道」は記念乗車券を乱発してその費用に当てたとかいう話があったようだ。もう20年以上前の記事で現状にこの事例を出すのはあまりに無理がありすぎるだろう。

鉄道トラストとして寄付を募ることは他社で被害が出なくともやっているが、その制度をいれたちほくでさえ力尽きる、もう一般人の力の結集程度では立ち行かない現実があるようだ。

交通権という言葉を聞くが、高千穂にこの権利で保護すべき人間がどれほどいるのであろうか、また代替機関に差し替えるというのはそんなに血の通わない政策なんだろうか。部外者の私にはわからない。

ただ一時の感情で騒いで自滅した可部線の廃止区間維持とは違い、この鉄道は観光資源としては価値があるように思える。大局から見たら廃線は惜しいとも思う。しかし維持のために地元の税金が相当量投入されたり、運賃がバカ高くなったり、サポーター会費が年額10万円になったりしたときに賛成できるかはわからない。

鉄道維持の難しさを知った。

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2005.08.28

TX 種別考

新線が開通するとどうしてもその話題に集中してしまうが、ご勘弁の程を。

「カイソクブログ」(このところ更新できず失礼)を持つように快速には幼い頃から興味を持っていた。TXは一風変わった快速が設定された。

区間快速である。この「区間快速」は関東では初の設定となる。そもそも「区間**」というのは関西が主流で、調べたところ京阪と南海が「区間急行」を設定している。
かつてのような方向幕なら「区間快速」とフルネームで書かれたと思うが、案内板にも方向幕LEDにも「区快」という記載、これなら思い切って「区快」としてしまったほうが良かったかもしれない。南海は「区急」と書かれている。(現地でどのように放送されているかはわからない)

関東では西武がダイヤ改正前まで「区間準急」を持っていた。現在だと東武本線が「区間準急」を同じく持っている。

本家の「区間**」は本当に区間だけ優等と同列で区間を過ぎると普通になる。京阪だと区間急行は淀屋橋ー守口市が急行、そこから先は普通になる。
これが西武のときは良かった。練馬までが準急で、あとは普通という停車駅だった。が、東武となると曳舟ー北千住は準急より速い、新越谷から先が普通と2つの顔を持つ種別だ。

さてTX
050824_220500010001
ローマ字表記に注目である。「Semi Rapid」 直訳すれば「準快速」となる。前述の東武の例を出す。
050824_221900020002
「Section Semi EXP」 これぞ区間準急である。区間快速がこれを倣うなら「Section Rapid」 これが正解だろう。

停車駅を見てもわかる。北千住ーつくばでは快速が止まる駅に加えて八潮、三郷中央などが加わり、守谷から先が全駅停車と停車駅が全く同じというのは都心部分だけという珍しい例だ。

関東の他例に倣えば急行と準急や、特急と急行、急行と快速 といった並びの方が理解されやすかったと思われる。

いったいどういう理屈で快速と区間快速を選んだのかを聞いてみたい。

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TX 駅食はどうなった?

TXに全線乗ってきました。私の嗜好は乗りつぶしよりも車両ですからとんぼ返りの一日でした。

気になったのが「立ち食いの類」、関東鉄道へ乗り換えた守谷駅で冊子を配っていました。
直営のショッピングモールが守谷と八潮にできる(できた)ようです。

まず先発は八潮、開通日に完成したようです。改札外に7店舗あるようです。立ち食いはなんと「あじさい」(NRE)が入りました。TXへは資本投入をしていないJR東ですが、外食では関係ができたようです。個人的にはご愁傷様です。小田急の「箱根そば」や我孫子の「弥生軒」ならよかったんですが。またイタリアントマトカフェジュニアというセルフ型のコーヒショップが入っています。FCと書いてあるところから、TXがFCの権利を買ったものと思われます。同例の業者ならプロントになります(ここはサントリーとUCCの合弁企業)

守谷は未完成です。9/15が完成のようですね。同じく改札外ですが2階建てになっています。ここでもあじさいが入っています。加えて「吉野家」が入っています。あじさいに吉野家とJR赤羽駅に似ております。JR東に指導でも受けたのでしょうか?
ただ本屋は「くまざわ書店」が入っています。八王子の本屋さんからスタートして、現在ではあちこちに店舗を拡大しています。コーヒー系はVieDeFranceとタリーズというパンVSコーヒーとなりました。ドトール、スタバが全く入らないというのも珍しい例でしょう。

特筆するのがラーメン、西武新宿駅前の「ザボン」が入りました。ここ20年以上前に食べており、当時は新宿と高円寺にお店があったと記憶していますが、いつの間にか多店舗展開をしていたようです。驚きました。築地「銀たこ」も入っています。

またなぜか両方の店舗に洋服直しの「ママのリフォーム」が入っています。このお店はアウトレットモールでよく見るのですが、そんなにニーズってあるんでしょうか?

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2005.08.17

有楽町線、突然ドア開閉

地下鉄ドア「開・閉」2度誤作動
yahoo!ニュースによれば東京メトロ有楽町線の池袋―要町間で16日、走行中の下り電車のドアが一斉に開いたトラブルが起きたようだ。発生時刻は午前8時17分ごろで新木場発清瀬行き普通電車の進行方向右側のドアが一斉に開いたとのこと。

画像の出たサイトなどを見たところ7010Fが該当の車両らしい。偶然だが営団時代に撮影したものがあったので紹介する。

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東池袋にて 2003年1月11日撮影

国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の原因調査が17日に行われたようで、運転台の配電盤部品 の不具合で、走行中にドア開閉ができないようにする安全装置が常に作動しない状態になっていたようである。またこれを受けて国交省は東京メトロに対し、保有する7000系の安全装置の緊急点検を行うよう指示したとのこと。

私は同日夜、有楽町線に乗った、しかし事故のことは表示がしておらずNETを見て知った次第である。7000の点検を指示したようだが、同じようなタイプの6000や8000も点検をした方が良いかもしれない。

現在6000や8000は更新工事を終えるとドア窓が大きくなる改造を受けている。詳しくは鉄分の濃い日々に記載されているので参照してほしいだが、有楽町線の7000は更新工事を終えてもドア窓の大きさは変わっていない。この事故がきっかけで更新工事の順番が早まるのかもしれない。

ドアの不具合というと開かないなどは何度か聞いたことがあるが、開いてしまったというのははじめてである。お盆、そして逆方向なので人身事故にはならなかったようだが、時速50kmで走っていたそうで、私のようにドアに寄りかかってしまう人間には怖い事故だった。

 

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2005.08.11

メトロと小田急 今度はバスで

ロマンスカー乗り入れ計画、小田急メトロパス発売と、このところ連携が目立つ東京メトロと小田急電鉄が今度は小田急バスも交えての連携をはじめるようだ。

「御殿場ハイウェイ&メトロパス」と名打ったこの商品は小田急の高速バスと東京メトロの1日券をセット販売して割引をしたもので運賃は、正規運賃で3,970円のところ3,400円と約500円安くなっている。

例えば東武との連携キップや本家小田急との連携キップの場合は目的地の往復ならばあまり効果が出ない場合も多く、普通運賃で行くかは一考の余地があったのだが、今度は御殿場発である。御殿場なら間違いなく都内散策するはず。これは間違いなくお徳だろう。

ただ気になるのが同じような行路の特急あさぎりである。確かにJR東海がからむだけにあさぎり割引キップの販売は難しいかもしれないが、真っ向ぶつかる商品になった。あさぎりは乗車率もあまり良くないとも聞く。これがきっかけで廃止の方向へ進むということはないだろうか。

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新駅と路線変更

東京モノレールのHPによると羽田空港国際線ターミナル設置でモノレールの路線変更と新駅設置が予定されている模様。
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近辺の詳細な地図を見る限り、現行の路線を少し空港側に移設するようだ。ちょうどかつてターミナルの入り口あたりが改装され(現在工事中)そこに設置されるようである。

東京モノレールがJR東の関連会社になってからというもの色々と新アイデアを出して意欲的になっているのがわかる。第二ターミナル駅新設や快速運転、浜松町バリアフリー乗換などがそれにあたる。加えてレトロ塗色も復活させるなどマニア心もくすぐる。

こうなれば是非大井競馬場ともタイアップしてほしい、入場券つき往復キップなどはすぐにできると思う。かつて大井競馬場に通った自分として、あまりに冷たいモノレールの扱いに思わず立会川まで歩いてしまったほどだ。

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2005.08.06

ヲタの夢 かなう!

運行中の列車でアナウンス体験 三木鉄道(神戸新聞)

ここ数年鉄道がブームなんであろうか。ノスタルジーものの特別列車を走らせるなどの企画を数多く見たが、これぞ決定版という企画を三木鉄道が考えた。

俗に「セルフ」と呼ばれる「頼みもしないのに勝手に次駅案内をする輩」というのがしばしば車内で見受けるというのをここで書いた。ただ鉄ヲタ心理とすれば「車掌の真似事」というのは一度はしてみたいもの、事実私も小学生時代は親戚相手に特急電車の車掌の真似事を披露しては悦に入っていた。

年に一度JR東の大井工場が公開になるのであるが、数年前に停車中の電車の車掌室にお客を入れて車掌の真似事を体験させるという企画があった。小学生に混じって大人も参加している姿を見た。やはり一度はやってみたいのだろう。

今度は「営業運転」の車掌体験(アナウンスだけ)である。これは間違いなくうける企画だろう。

しかし考えてみればコロンブスの卵なんだが、どうして今までやらなかったのが不思議な企画である。成功することを切に願う。

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2005.08.05

都営浅草線 新型ATS導入

yahooニュースによれば「1号線規格」のATSが装備されている浅草線で新型のATSを導入することが決まったようだ。
記事によればJR福知山線脱線事故がきっかけだったようで、国土交通省の指示による緊急整備個所に該当する曲線はないようだ。また計画によると、06年度末までに、全27編成の車両に車上装置、一部の地上装置を整備するとなっている。すでに運転が中止されていると言われている5200系は当然対象外だが、5200の補充分増備があるかと思っていたら、それはしないようだ。他社の車両でまかなっていくのだろう。

都営のリリース

また記事では他社のことにはいっさい触れていない、京急をはじめとして乗り入れが多いこの路線、他社の動きはどうなるのかが気になるところである。特に北総は7000がそろそろ寿命的に怪しいのでこれをきっかけに一気の廃車になってしまうのではと少し心配だ。
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この車両は大丈夫。京急新1000系

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2005.08.03

異業種片乗り入れ

東武伊勢崎線北千住駅構内に「ranKing ranQueen」出店

4月のニュースといささか旧聞ですが、半蔵門線が縁で東急が構内出店をはじめた模様。

昔といえば私鉄は百貨店を持ち、ターミナルに出店し、そこに集客を図るために電車を走らせるというのが業務展開の一環だった。しかし東急が東急ハンズを沿線外にも出店するなど80年代から徐々に関連企業が勢力を他の路線商圏に広げていくという例が増えてきた。

2000年あたりからはエキナカビジネスとして駅の構内にまで他社の関連企業が出店するという例が出来てきたように思える。きっかけはさぬきうどんブームと私は見ている。

さぬきうどんのブームに一足早く乗ったJR四国が「めりけん屋」を東日本の駅で展開、これがパイオニアと思う。

次にエキナカビジネスを行ったのが予想外の京阪。京阪というと鉄道や不動産といったいわば鉄道事業の王道を展開する企業で百貨店は守口と枚方2店という流通では地味な存在、そこが「ジューサーバー」という生ジュースのお店を関東、特にJR中央線沿線に展開をしているのだ。
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西船橋にDeliaに出店している店舗

そして売れ筋商品だけを揃えたという「ranKing ranQueen」 、ハンズで一躍存在感を出した東急が送り出した店舗である。

私鉄各社はフード系を中心に得意分野を持っている企業も少なくない。このblogで取り上げた京王電鉄ならカレーのC&C、小田急なら立ち食いそばの箱根そばとおだむすび、そんな中、東武は鉄道事業以外は地味であったところを見ても他社からの提案を受けやすい土壌があったのかもしれない。ジューサーバーに関しては東上線池袋にも出店している。えきればカレーのC&Cも出店してほしいところだ。

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2005.07.31

人事異動を経験した電車

某球団では前任の監督を更迭した際「人事異動だ」とのたまわった人がいた。後任者も実績が出せずどうやら本当に人事異動となり復帰する芽も出てきた。

電車ではこういう理不尽な人事異動はないが、想定外の移動がありもとの職場に落ち着いたものもある。

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このblogで数度紹介した東急の8590系、その中でも8594と8595は人事移動を経験している。そもそも8590自体が計画変更から登場した形式で、そのあおりを食って人事異動ならぬ出向になってしまった車両さえいた。

東急は車両の軽量化をはかり8090系を東横線に投入し急行運用に当てた。ところがMM21計画が持ち上がり先頭非貫通車を東横線に配置することができなくなり、急遽8080の先頭車に貫通車を用意し、かつモーターを搭載した形式を用意しなければならなくなった。これが8590になる。8080は東横線急行運用を終え、今は大井町線の配属になっている。

MM21計画対応にも関わらずなぜ田園都市線にやってきたか。これは東横線のATC化ならびに田園都市線の既存車両改造というタイミングがあったからだ。東横線ではATCになり運用数が減った。加えて元住吉の車庫が手狭になり車両が置けない、一方田園都市線は8500系の東武乗り入れ改造のため反対に車両が足りない。そこで貫通路を持つ8590に白羽の矢が立った。ただ暫定の措置だったようで半蔵門線延長準備が進み、東武ATS非搭載の車につけられた○Kのマークがこの電車にも貼り付けられている。8500の改造も無事済み、東横線にも新車導入、8000の廃車などが進み無事元の職場に戻った。
○Kに関してはKaz-Tさんがここで詳しく書いている。

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メトロの8000、それも12~14は当初東西線に配属された。これは既存車だった東西線の5000が非冷房で、当時冷房化を図っていた営団(メトロ)で線区格差が起きないようにと半蔵門線向けの車を東西に投入してその場しのぎをした。後に新設計の05が入りこれらも半蔵門線に帰っていった。人事異動というよりは仮配属と言ったほうが良いだろうか。

普通、車両はその線区に合わせて車両設計をするのでJRを除けば移動は少ない。もちろん大阪市や西武のように線路がつながり比較的移動がたやすいもの、東武のように移動が定期事例のようになっているものもあるが上で紹介した例はそれとはちょっと異なる。

まったく想定外の転属、車両はどんな気分だったのだろうか。

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2005.07.19

じゃ パンダで

1980年代は携帯もなく、ポケベルはビジネスマンのツールだった。だから学生の待ち合わせは一定の場所というのがあった。

東京駅には銀の鈴という待ち合わせ場所がわざわざ用意されていた。ここで待ち合わせをするお客さんは多かったようだ。

新宿は「アルプス広場」というのが連絡通路にあった。あずさの乗り場の前である。しかしここは国鉄以外は使えない。

一般の人は「西口交番」を多用した。私もお付き合いした女性との最初のデートの待ち合わせはここだった。説明が簡単なのが良かった。

しかし京王線沿線ユーザーはもっとたやすい待ち合わせ場所があった。「パンダ」だ。
パンダといって通じるのは30代以上だろう。京王西口、改札を出てすぐの売店の前にスタンプを押すパンダのぬいぐるみがあった。京王は他にも同じ位置の天井に大きなうちわや天狗のお面をかざった。高幡不動の参詣の宣伝であったり、高尾山への宣伝のツールだった。京王線がまだ行楽に力を入れていた頃である。パンダは平成になっても残っていたと記憶している。しかし今はなくなってしまった。

それでも友人とは「パンダ」で通じる、昨日も待ち合わせの携帯メールが入った。「パンダにいます」と書いたらきちんとその場所に来てくれた。彼も京王線ユーザーだったからである。他線ユーザーには全く通じない暗号だろう。

東急渋谷にもあったらしい、通称「東急ボード」 東急の案内が張られている場所があったようだ。

携帯全盛となり、こんな暗号も必要なくなったのだが、「パンダ」で通じるのは京王線くらいだろう。他線の思い出話も聞きたい。

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2005.07.11

野望達成、まもなく

東急の話を続ける

メトロの原型は東京地下鉄道と東京高速鉄道であることは有名だが、東京高速鉄道は東急の祖、五島慶太氏の関連企業で東京地下鉄道の乗っ取り工作をしたとも聞いている。新橋の駅が通常とは異なっているのはこのことが原因らしい。(詳しい記述はここに)

東急(東横)が東京の私鉄を次々と買収していったことはファンには有名で、西武と東武以外はあらかた東急になってしまったということもあった。終戦後、おのおの独立していった。

東急は相互乗り入れの道を選んだ。中目黒から日比谷線に入るということである。20mを推す2社に対して自社の18mを譲らず18mで建設された。営団としては本格的乗り入れの歴史の第1ページが開いた。半蔵門線の免許を渋谷以西獲得して半蔵門線にも乗り入れ田園都市線を立派な通勤路線に変えた。

東急の転機は南北線と都心線(現目黒線)の建設が本格的になった時だ。ここで南北、都営三田を乗り入れ先として手に入れ、銀座・丸の内・大江戸と物理的に乗り入れ不可能の路線を外せば4線に足を伸ばした。そして現在建設中の13号線にも東横線の優等を乗り入れる計画が出た。新宿3丁目までの乗り入れも積極的に行うようだ。

かつて買収で東京を席巻した東急が今度は乗り入れで東京を走り回る。13号線のルートは渋谷、新宿、池袋というターミナルである。加えて従来からの乗り入れで上野も永田町も大手町も霞ヶ関も押さえた。友情乗り入れで南栗橋に加え飯能や川越市もその範疇に入るはずだ。

残るは千葉だけだろう。メトロの工夫で意外な渡り線活用が出るかも知れない。そのときも東急は躊躇せず新しいアイデアに乗ってくるだろう。

東急の野望達成はもう目の前だ。

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2005.07.09

お姉さんはツライよ

東急では「伊豆のなつ号」という臨時急行を7月一杯の土日に走らせるようだ。(リリース

このところ多忙で全く鉄道趣味ができず、悶々としていたが、久しぶりに出かけてみた。
タッチの差で渋谷発12:37の元町・中華街行き急行は仕留められなかったが、同行の志によれば「ものすごい人でしたよ。女性車掌目当てもいたし」とのこと。

東横線沿線には撮影の名所というものがあり、例えば自由が丘の横浜よりは全景が綺麗に写るので有名、複々線になった多摩川の渋谷よりは併走までバッチリ写るとファンが鈴なりになる箇所。このあたりも同業者満載状態だったようだ。

さて、撮り損ねた私は戻り便を撮影することとしてまずは横浜方面に向かってみた。どうやら「急行 元町・中華街」が人気だったのか、光線の関係かで名所と呼ばれる場所にはもう人は減っていた。よって多摩川で撮影をすることにした。

無事撮影も終了、お目当ての電車に乗ったのだが、そこではやはりというかあの事件がおきた。

          セルフの一発

新線開業、臨時電車などが走ると必ずこういう類の人間が乗ってくる。奇声をあげる輩、意味不明のことをつぶやく輩と鉄趣味が不気味と言われる原因の一つだ。
今日はミス**がプレゼンターとして乗ってきたが、しきりと伊豆急の自慢話をしていた。あげくは車内で記念写真を撮ってくれと、かつて「とんねるずのみなさんのお陰です」に出てきた「ノリユキ」のようなことを言っていた。偶然だがそのミス**の横に座ったのだが
「??? 何だよね? 困るよ全く」「本当に***」と横の女性とひそひそ話。そりゃ困るでしょう。どうやら道中延々とからまれていたらしい。

渋谷でやっと開放され、本来のお仕事についていた。こちらでは満面の笑顔、一仕事前のきつーい一発。お姉さんご苦労様。
 

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2005.06.19

今、語る 俺の模型時代(後編)

中学3年になった、受験がはじまるころだが、私はマイペースでキットを組み立てていた。
レア物という言葉があるが、以前より事業用車とか1両だけの珍車というのが好きで、気動車ファンになったのも「編成の自由度」というのが最大の理由だ。だからキハ58とキハ17をつなげて遊びたいなぁ(当時は鉄道模型社がキットを出していたらしい、カツミがやっと完成品を出した。小高のペーパーキットがあった程度)と常日頃思っていた。
そこに友人の一言「飯田線に行ってみないか? あそこはすごいぞ」
行ってみた。すごかった。気動車から旧型国電に興味の対象を鞍替えした。しかし旧型国電はピノチオがブラスキットを出すのと、カワイの80、70、73、カツミの73とペーパーキットだけで51系や42系は殆どない。図工が5の友人はペーパーキットを見本にどんどん自作していくが、私は相変わらず子供の工作だった。差はもう天地ほどになってしまった。

私が模型に限界を感じたのはこのあたりだ。写真はそれでもまだまともだったし、親父の一眼レフを永久貸与という特権ももらった。模型から写真へと移行した。そして高校進学となった。

ここで決定的なことがおきた。「まわりに鉄道ファンが0」ということである。友人は違う高校に進学、郵便局のバイトにあけくれた。私はというと鉄道趣味からバンドだアイドルだ。と普通の高校生へと変わってしまい。鉄道熱は半減した。でも0にはならなかった。

駄目押しは大学進学、念願の鉄道研究会に入ったのだが、ここがおよそもてない変わり者の巣ということで、模型はおろか鉄道にも嫌悪を抱くという結果に・・・・ 趣味は昭和が終わるまで復活することはなく。模型に至っては未だ復活していない。

TOMOの鉄日誌 では管理人氏が楽しくいきいきと運転会の様子をレポートしている。このblogを読むたびに復帰熱が上がるのだが、踏み切ることはない。

もし図工が5とはいわず4だったら。もし高校にファンが1人でもいたら。違う大学に進学していたら・・・ もしもは許されない。私と模型はもう離れてしまったのである。

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2005.06.12

今、語る 俺の模型時代(中編)

キハユニ18、1台で開業したお座敷鉄道だったが、転機は意外に早かった。出入りしている模型屋が固定式レイアウトを作るというのだ。その製作をして欲しいと頼まれた。

自慢ではないが音楽の成績は4でも図工は2だった。絵は描けない、工作は満足に完成できない。とおよそ鉄道模型に向かない資質の私に仕事が振って来たが、同期の友人がメキメキと仕事をかたずけるのを尻目にまさに「子供の工作」レベルのストラクチャー作成。当然、没となり私はバラスト確保要員となり、ストラクチャー製作は首になってしまった。生まれて初めて「首」を味わったのである。

模型屋店主も私を哀れに思ったのだろう。バラストの場所を教え、それを篩う作業を与えてくれた。なぜそうまでさせてくれたのか。

固定式レイアウトの永年無料使用権を渡すための仕事をさせたからである。府中にあったその店は大半が大人、高校生、大学生がその半分というメンバー構成のなかで小学生という異例の若さで常連となり、永年使用権を得たのであった。小学生で早くも「居酒屋」を得た感覚だった。

完成したその日から「お座敷」は卒業し、ひたすら車両製造に明け暮れた。ペーパーキットに最初は取り組んだのだが、図工2が災いして完成できず、ブラスキットはなおできずと完成品の購入での増備しかなかった。そうなると単価の安い「貨車」になるのは想像に難くなく、今、貨車好きなのはこのときの原体験である。

そうこうしているうちに「中村精密」という会社からプラの客車キットが出始めた。それも私が好きな10系、小遣いの大半をこれにつぎ込んだ。Nゲージでグリーンマックスがキット販売で伸びに伸びていた時期のことであった。

DD51という立派な牽引機とSLがあまり好きではない私に宮沢模型のC58というSLが加わり、気動車構成だった私の模型鉄道会社は客車と貨車という極めてコストの安い会社に衣替えしたのであった。

もし図工の成績が良かったならばこういう展開はなかっただろう。その理由を次回に書く。

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2005.06.11

今、語る 俺の模型時代(前編)

鉄道模型、今でこそ完全引退であるが、一時は実車以上に趣味であったことがある。

私と鉄道のつながりは親父に聞けば昭和37年、つまり生誕のときからあったらしい。しがない機動隊の隊員であった親父に一人の気の弱い男の子が生まれた。つまり私である。気が弱い、証言によれば何気ないものに異常に反応して泣いたと聞く。
一つは「人形」であったらしい。伯母によれば「アンタは人形を入り口に置いておけばそこから先は絶対行かなかった」と。また夜鳴きがひどく親父を困らせたと聞く。
そんなときはしばらく歩くとある京浜急行の踏切に行ったそうだ。そこに行けば一発で夜鳴きがなくなったと聞いた。もうこの時点で「鉄道趣味」の芽が出ていたようだ。

模型は小学校5年のときにはじめて触れた。それでもプラレールの存在は知っていたし、もちろんあきれるほど持っていた。しかし目の前を走る「ほとんど実車」と変わらない模型が私の脳裏にいっぺんに焼きついた。と同時に販売されていた「鉄道模型趣味」(TMS)のカラーページに一発で参ったのである。中村汪介氏が入っていた「東京スパイククラブ」(TSC)の固定式レイアウトの画像だと思ったが、大滝の周りを走る特急が印象的だった。

それからである。むさぼるように本を買った。小学生の身の上である、鉄道模型は大人の趣味。本は高くなかなか買えないが、それでも「小レイアウトと小型車両」「楽しいレイアウト」「レイアウトテクニック」などを買って慰めていた。

そんな私も友人の後押しがあり、やっと車両を1両とパワーパック、レール20本とサービスのポイント1個で「お座敷レイアウト」デビューができたのであった。

昭和48年10月のことである。キハユニ18(カツミ製)を1両持って飽きるほど線路を往復させたことを今でも忘れない。

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2005.04.06

ヘルスセンター展覧会に行って見た

ここに書いたように船橋市役所で「船橋ヘルスセンター」の写真展があったので出かけてみた。

市役所を入ってすぐ右側のスペースにパネルが2枚と中央にガラスケースがあるコンパクトなもの、しかし内容は充実しており実に良かった。
メモをしてこなかったのであるが建設前夜から最盛期の写真や入場券、果ては京成の車内広告まで展示してありレトロマニアには垂涎の代物ばかりである。
何でも天然ガスも出てそれでお湯を沸かしたそうだ。確かに千葉は天然ガスが出たと聞いたが、船橋でも出たとは知らなかった。
また大人気で増床に次ぐ増床で大きく広がって行ったようだ。乗り物もジェットコースターや観覧車など昭和30年代では外せないものは一通り揃っていた。しかし特筆できるのがボウリングにゴルフ練習場、人工スキー場を用意していたところ。なるほどザウスの原型がここにあったわけですな。今思えば健康センターに遊園地がついたもの。そうだ! ラクーアだ。ラクーアは船橋ヘルスセンターが形を変えて東京に出来たものなんだ。惜しむらくは「ステージ」がないこと。あの大ステージがあればもう言うことないのだが・・・
パネル裏面にはステージ参加の芸能人が写っていた。灰田勝彦(野球小僧を知ってるかで有名な歌手)をそこで見つけた。

本当に幕の内弁当みたいなレジャーランドだったんだと再認識、しかし船橋市も渋くて素敵なイベントをやってくれたものだ。

なお公共交通で行くなら西船橋が便利、船橋からはバスがなかなか来ない。京成船橋からなら歩くこともできそうだ。15日までなのでもう一度のぞいてみたい。

#撮影禁止とは書かれていなかったが道義的に撮影は良くないと思い1枚だけ記録として場内を撮影してきた。
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2005.04.03

京王で一番地味な車両物語

この記事に触発されました

南海の50000は誰が見てもすぐ覚えられる車両だし、新幹線は世界にも名が通ずる車両です。その対極にあるのが地味な通勤電車、例えば103系などは「いつでもそこにいる」ということで趣味人以外にはあまり興味を持たれない車両になります。

私鉄に目を向けると、東武の8000、東急8000、京急1500などが該当します。どれもが没個性で比較的実用を重視したもの。それもそのはず通勤電車には特徴は不要です。しかしこれらは長い間作られているので出るたびに改良が進み最初の車と最後の車では全然違った出来合いになっていることも珍しくありません。京急などは最初戸袋窓付きの4両で落成しましたが、最後は戸袋窓なしでVVVFと大進化を遂げています。

京王は路線が短く、1500V昇圧の際に車を大幅に入れ替えたため個性が比較的豊かな車両がいました。
5000系は誰しもが認めた関東の名車です。2000系は・・まぁ地味だけど湘南形だし。6000は京王線では初の20m車で両開きドアと顔つきは没個性でもデビュー時は個性的でした。
8000はVVVF搭載でグッドデザイン賞受賞。9000は名車5000の後を引き継ぐという触れ込みですが・・ ひょっとして将来の地味車候補でしょうか。

さて名前が出てこなかった7000系、これが今回の話題です。7000は6000をステンレスにして窓回りを少し直した程度の車で登場時から「地味な車」が決定していました。加えて5連で各停専門とどう見ても華やかさはありません。事実、沿線でこの電車を追いかけるという話はあまり聞きませんでした。

が、一大転機がやってきました。1986年頃でしょう。変わった形の7000が出てきました。7021です。ステンレスのビートを少なくしてすっきりとしたデザイン、窓上にも張られた京王の赤とそれまでの7000が大人になったようなお化粧をして出てきました。これをはじめて通勤途上のつつじヶ丘駅で見たときは驚きました。

これは後日わかったことなんですが、このとき7000に優等対応できる専門車を作るという構想があったようです。従って見た目を変える必要があったようです。しかしながら計画は頓挫、でもデザインはなかなか良かったので従来車も改造されました。まず第一回目の改造です。

京王は5連で出した7000をまず6連に伸ばしました。そして利用者が増えたことから8連へと成長しました。6000が辿った道と全く同じです。しかしここで2連が出てくるとは思ってもいませんでした。これはラッシュ緩和策の一環で10連を新宿に入れるための措置でした。6連で止まっていた5編成にはなんと4連が出てきました。2,4,6,8,10と編成長がこれほど豊かな車両はなかなかありません。地味ながらここは派手な7000です。

赤帯が足された7000はその後の見直しでつけた赤帯を取り去られてしまいました。思えば後輩の8000がそのデザインを踏襲したようで、8000との区別をするためだったのではないでしょうか。第二回目の改造です。

5000が惜しまれつつ京王線を去ったとき、この日から7000はユーティリティーフレーヤーの本領を発揮します。6000が8連か10連、8000が10連(当時の8連は橋本特急)だったのに7000は持ち駒で全部穴が埋められました。8連は通しの6番以降か6+2、10連は21番以降か8+2と余っている車を適当に足したらそれが出てきたという
位の考えだったんでしょうか。臨時便には強かった7000です。

2001年にダイヤ改正があり、それまで代打人生だった7000の優等も定期の仕事が入ってきました。10連は分割がないので準特急に、8連は橋本快速になりました。また時々は特急に入ったりもしています。

登場時から地味だった7000、裏方人生を歩んだ7000、しかしようやく実りました。それは豊かな編成というほかにない特徴がそれを生かしたのです。

7000はこれからも走り続けるでしょう。いぶし銀という新たな称号をもらって

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2005.03.31

飯田線~旧型のあった風景3

名古屋に行ってきました。本当に20年以上ぶりに豊橋に降り立ちました。飯田線ホームをしばし眺め感慨にふけりました。さて今回は珍車を少し紹介しましょう。

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クハニ67の900番台、クハニに関しては前述のとおりである。見たとおりのクハ55の前ドアを荷物用に代えただけにも見える。この車は前面の貫通路に青を塗らない塗り分けだが、塗りつぶした車もいた

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クハ47011、これぞ珍品中の珍品。17m事故車を20m改造してクハとしたもの。この1両しかいない。顔つきは後年の63に酷似している。63顔の2ドア車だったが、飯田線では没個性の顔つきだった故、そんなに人気はなかった。第一次廃車候補から外れていたので殆どの人がノーマークだったが、突如廃車候補になってしまい80系と入れ替わりで消えてしまった

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同じくクハ47だがこれは009と思われる。飯田線のクハ47は元クハ58の100番台が比較的多かった。非貫通は身延線に行ったものや、後にクハ79に改造されたもの、新潟でクハ68に改造されたものなどがあり、非貫通そのものも少数だったようだ。しかしながら飯田線はサロハ改造のクハが3両もいた。後ほど紹介する

FH0000310001

これはおまけ画像。大糸線に行った「合いの子」43系。大糸線も20枚程度あるのでいずれ紹介する

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2005.03.16

真打の底力 大宮エキュートに賭けるJRE

3/5 大宮駅に「エキュート」ができた。JR東日本がいわゆる「エキナカ」ビジネスを本気で取り組む意気込みを見せる第一弾だ。
立ち食い研究家の私にとっては外せない出来事。さっそく6日に出かけてみた。

はっきりいって「ものすごい」の一言である。デパチカという言葉があるが、デパチカがまるまるホームコンコースに引っ越してきた。という状態である。

持ち帰り惣菜やスウィーツなどもあるが、ここはイートインコーナーを解説したい。

イートインは以下のラインナップである
●PARK SIDE CAFE /カフェ&ダイニング
● かにチャーハンの店 /チャーハン
● たこ焼割烹 たこ昌 /たこ焼
● Chowder's /スープ
● パスタハウス JINJIN /パスタ
● Kobeya Stazzo /ベーカリー&カフェ
● 花桐 /うどん
● ku:fuku /カフェ&バー
● ほんのり屋 /おむすび
● AOcafe /カフェ
● カレーショップ トップス /カレー
気になったもの。撮影したものを中心に

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かにチャーハンの店
Hitグループという蟹の専門店のようだ。青山や青葉台に展開をしている

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Chowder's
シアトル発のナチュラルでヘルシーな食べるスープが宣伝文句である。なかなかやる気のある店で、唯一ビラを店頭で配っていた。スープストックTOKYOにタイプは似ている。Lサイズはご飯を入れてリゾットにもなる。6日は「試食OK」と大声で呼び込みをしていた。

パスタハウス JINJIN
明星食品の外食部門のようだ。明星食品といえばうどんの「味の民芸」が有名。民芸といえばうどん1本が長くて腰があるのが特長。TOMOさんのblogに試食レポートがある。

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花桐
協商フード(株)大阪梅田に店を持つ関西ではめちゃめちゃ人気のあるうどんやの新展開のようだ。

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カレーショップ トップス
トップスはもともと自由が丘の有名なケーキ屋。赤坂のサクソンというカレー屋と合併して「トップス&サクソン」という名でお店を出していた。今はルミネに出店しているようだ。
そしてそのトップスも「ざくろ」グループのようだ。ざくろは銀座にある高級和食のお店。余談ながら彼女と間違って入ってしまい。5万円も散在してしまった苦い経験のあるお店。

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2005.03.15

飯田線~流電のあった風景

クモハ52に熱中した。とにかく撮影できる時代に間に合ったのが嬉しかった。過去の編成をみると1両目が広窓、4両目が狭窓という編成で組まれたこともあったが、私が通った1978年当時は粋な編成だった。
001,002の狭窓にはサハ48をわざわざ挟んで狭窓に統一(ちなみに1次流電のサハは岡山で末期を過ごしたサハ58にサロハはクハ47151として流電とともに飯田線に残った)広窓には横須賀線のサロを改造したサハ75やなぜか紛れ込んだサハ87を挟んで統一性も持たせている。
当時の編成はこうなっている
52002-48024-48021-52001
52005-75102-87001-52003
52004-48034-75100-54119
では紹介しよう
FH0300070002
これは狭窓編成になる。場所は東上ー野田城の田んぼだった気もするが・・52001になる

FH0300130003
上と同じ位置。2両目がサハ87だから52003と思われる

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これは今でも有名な撮影地だろう。鳥居の駅のすぐそばである。2両目にご注目。広窓のサハだから52004になる。ちなみにサハは「合いの子」のサハ

FH0300310005
2枚目の反対側になる。52005である

FH0200110001
最後はオマケ。「合いの子」のクモハ53008である。この008は張り上げ屋根を一般の屋根に改造されてしまったもの。007もいたがこれは張り上げのまま残った。伊那市のようだ

流電シリーズをもう少し続けるつもり。よかったらリクエストください。なるべく答えるようにします。

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2005.03.14

飯田線~旧型のあった風景2

たくさんのコメントをいただきありがとうございます。写真はまだまだありますので紹介します。

FH0000120001
伊那松島機関区でのヒトコマ。この形式はよく覚えていないが豊橋向きが制御車だと思うのでクハ68ではないだろうか? 窓配置が5枚だから原型の51系とは異なる41系からの改造車だろう。Hゴム化されていないのが特徴だ。窓の下にある71は運用番号。71は伊那松島所属のMc+Tcのこと。83運用まであったと記憶している。

FH0000130002
これが噂のクロハ改造クハ68、窓配置が中扉付近が不ぞろいなのがわかる。運転室方向が旧ロ。クロハ59からの改造車で401~5(奇数)のどれかだと思う。

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格好つけて仰角で撮影。中央にいるのがクハニ67、これは原型のクハニ67が全部クハユニになってしまったのでクハ55から改造したもの。飯田線と長野原線(吾妻線)にいたようだ。飯田線は全部で3両いた。900番台である。運用番号に90台がついていた

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飯田線では珍しい非貫通のクハ47、これは69と思われる。クハ47でも50番台以上はサハ48からの改造で便所の位置が異なった。非貫通は身延線に多く、飯田線ではこれと009がいた程度。しかし流電や「合いの子」の中間改造150番台が3両いた

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最後は豊橋にて、流電をそろそろ出しておかないと。横はクモハ43か53のどちらか。当時は出発前にサボを出した

次回は流電特集にします

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2005.03.13

飯田線~旧型のあった風景1

飯田線。JR東海に所属するローカル線である。今でこそ特急も走るが全体的にはひっそりとした路線ではあるが、ここは昭和50年代までは旧型国電の博物館としてマニアが大挙押しかけた路線だった。

関西急電出身、阪和線も走った流電のクモハ52を筆頭に、関西から関東へ移籍し横須賀線で本領発揮のクモハ43、関西緩行線の雄クモハ51、常磐線の荷物はお任せクハユニ56など1形式1形式が異なり追いかけるのには根気と資金が必要だった。中学3年、受験そっちのけで撮影に走ったあの頃の写真を少しずつではあるが紹介したい。

同時に飯田線に熱くなっていた頃を思い出せてくれた3人の鉄道仲間に感謝したい。
TOMOの鉄日誌
武蔵野線屋根上日記
鉄分の濃いツレヅレニッキ

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天竜峡駅である。形式はクモハ54だろうか? 半流のスタイルは飯田線では多いスタイルだ

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飯田線は平妻が面白かった。これはクモハ61、飯田線にしかいない形式だった。不思議なのは原型のクモハ40をパワーアップさせると61で41をパワーアップさせると60になったことである。おそらく片運転台のクモハ41を先にパワーアップさせたからこうなったんであろう

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同じく平妻、クハ68であるが、これはクロハの改造である。従って窓配置が原型車とは異なっている。側面写真も撮影しているので後日出す

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最後は名物のクハユニ56である。ノーシルノーヘッダーは常磐線で活躍したクハニ67の改造車、中でも001はシルヘッダーがあり、002以降はないのが特徴。記憶の範囲だがこの写真は004だと思う

今後も折を見ては出していく

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2005.03.07

新レアもの見参! 房州育ちの113

しかしココログの画像添付はめんどくさくなったもんだ!(怒)

先の改正で残念ながら消えてしまったJR東海の東日本乗り入れ車両「T編成」、シートの白カバーや静岡の中吊り広告、小さなシルバーシートマークなど見所満載だった。今頃は車庫のある静岡地区で元気に頑張っていることだろう。

SN250738
通勤快速に入った当時のT編成

しかし去るものがあれば次に注目されるものも出てくる。今度の獲物は113-1000だ。

これは総武快速線ができたときに地下乗り入れと当時のATC(現在はATS-Pに変更)を搭載された113ではちょっと異端児のもの。ユニット窓を採用した113もこれだった。一番の特徴はタイフォン(汽笛)がヘッドライト横ではなく下についているのだ。

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これを見れば一目でわかる。左が基本仕様。右が1000番台

これは総武快速(総武ー横須賀)線にE217が投入され、用途のなくなった113が東海道に移籍し、当時所属していた年式の古い113を追い出したのだ。東海道線は前述の東海との乗り入れ関係やまだE231の製作などが決定していなかった関係で新車投入がなく、総武からの移籍を受けたのだ。

同じくサロもやってきた。これも上記理由である。これは塗り分け線が基本と違う。

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車内のリニューアルも若干異なっている。

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左 基本仕様 右 1000番台

まもなく消え行く113であるが、今でも調べると結構面白い。E231でも様々な仕様変更が起きてくれれば飽きが来ないのだが、何もマニア向けに車両を作っているわけでもないから偶然に任せることとしよう。

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2005.01.19

鉄ヲタと酒

当blogで何度も取り上げさせていただいているblogの師匠mattohさんが日本の鉄道を完乗されました。その立会いの席にお邪魔させていただきました。
mattohさんの人柄が出た、大変ほのぼのとして折り目正しいセレモニーでした。その宴会でのこと。

西新井駅至近にある酒の種類がめっぽう多い串揚げ屋さんで宴会が行われたのですが、私の周りには自然発生的に鉄道ファンを越えた鉄道ヲタが集中して完乗の話題そっちのけで「今日の115どうだった」や「りんかいの70-000に何時モハユニットが来るのかねぇ」といきなり濃い話で盛り上がっておりました。

そのお店はことさら焼酎の種類が多いようなんですが、私も含めてまわりは「全く興味なし」という連中が揃ったため、まさに「豚に真珠」状態でした。注文も「ビール」「梅サワー」「杏サワー」などどこの居酒屋に行っても飲めるメニューばっか。能書きが書いてある紙も誰一人読みこなせない。お店も困ったでしょうね。二次会もあったのですがこっちでは「ウーロン茶くれ」ですから鉄道には濃くても酒には全くの淡白なんでしょう。

かつてはよくオフ会をやったのですが、飲み放題にして「元取り」が出来たケースが極めて低かったのです。地ビールが有名とかいう店に行っても地ビールかどうかも最後までわからなかったなんて人もいたし、飲み屋で酒でもめたって例は皆無です。(食い物では好き嫌いが出た例はあったが)そして2,3本飲んだら「ウーロン茶くれ」ですから鉄ヲタと酒というのは案外関係が浅いのかもしれません。

かくいう私もキリンビールさえあればあとはなんだって良い。試しに奄美の黒糖焼酎を頼みましたが濃すぎて飲めず水でガンガンに薄くして流し込み、味も何もわからないという状態でした。

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2005.01.15

出世した車両

鉄道車両の一生は様々だ。事故で廃車となるもの、その路線で一生を終えるもの。売られるもの。事業用車に改造されるもの。末期は壊されない限り、本来の使われ方より「格が下がった」使われ方をされるのが普通である。

たとえば581系、これは寝台特急電車であったが、国鉄末期に普通用に改造され北陸、九州、東北へと旅立った。それでも生まれながらの顔を持つクハはマシだが、サハから改造された先頭車は「取って付けた」ような車両となり、寝台特急の風格も消えてローカル線の足となった。北陸では未だ現役である。

幸運なことはこういう車両こそ「マニア」が追いかける比率が高く、沿線では「穴人気」となるのが面白い。

さて極めて稀なケースとして「出世した」車両というのも存在する。本来の使われ方よりも「格が上がった」使われ方をされるわけだ。

サロ110-501という車両がいたようだ。私は実物を離れた位置で一度だけ見たことがあるが、サハ153をグリーン車改造したもののようだ。このサロ110はサロ124などのダブルデッカーが出る前はたいそう変わった車両が満載の形式で、特急サロの格下車が数多く編入されていた。そんな格下げ軍団の中の出世頭がサロ110-501だったらしい。平成の早々には廃車となっている。

さて、もう一つが今回取り上げる「マニ24-500」である。この種車は何と50系客車である。
manino

50系客車、国鉄が最後に出した客車の系列でレッドトレインとも呼ばれた。なんとも奇妙な出で立ちだったが当時老朽化されていた旧型客車を置き換える立役者ともなった。その系列の荷物単独がマニ50。この種車である。

50系客車、中でも事業用車は寿命が短く、落成から廃車がとても早かった。ただでさえ生き残るのが大変だったのがなんと普通用からブルートレイン、それも北斗星用と偉大なる出世、平社員から一気に部長になったようなものである。

これは北斗星用の24系客車がおおむね利用状況からみて飽和状態だったので増発をするにもあえて新製車は作らず改造や転用(北斗星が勢力を伸ばすのと反比例して九州ブルトレなどが廃止で転用が効く)で対応したのであるが電源車はどうにもならない。そこで遊休車だったマニ50に白羽の矢が立ったようだ。

どことなく愛嬌のある顔立ち(元々妻面には窓はなかった)であるが、側面は現役当時とそんなに変わっていない。同じ電源車仲間でも明らかに異端児であることがわかる。その昔20系の電源車「カニ22」(パンタグラフを搭載していた)が25系の九州地区分割電源車のカヤ25として返り咲いたものと傾向は同じだが、あちらは腐っても元特急車、こちらは生粋の普通車である。

maniyoko

この車両、この列車に確実に入るというものがないので、出会いは偶然のみ。出会ったら客車仲間の出世頭、拝んでおくのも良いだろう。

manimae

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2005.01.14

韓国のケーブルカー

ケーブルカーといえば東京近郊だと高尾山を思い出す人が多いと思う。電車に似た車両を鋼索で引っ張ってもらって上がったり降りたりの繰り返しで車両そのものも斜めに設計してあるという代物。鉄道趣味もこのあたりまで来るといよいよマニアから達人の領域に入ってきて、もう残っているのは「リフト」「ロープウエイ」だけ。さらに延長戦をお望みなら「エレベーター」と「エスカレーター」「動く歩道」あたりになってくる。もうこのあたりだと鉄道(車両)というよりは「搬器」ということで要は「動けば何でも良い」という世界だ。知人でこの領域まで行った人を知っているが、もはや私には付いていけない。

さて韓国もケーブルカーがある。ソウル市内の南山に昇るものであるが、てっきり上記の高尾山型かと思ったら「ロープウエイ」だった。

画像を出すと
kr1

kr2

kr3

リフトのように連続で来るものかと思ったら意外にも箱はこの1つだけである。これが上がったり降りたりなのだが、平日のお昼に行ったところ待ち客0、誰も乗っていない。係員も暇そうだった。実利主義の韓国ではあまり好まれないのであろうか? 夜になるとまた違う顔を見せるのだろうか。

索道といえばこの方、ご自分のblogではあまり紹介していないようですが、この方によって私は索道趣味というものを知ったほどです。

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2005.01.11

新宿線新車が博物館状態に

blogをご覧の皆様、明けましてはもう遅いですね。本年もよろしくお願いいたします。
年末は大掃除や請求書を書くなどをやり、新年3日からは韓国訪問とあわただしい年末年始でした。韓国のお話はまた次回ということにして、今回は画像無しですが新宿線のお話です。

試作編成が間もなく引退というのはblog常連のKaz-Tさんがお書きになっておられますが、その後継車が新宿線に入線したという情報が入りました。実は年末に試運転などが行われまして、友人が撮影しております。

その試作編成というのがものすごい編成で、先頭車こそ新型ですが、中間車は在来車、それも従来の試作編成をそのまま流用していますので、試作、1次車、2次車と新宿線を走った車両の歴史がそのままずばり走るというなんともマニア泣かせのことをやってくれるようです。

この編成、試運転で終わるかと思いきや営業運転でも走るとのこと。これは驚きです。なおメトロでも8006は1次車、2次車、3次車、4次車(便宜的につけていますが、実際の呼び名は変わります)とこれまた変遷の履歴が一目でわかる組成になっておりますが、地下鉄は妙味十分です。

余談ですがメトロ東西線は編成ごとに歴史がわかるというこれまたマニア路線。ここで詳しく扱っています。

新宿線の新車はここに画像があります。

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2004.12.25

ナンバー考

JR(国鉄)の番号に関してはPrimeraさんのblogに書かれているが、私鉄は割合パターン化されているのでそのことをちょっと触れてみる。

まず易しさの筆頭が「メトロ」 要するに順番通りである(除く5000系)
7001-7901-7801-7701-7601-7501-7401-7301-7201-7101
万事こんな感じ。昨今の0シリーズも似た感じである。
都営地下鉄はハイフンで対応
6301-1*6301*2 となる。西武や最近の東急(3000以降)もほぼ同じ。

しかしもっとわかりやすいのが東武だ。いろいろな意味で遅れを取っている東武、しかし車番関連では非常にわかりやすい
まずは画像を
10030

10400

10600

似たような画像だが番号に注目して欲しい。11032、11454、11644となっている。これで殆どの情報がわかる。
まず1万の桁は形式、10000系となり、1000の桁が車両位置、どうやら池袋方が1のようだ、そして100が東武らしい、編成の長さを表している。0は10両、4は4両、6は6両である。ここにはないが20000は8両なので全部2*8**となっている。加えて10の桁は形式詳細区分、この場合は30と50がキーワードで、30はステンレスのリブが広くなってすっきりした構造、50はクーラーが連続型になったものと、このあたりでも詳しく分けている。ここまで徹底するのは東武くらいである(後はJR) ただ8000以前はこうではない。したがってステンレス車のみの区分法である。

つづいては珍例 東急の8500である。
0707

ちょっと信じられない数字である。0707 いったい何を指しているのであろうか。これは数字を使い切ってしまったための変形措置である。元々は8700だった8701、8702と進んで行き8799まで来た。次は8800であるが、これにはもう形式が振りついてある。従って苦肉の策「87101」を採用した。しかしこれではなんだかわからないので
8を取り去り0701と振ったのである。大量増備が生んだ悲劇である。
東武も同例で8000にそれがあるがここは開き直って82101と振った。

東急はこの手の読みが甘く、8090系も8099ができてしまった後に増備がかかったのでなんと先祖帰りをしてしまい8089を出してきた。この形式だけは若番=古いという定義は成り立たない。

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2004.12.23

消えた表示 消える表示

mattohさん、Kaz-Tさんのblogでも取り上げられた「東武線の旧塗装」 実に細かいところまで再現されていた。こんな画像を出してみる。

tobutetu

車番の下に「東武鉄道」と入っている。これは東武独特の表示方法で、各社がマークやらCIに沿って東急のようなイメージロゴを車両に貼るのを尻目に「東武鉄道」と武骨に書いていた。なんと9000系もその洗礼を受けており、車番のしたに「東武鉄道」が貼ってあったようだ。(後に外される)

この表示を捨てたのは現塗装に塗り替えたころだったと思う。しかしここでも東武は旧世代、京成、山陽などどんどんとCIを意識したロゴを採用したのに東武はやっと「マークの採用」である。ここしばらくはCIに縁のない会社かもしれない。

そしてまもなく消える表示がある

teikokusyaryo

メトロ5000系に貼られている「帝国車両」の文字。この会社はここにあるように今は東急車輛となっている。東急車輛の大阪製作所として長年活躍したようだが、昨年で閉鎖されてしまったようだ。
メトロの車両は出自をみると貴重な会社も残っているようで、6000系では今は亡き「汽車会社」製もあるようだ。

5000系ももうまもなく消える運命だろう。今ならまだ撮影は可能である。

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2004.12.19

路線ナンバリング時代

久しぶりのアップとなります。お待たせいたしました。
駅ナンバリングもすっかり定着してきました。私の3月頃の記事はここですし、ここにもまとまったものがあります。

しかしこれよりも前に「路線に番号が振られていた時代があった」というのは若いファンには思いつかないと思います。

ちょっと前を思い出して欲しいのですが、「都営12号線」というのがありましたよね。あれがその名残なんですよ。今でも「メトロ13号線」が建設されていますが、あれも完成の暁には路線名が決まるのでしょうね。

この路線番号、都営地下鉄が長く使いました。浅草線は1号、三田線は6号です。ちなみに新宿線は10号なんですが、この新宿線ができるとき(岩本町ー東大島)に都営も路線名方式を採用して10号線は幻になりました。今ですと路線名は公募が普通ですよね。しかし浅草線と三田線は突如出てきました。

SN250806

画像をクリックしてください。(Niftyのクソなバージョアップのせいで画像表現が面倒になりました。全くNiftyというのはふざけた会社だ)
ちなみに書かれている記事を書き直しますと
1位 麹町線    2404
2位 有楽町線 2202
3位 桜田線 1818
4位 外濠線 1714
5位 有楽線 1597
6位 池袋線 1501
7位 市ヶ谷線 1379
8位 西北線 895
となっているようです。語呂その他で麹町線が優位でしたが、5位の有楽線との合せ技に加えて「麹」が書きにくいという理由で不採用でした。私も「麹町線」で応募しました。(有楽町線開通30周年記念のときのイベント会場で撮影)

さてこの路線ナンバリング、つい最近まで遺品が残っていました。場所は日比谷線の日比谷駅です。
no6

この後数度通りましたがもう変わっているようです。撮影時期が記録で残っていました。昨年の3月でした。
これは遺品ですが、現役時代の画像もいくつか持っています。スキャナで保存でき次第アップします。

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2004.11.29

そのとき君は赤かった

能書きばかりが多い私のblog、たまには能書きなしの画像で楽しんでください。昭和56年頃に撮影した名鉄の写真です。

meitetu10004.jpg

meitetu20005.jpg

meitetu30007.jpg

meitetu50009.jpg

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これらを見ると、昔は種別板に色があったようです。急行が黄色、準急が黄色/白、高速は緑のようです。高速っていうのを覚えている人は古いファンですね。
高速は特急が当時は全車指定だったので、全車自由席の特急のことだったんです。車両も何でも来いで6000の高速の画像は下です。
tiryu0001.jpg

駅は知立で古い駅名標が懐かしいですね。おそらく昭和52年頃だと思います。名鉄名物の電光式行先表示機も健在です。アップは
tiryuikisaki.JPG
見にくいですね。今でも現役なのはここにあります。

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2004.11.28

流転人生

羽田空港の第二ビルができるということで、変化前のモノレール羽田空港駅を記録に撮っておこうと思い、出かけた。
そこで出会ったのが下の車両である
hokusou10001.jpg

これは元々「住宅都市整備公団」2000系として落成した。住宅都市整備公団、なんとも長ったらしい名前であるが、北総ニュータウンのアクセスを担うためにできた鉄道だ。経緯をたどれば色々なことがあったようだ。まず北総開発鉄道(現北総鉄道)は小室までの免許しかなかった。また住都公団は県営北千葉線(都営新宿線の本八幡から延長して小室に至る)を受けて北総ニュータウンのアクセスをする予定だった。そのため当初は小室で運賃が変わったそうだ。しかしその後北千葉線計画が凍結(現在は廃止らしい)し、北総線の延長線になった。普通ならここで北総が全部やれば良いのに、なぜか公団が1種(車両も持つ)という選択をした。そのため出来上がったのが2000系だ。しかしそんな不自然を住民が無視するわけがなく、その後公団と北総の運賃通算、車両一元管理が行われた。

北総2000は京急と乗り入れがはじまると番号を変えた。2000は京急線内にいるのでダブると良くないという配慮だ。そこで9000系と番号を変えた。流転の第一歩である。

時は過ぎ、不景気、構造改革が巷を襲った。公団も例外ではなく無秩序な開発が槍玉に上がり分譲やその他事業からの撤退を余儀なくされた。そこで公団線の名は「都市基盤整備公団」となった UDRとか言うようだ。ロゴが変わった。
hokusou20002.jpg
前にあった「回」のようなマークは外された

hokusou30003.jpg
少し苦しい画像だが「UDR」のロゴが見える

しかしこれで済まなかった。この都市基盤整備公団が独立行政法人化し「都市機構」となった。と同時に鉄道を辞めると言い出したのだ。廃線などはできっこなく受け皿は「千葉ニュータウン鉄道株式会社」(従業員4人)という京成の子会社になり、運転その他の営業は同じく京成グループ(子会社)の北総鉄道へと移管された。折角ついたUDRを捨て今度は「北総鉄道」のロゴがやってきた。


車番こそ変わったが、同じ路線を行ったり来たり、松戸に入ったこともあったが、快速特急の幕を出して羽田空港まで乗り入れる出世をした2000系、しかし親会社のすったもんだで3度もロゴを変えるという経験をしている。運転台もボロくなってきている。そろそろ置き換えの時期だが、ダントツ利益の低い北総にそんな金はない。ここしばらくは活躍していくだろう。
hokuso5.jpg

そして北総のもう一つの流転人生が7150だ。これは京急の1000の色を塗り替えたという代物で、京急と乗り入れを始めたときに持ち駒(北総の7000と上記2000しかなかった)が足らず京急から買ったのだ。銀色というものすごい色になってニュータウンと川崎の間を走った。しかし末期は4連になって新鎌ヶ谷の折り返し運転を担当した。この京急1000は京成にリースで出されたものあり、返却後はさらに千葉急行に再リースという事業体を3つも変わったという経歴を持つものもいた。
hokusou40010.jpg
末期の頃、新鎌ヶ谷にて

北総9000(公団2000)が親会社が変わってもずっと頑張った東尾なら、京急1000の仲間は売られ買われての江夏豊、浅草線関連はこういうところでもドラマがある。

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さくら・はやぶさ もう一つの視点

東京ー九州のブルートレイン、「さくら」が3月一杯で廃止になるというニュースがyahooに載っており、鉄道系blogにも多数紹介されている。
Kaz-Tさん
mattohさん

私の場合、寝台列車は事情があって乗れないのだ(寝ている間にものすごいいびきをかくので周囲に迷惑がかかってしまうため)したがって今まで寝台の名の付く列車には乗ったことがない。

そういえばこういうシーンを数度経験している。最初は東京ー九州 寝台急行廃止の頃だ。もう何十年も前の話である。高千穂・桜島という急行が健在で、それがなくなるという話だった。私は東京駅で見たような見なかったような思い出しかない。次は東北急行だ。これは最近のことだろう。急行十和田に八甲田がなくなるというものである。20系、14系だっただろうか。最後の方は覚えていないが、やはり10系寝台車をよく覚えている。尾久で仕事を終えたオハネ12などがシーツを取り替えられていた。そして今回の特急の廃止である。

廃止も止む無いだろう。前に書いたblogにもあるように4社またがって走ってくるわけである。各社の取り分はさして多くない。ましてや東海などは通過しかしてもらえず運賃の取りようがないし、保線の邪魔にもなる。もしこれが東と西の2社のみで残ったとしたらまだ可能性はあったかもしれない。しかし上野発、上越線ー信越線ー北陸線ー東海道線ー山陽線経由で走るというのも現実的ではない。このところこの列車が走り出す時間に東京駅にいる機会があるが、空の号車もあるように見える。

このさくら・はやぶさは車両的に見るとなかなかレアな編成である。まず14系、24系と異系列の併結である。おまけに所属が異なる。
kumamoto.jpg
熊本運転所所属ははやぶさの24系
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長崎運転所所属はさくらの14系
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連結されている

そもそも途中分割をする列車は電源確保のため14系と決まっていた(自車発電ができるため)しかしこれは電源車付きと自車発電という2種類の混結で対応している。昔なら考えられなかった。

車掌はJR九州の人が遠征で来ている。遠方からのお仕事は大変だと思う。
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それでも看板列車だし、残そうと思えば残せるし(事実 富士とはやぶさは残る)深夜の九州移動はもう夜行バスくらいしか残っていないので全廃はないとは思う。代替の車両がいないのだろう。別の項で書くが北斗星もJR後誕生とはいえもう15年以上走っているので車両がいつのまにか置き換わっている(同じ24系だからわかりにくい)、新造しようにもどの会社が持つか、また持ったところで使い道はあるかなどを検討した結果だろう。

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2004.11.14

2つのさよなら ~名車に送る鎮魂歌

京王で奇しくも今日2つのさよならがあった。

京王線の名車5000と井の頭線の未更新車3014である。2つの車に送るレクイエム

何を思っているだろう。星空を安堵の気持ちでながめているのだろうか。
日本がまだ成長を確信していたとき、貴殿らは生まれた。沿線の空は高く、人々は忙しかった。ファンは優しく、友は多かった。
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調布にて
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笹塚にて

時は貴殿らの活躍を暖かく見、そして冷たく世代の交代を用意した。昭和という年号と別れ平成という年号がはじまった時、貴殿らの「引退」という現実がそこにはやってきた。

5000よ、貴殿は車体の短さから一足先に後輩へと道を譲り、自らは裏方へと移動した。友は売られ、壊され一人ぼっちとなってしまった。
3000よ、貴殿はその優雅さが幸いして化粧直しをした後輩がもうしばらく沿線に残ることになった。貴殿は引退の選択をさせられたようだ。

今日、貴殿らの長い長い車籍が終わり、京王の車両としての運命は尽きた。最後までファンに追われ、愛された貴殿らはある意味幸せだったかもしれない。

さらば盟友よ。仲間は地方で頑張っていると聞く。安心して旅立ってほしい。

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若葉台で行われたデワの引退式。久しぶりに急行のサボをつけた
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明大前にて

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紅白電車 参上

京王に新しい車両が登場した。といっても改造車ではあるが、デワ600である。
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6000系を改造した電動貨車になる。塗り分けがものすごい。

おのおのの先頭車を見てみる
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デワ631

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デワ601

この車両、もとを正せば6007Fであった。先ごろ9000系の最新編成が入線したので入れ替わりに廃車となった。
京王の最近の傾向からすると9000が入ると代わりに6000が廃車となるという流れだが、今までは6030(地下乗り入れ車)が廃車となった。しかし今回は地上車の7Fが廃車となった。

この6007Fというのは数奇な運命である。大元は6000系6連の7番目として落成した。私ももちろん乗っている。その後京王が8連化を進めることになり、直前の6Fまでが編成を分断されて3+5となり分割特急になった。一方7Fから9Fまでの仲間は地下鉄乗り入れの種車となった。この段階で6000系は以下のようになった。

1~6 5+3の分割
7~9 6030
10~12 8連

しかしこの後なぜか変な編成が落成した。13Fである。京王は当初分割クーラーを先頭車、集中クーラーを中間車にという製作方針だったがこの13Fは分割編成で全部集中という変わり者だった。と同時に「最初から分割として落成した唯一の編成」であった。

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13時代のクハ デワではこの車両は改造されて運転台部分しか残っていない

この13が後に7と改番をされたのだ。大元の7は31と改番されて2年前に廃車となってしまった。

そして今回2回目の改番である。事業用車として生き残った13F、これと入れ替わるように5000系のデワが用途廃止で車籍を終える。今日がその最後の晴れ舞台である。

画像提供:ちはちょる氏

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2004.11.07

JRは私鉄です1 支社での違い

JRと書かれるように旧国鉄のJR(**旅客鉄道)は一般の私鉄とは扱いが違っている。確かに平成元年あたりはまだまだアイデアが単発で長期的展望も見えず「公務員が無理しちゃって」という感じではあったが、最近は私鉄のリーダーとしての風格さえ感じるようになった。
そんなところをマニアックに調べてみよう。

まずはおさらい。国鉄は日本で統一となってはいたが実際は「鉄道管理局」という地域別支社のような区分けがなされていた。JR-Eならば大きなものは東京鉄道管理局、あまりにでかすぎるので西、北、南と3分割をしたほどだ。他には水戸や長野、仙台、盛岡、秋田などがあった。また配属も原則は車庫のある位置であったので山手線などは2つに別れた。品川所属は「南シナ」 池袋所属は「北イケ」であった。京浜東北も面白く南浦和は「北ウラ」 東十条(下十条)は「北モセ」 蒲田は「南カマ」と記載が3つもあった。

JRになると管理局制度はなくなり当初は「支社」と「支店」という取ってつけたような名称になった。しかし支店っていうのもねぇ・・ 東京の3つも統一されて東となった。このあたりで会社間の感覚がずれてきて東海は本社系列が海、唯一の支社静岡が静だが当初は海だった。国鉄時代は静なので先祖がえりになった。また亀山などは元々は大阪の天王寺鉄道管理局だったのでここは悲劇の分断をされてしまったのである。

さて、時代が少し流れてJR東も地域密着をセールスポイントにしはじめた。と同時に鉄道管理局時代には考えられない支社分割が行われたのである。八王子、横浜、大宮の支社分割だ。

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大宮支社 小山電車区の車両(E231)
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横浜支社 国府津電車区の車両(113)

さてあることに気が付いた。それは「弱冷房車のステッカー位置」である。もともと本社には編入されなかった水戸支社は以下のようだ。

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水戸支社 勝田電車区の車両(415)
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弱冷はドア横のステッカー

ところが他の支社や本社はこう
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高崎支社 高崎電車区の211
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ちょっと形は違うけど本社のエリート電車区 田町電車区の211

とドア上である。千葉支社も水戸に倣っているようだ。こう見てみると「ある程度仕様は支社に任せる」というスタイルを取り始めたのではないだろうか。国府津や小山はもともとが本社管轄、が、水戸や千葉は最初から支社ということで独自の文化があったのかもしれない。仙台のほうに行くと駅名標も変わっている。そのあたりも機会があれば紹介したい。
次回は「JRとで他社との精算運転はある」というお題で書いてみる。

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2004.11.04

秋の珍事 精算運転

乗り入れ運転をやっているとどうしても定期的に発生してしまうことがある。これが精算運転だ。
精算運転とは乗り入れの距離のズレを車両で弁償することである。相互乗り入れというのは乗り入れ両者で損得ナシで収まるように計画される。だから直通電車の本数が不均衡だったり、線内折り返しと称する「自社に帰れない運用」も存在する。しかしそこまでやっても期間がくれば微差が微差でなくなることもおきる。そこでこの差を自社の電車で精算のために走ることを精算運用という。運行番号に他社の記号をつけることで見た目がすぐわかる。

京急は面白かった。都営の乗り入れは川崎もしくは新逗子であったのだが、京急側は押上まで、距離に不均衡が起きた。そこで泉岳寺ー西馬込という全く関係ない区間の機織り運用をさせられたりしたが、THという運行番号まで作り都営車の精算運転を日常に行っていたという例があった(現在はなくなっている)このTHは急行が多く、600系の急行高砂などはだいたいTH運用だった。

さて、今日有楽町線で極めて珍しい精算運用が入った。東武とメトロの精算運用である。森林公園行きという東武限定の行先にメトロ車が入るわけである。それこそ精算が起きたときだけの限定の行先(事故などで入ることもあるが)なので撮影が極めて困難である。まずは証拠写真を

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13Tと書かれているのに注目

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側面のLED

そしてこれが07系だったからさらに珍しさに拍車が掛かったのである。噂では東西線に行くとか言うことも言われる07、もうこういう機会はないかもしれない。

自動放送や車内LEDはどうなっているのかと体験乗車をしたがごく普通の電車だった。

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森林公園行きと表示された

昔の有楽町線といえば3月に必ず発生した西武の精算運転、これは乗り入れが小竹向原ー練馬しかなく、小竹向原ー新木場の距離とあまりに違いすぎた。西武は2運用程度と抑え目ではあったがこれではやはり精算し切れなかったのだろう。51S、71Sが終日西武運用だったのでよく51Sとつけて西武車を見たものだ。

この情報を仕入れたのがなんと2ちゃんねる。いろいろ言われるところではあるが、使い方を間違わなければこんな珍列車も見事仕留められるのである。

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2004.11.01

停車位置

東武東上線でかつての塗色が復活したと聞く。それを見に和光市に出かけた際に見かけたもの。

始発はこちら

直通はこちら

ホームの並ぶ位置が異なっている

混雑する始発駅、たとえば丸ノ内線の池袋などは「今度」「次」「その次」と並ぶ位置こそ違うが、停車位置は同一。一列乗車したら、そっくり列が移動するという仕組み。ところが和光市は始発と直通で止まる位置を微妙に変えているのだ。これは便利である。

昔は編成長がバラバラだったので停車位置が異なるというのはしょっちゅうあったのだが、今は割合と停車位置が固定されている場合が多い。京急などは4連から12連まであるので停車位置は未だに違っていて慌ててドアの方向へ走るなどということもあるが、おおむね固定。ただしJRは別で、湘南新宿ラインなどは10連と15連が込み込みで入っているため新宿などでは結構困ったりする。


しかしこの手の圧巻。いや必要に応じてあえて位置を変えているのが名古屋の雄 名鉄だ。ここの新名古屋(まもなく名鉄名古屋と改称されるようだが)は行先に応じて停車位置を変えてくるという芸当をしてくる。行先と種別という2つのパラメーターで変幻自在に位置を変えている。これはホームが長いわりに編成が短いという独特の地域制も絡んでいるようだ。

新名古屋は豊橋方に本線・豊川線、西尾・三河海線、知多半島線(常滑線・河和線)を擁し、岐阜方に本線、犬山線、津島・尾西線と支線を持ち、おのおのに直通が入っていくわけだからこれをさばくのは一苦労だろう。特急こそ中ホームを使えるが他の優等は全部同一ホーム。次回改正では快速特急に、快速急行も走ると摩訶不思議にもさらなる拍車が。関東在住でもこの私鉄だけは見逃せないというファンが多いのもうなづける。

停車位置の微妙な違いを見つけて名鉄を思い出したのだが、肝心の旧塗装には振られてしまった。

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2004.10.18

見送られるモノ、見送る者

やっと書けます。不調が長かったぁ・・ 失礼しました。

10/16はJR東でダイヤ改正がありました。湘南新宿ラインの増強ということでスピードアップも加わりかなり利便性が上がっています。

反対にひっそりと消えた、派手に見送られたモノがあります。

特急「すいごう」はどちらでしょう。これは同線を走る「あやめ」に愛称を統一されるもの。なくなる前に撮影をしておきました。

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あやめは183の0番台という希少価値の編成

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消えてしまった すいごう

消えるのも無理はないのです。状態が最悪。

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塗料がはがれ、さびが浮き出す始末

しかしそんな状態の彼らを見送る者がいまた。自分も含む鉄ヲタ軍団。どんな状態かを画像で出してみましょう。

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東横祭りではすっかり洗練されてしまった「見送り軍団」でしたが、こういう姿を見ると妙に安心する自分がいます。

オタに関しての考察はprimeraさんのblogにあります。

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2004.10.03

湘南形

鉄道ファンなら誰でも知っている湘南形 20世紀最大の鉄道ヒット作ではないだろうか?

国鉄80系に端を発して大手私鉄はもちろん中小私鉄までそのデザインははやり、採用された。

しかし最近その姿を見ないのである。関東大手で似たようなものを採用した車両はというと
京急・・460、500、旧600
東急・・旧5000(5200)
小田急・・(無理やり)2200
京王・・2000(2700)旧1000(1900)3000
西武・・351、501、551、701(601,801)、101(301)
東武・・記憶せず
京成・・旧の1900(見たことない)
営団(東京都)・・地下鉄なのでなし
相鉄・・旧5000

今でも残っているのは西武の101と京王の3000だけである。ただ西武101はピラーで窓分割をしているので純粋な湘南形とは違う。となると京王が唯一の生き残りだ。
上表を見てもわかるように多用したのは京急、西武、京王 うち京急は独特の顔なので従姉妹のようなものか。西武は551から先は101顔でこれまた親戚のような感じだから京王が兄弟というのが最適だろう。

その3000,14Fが未だあの顔で残っているのである。これは1000系の室内LED装着のための運用離脱が原因でそれが解消すれば廃車になることと思う。3000のリニューアル車は湘南形とは幾分異なるのでやはり親戚になってしまうのだろう。

顔の変化を追ってみると京急は独自のスタイルを貫くタイプ(今だと600,2100,1000がほぼ同じ)を抜けば大体時の流行に左右されている。一時は小田急9000顔が流行ったが、今はメトロ顔が流行っているようである。(西武6000、東急3000、5000、相鉄8000,9000、京成3000)

地方に行けば幸いなことにまだまだ現役の3000ではあるが、長年住み慣れた関東から絶滅するのは時間の問題になってきた。

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渋谷駅にて 今日は急行運用に

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この東急車輛も懐かしい

追伸 井の頭線に関しての期待のblogが登場。ここです。

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2004.09.27

ソウルの地下鉄

祝日返上で働いた先週でしたので、今日は午後までゆっくり自宅で静養することにしました。

もう10年も前になります。新婚当初金がなく、妻に満足なサイフ一つ買ってあげられませんでした。当時はいかにバブルがはじけたとは言え失われた10年のまだ始まったばかり、国内の価格も高いところはまだ高かったのです。
そこでその頃はまだ安いと言われていた韓国でサイフを買おうと正月に出かけました。

韓国語も全くわからなかったのですが、鉄道のシステムが日本と酷似、いっぺんで興味を持ったのです。時を同じくして名著「韓国の鉄道」が発刊されむさぼるように読みました。著者山田さんに手紙を書き、お知り合いになれたのも縁です。

今では韓国語も読む程度までは理解できますし、友人もたくさん出来ました。知り合った当時は韓国在住の日本人鉄道ファン水野俊平先生も今では日韓の桟になる重要な方になりました。

さて本題。友人が韓国の地下鉄写真をデジタル化してくれました。1枚ずつお見せして解説します。
(なお韓国は鉄道が重要な軍事施設なので撮影は禁止です。友人は水野先生を介してソウル市地下鉄公社に許可を取って撮影しています)

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これはソウル市地下鉄の1000系です。両側で国鉄と乗り入れをしており、感覚的に言うと東西線のようなものでしょうか? 初期は301系のような顔をしていましたが、経年劣化で廃車、今は新造された中間車に画像のような運転台をつけております。ステンレスの新型が増備されているので、いずれは消える運命です。

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これは2000系です。2号線という山手線のような環状運転をしており、ソウルでも一番混む路線です。先頭車が非貫通で地下鉄というのがお国柄ですね

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これは珍しい例、3000系です。元々は3号線の専用車としてフランスの技術で作られました。しかし国鉄と乗り入れを始めた頃から徐々に2号線に転籍をしています。形式も2000となりました。

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今までは地下鉄公社の車両でしたが、これは国鉄の車両です。1号線用の5000系です。21世紀からこのスタイルになりました。

他にもたくさんの日本に似た車両があります。追々紹介して行きます。

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2004.09.20

SEIBU IZM Vol1

西武鉄道というのは鉄道趣味で見ても面白いが、ビジネスでみるとこんなにわかりやすい会社はない。
事例をあげて数回書いてみたい。

 西武はケチである
西武というと二言目には「ケチ」 必ずこう返って来る。西武王国の始祖 堤康次郎は近江商人である。近江商人には「三方よし」という理念がある。商取引においては、当事者の売り手と買い手だけでなく、その取引が社会全体の幸福につながるものでなければならないとう意味での、売り手よし、買い手よし、世間よしこれを「三方よし」という。

さて考えてみた。西武という会社はものすごく大事にするものがある。「施設」である。駅などは建て替えではなく建て増しだ。そして使えるものはとことん使うのである。これと「三方よし」とはどんなつながりがあるか・・・

もし新築をするとする。そうすればごみが出るだろう。資源も使うだろう。今でこそ鉄も紙も安くなったが、終戦直後はきっと安定していなかったと思う。西武は新造すれば「お客も喜ぶ」「業者も喜ぶ」の二方は良くても社会幸福の点では合格ではなかったのだろう。だからきれいに建て増しをしてごみも資源も無駄にしない三方を取ったのではないだろうか?

ヤケ電買いと揶揄された時期もあった。それにしても焼けた電車を捨てればごみも出る。しかし直せばまだ使えるしごみも出ない。究極のエコロジー会社ではないだろうか?何より当時は仕事不足、直す要員を社員として雇い失業者を無くす。これこそ「三方よし」だ。

さて伝統は今も生きている。写真を見て欲しい、何の変哲もない6000系だが種別幕を見て欲しい。

ローマ字なし

ローマ字がないのである。下がもともとの姿

平常時

6000系であるが、なんと幕は2000系と共用している。そのため2000の予備品が使えるのだ。なんという効率性。デザイン別に分けるといった派手さを全く取らず、実用一点張りである。

聞けばモーターその他も絶えず予備品を調整しており、点検時には予備品をそっくり取り替えるという。これをするには殆どの車のモーターを共通化しなければならないが、長いこと自社製造の車があったからこそできる対応だ。
それに今では「共通車」と称して他社も似たようなことをやっているではないか。
なぜモーターまでも共通化するのか。次なる考察を考えて見る。

西武は本当におもしろい。

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2004.09.17

スペシャリストよ どこへ行く

いったいあれは何だったのだろう。バブル時代のラッシュの山だ。花の金曜と言われタクシーがつかまらず通称「ハナ金タクシー」と呼ばれた白地に青の増発車。鉄道も右に習えの奇策が取られた。

ラッシュ時の乗り降り時分を稼ごうとドアを増やす、ドアを大きくする、一気に乗ってもらおうと2階建て車を投入する、スタンダードと呼ばれる姿を捨て特異性に走った。各社の独自性が出た。出し抜いた、個性を出した。

そして時代ははじけ、惨敗した。

ドアを大きくしたのは営団と小田急だった。営団05こそ今も生きながらえているが、小田急は座席数が少ないことが苦情原因となり、ドア開口部を狭めあたかも半開き状態となって座席を増やした。口の悪いファンはそれを「だまし絵」と呼んだ。
悲劇は続き4連を6連に改造、あわれ運転台はばっさりと切られた。幸いだったのはその改造が極めて美しく仕上がったということだ。

ドアを増やしたのは営団、東武、JR、京王だった。営団(メトロ)は3を5にしたが結果は正解。東武にもその良さが伝わり仲間も増えた。JRは6ドアがスタンダードになり、採用路線が増えた。
京王は失敗した。4から5という変則型だったので整列乗車が乱れ使いにくい状態になった。5連×4本は2本がほぼ切り刻んだ状態の4ドアへ、2本は4連、6連と組成を直され支線封じ込めになった。そしてその5連もMT比の関係か朝のみ2本繋いで10連でラッシュに入るという限定仕様になってしまった。平成生まれだが意外に短命かもしれない。

2階建てはJRが行った。ライナー用に作られた215系、着座は良かったが乗降であまりに時間が取られるので外された。時期を同じくして湘南新宿ラインができ、新たな職場が見つかった。安住の地を得たかとも思われたが、ここも10月のダイヤ改正で追われる身になってしまった。東海道線に返り咲くのだろうか、一度は不適当の烙印を押された215系、JRもその利用法には手を焼きそうだ。

バブル時に咲いたあだ花となってしまった彼達、姿かたちを変えてけなげに生きつづけるもの、その使用方法に悩まされるものなどスペシャリストの運命は決して明るくない。唯一勝ち残った5ドア、そしてJRの6ドア。5ドアは3ドア兼用になれる器用さが珍重され、6ドアは1両だけという限定仕様にJRならではの「全編成入れる」という統一性、そして私鉄にない乗客絶対数の大きさである。

スペシャリストは基本ができていないとその場、その時代しか生き残れないのだろう。もしくは天職といわれる職場にめぐり合ったときに輝くのだろう。基本はまだしもスペシャリストを生かす天職と言われる職場、今の日本では探すことすら徒労に終わってしまうほど難しいことであろう。

スペシャリストよ どこへ行くんだ!

215系

まもなくこの地を去ってしまうJRのスペシャリスト215系。JRグループ内でも珍車中の珍車だ。渋谷にて

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2004.09.15

好きな車  東急8590

好きな電車は何? と聞かれたら真っ先に答えるのがこの車両です。

東急の8590は私が鉄道ファン休止状態の時にデビューしました。ですからいつできたのかという詳細は記憶していません。
そもそも軽量化に取り組んだ東急が8000系の中間車に軽量車を組み込んだのがそもそものはじまりです。この間まで残っていましたが、MM21乗り入れと同時に廃車です。
その実績を持って8090系を落成、東横線の急行として活躍をはじめました。が、MM21プランが浮上し非貫通型は乗り入れができないので急遽貫通型を作成+電動車比率を上げるためにデハで落成したのがこの8590です。

最初見たときは黒塗りの変な8500がいるなぁと思ったものです。東横線で主に急行として活躍していました。そのうちに東横線にはハイテク車9000が入るようになると脇役へと下がっていきました。看板時代というのがこの電車にはないんですよね。

ある日珍事が起きます。MM21向け、つまり東横線用に作った8590を何と田園都市線に移籍させるということです。言ってみれば予想外の出向です。仲間2本で転籍するも1本は中間車を奪われて車庫で長期間のお昼寝状態、末期はさらに1本来て、最後の1本などは自走できない状態にまでバラされました。
が、運命とは面白いもので、特段面白みのなかった半蔵門線、田園都市線で極めて異色を放つようになりました。ファンが追いかけ、乗ったというだけで羨望の眼差しでした。私なんぞ情報を基に仕事をすっぽかして乗りに行きました。後にも先にも仕事をすっぽかして電車に乗ったのはあの時だけです。

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東武との乗り入れ直前にまだ頑張っていた8590 ○Kのシールがある

なぜこの車が好きか。それは外観、下膨れの車両なんですよ。裾を絞る車は多いのですが、裾を膨らますというデザインはあまり見ません。また前面の窓配置もオーソドックスで好感が持てます。この車、どっかで見たなという方は鋭い。東急ステンレス車の始祖(元祖は5200系)6000系のデザインに酷似なんですよ。

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この車もあまり恵まれませんでしたね。元祖ではなく本格派7000でもない中途半端な位置づけ、そんな生い立ちにも共感が持てました。田園都市、東横と旅芸人の車生を送り、二子玉川園から先は行かずにVVVFに改造されてしまった。冷房化もされなかったと東急の中では冷遇されてしまった車ですね。何となく8590がそれとダブります。

今では全車東横線に復帰、本来の使われ方であるMM21に毎日入っています。田園都市線にいた数年間、彼らは何を思って激走していたんでしょうね。

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2004.09.11

日本一長い旧国の形式

クハ、クモハ、サハシ 国鉄、JRの形式はカタカナでその車両のプロパティを表す。貨車はもう鬼籍に入ったレム、ポム、テム、スムなどがかつてはあり、私はそのすべてをこの目で見たことがある。

現在このカタカナの一番多くの文字を使っているのがおそらくキサロハかオクテハだと思うが、旧型国電末期の飯田線に何の因果か、最後の舞台かクモハユニという日本一長い形式が在籍した。

クモハユニ64、この車はクモハ40系列に属し、ロングシートで郵便荷物合造車として落成した。兄弟も2台いた。が、折りしも戦争中、モーターを積んでもらえない兄弟がおりクモハユニの形式はあわれクハユニと変え飯田線にやってきた。
このクハユニ56が曲者で、常磐線にいたクハニ67に郵便部分をつけた形式が同じくクハユニ56を名乗った。こちらは1からはじまる。一方モーターを積んでもらえなかったクモハユニはクハユニ56の10番台として同じく飯田線に所属していた。

唯一モーターを積んでもらった幸運のクモハユニは兄弟とは離れ大糸線に配属となった。が、同線では利用価値がなく牽引車代用として働いたと聞く。その後岡山に移籍しても同様に牽引車、両運転台に改造もされた。旧型国電末期、飯田線はたくさんのファンが訪れ、クハユニはその珍しい形式ゆえ追いかけられた。

クモハユニはそんな喧騒とは別にひっそりと岡山で余生を過ごしていた。昭和53年だろうか、名物クモハ52、流線型電車が廃車になったのと入れ替えに岡山からクモハユニはやってきた。旅客車として堂々の復活だ。それは長い間離れ離れになった兄弟との久しぶりの対面でもあった。

追いかけられた。クモハユニは今までにない勢いで追いかけられた。それはその数奇な運命も手伝ってファンの共感を呼び、追いかけられまくった。彼にとっては最高の数年だっただろう。

そして119系に道を譲りその生涯を遂げた。岡山にいたらきっと不完全燃焼だった車生も飯田線の数年で完全燃焼をしただろう。

もうこんな長い形式が出てくる機会はないだろう。日本一長い旧国の形式は思い出としてファンの心に残ったのである。私の心残りはそんな彼の現役を見ないで終わってしまったことだ。

茶色時代のクモハユニ

転属当初は茶色だった。スカ色が標準の飯田線では異色

スカ色になったクモハユニ

その後スカ色へと塗り替えられた

写真協力:鈴木晴美氏

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2004.09.09

「通勤」電車

水曜日は電車に乗って仕事に行く。横浜が多いので東急に乗る機会が増えた。帰りの特急は渋谷の折り返しで「通勤特急」に化けた。
通勤特急

ふと考えたのだが、この通勤種別というのはどこの会社がはじめたのだろうか?
きちんと調べてはいないのだが、私は関東いや全国の走りは京王だと思う。昭和42年にはもう通勤快速と通勤急行があった。当時の関東各社の種別を覚えている範囲で書くと
国鉄・・なし(特別快速はあった)
小田急・・急行、準急
東急・・急行、快速
西武・・急行、準急
京急・・快速特急、特急、急行
京成・・色々(特急、通勤特急?、急行2つ、快速)
東武・・特急(東上)、急行、準急、快速
営団・・快速
東京都・・本当になにもなし

が、現在はJRに通勤快速に通勤特快、西武は通勤準急、通勤急行、通勤快速もかつてはあった。京急は通勤快速特急という呪文のような名称もあったが今は廃止、純粋に通勤種別がないのは小田急くらいだろう。

この通勤も会社によって本種別の上位、下位があり面白い。
上位・・JR、西武、京王
下位・・東急、東武、京成、メトロ

幕も同色のもの、オリジナルのもの、全く別のものと様々。通勤種別は一般的に平日の決まった時間しか出てこないのでレア種別として珍重される。帰宅時に一本まってそんな通勤に乗ってみたらどうだろう。

通勤準急

東武日光線の通勤準急は珍しく日曜日も出てくる。曳舟ー北千住は準急よりも早く、北千住からは準急と同等。区間準急の変形だが、準急よりも速くなってしまうという面白い種別。これが東上線に行くと反面急行より遅い通勤急行が待っている。真っ赤な字幕に白抜きというのがド派手

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2004.09.07

敵か味方か JR東海

本州会社の暴れん坊、JR東海の話である。JR東圏内の人間ならこの会社を苦々しく思う人も少なくない。新幹線と営団のジョイントキップを作って意地でも東に乗せないとか、小田急と組んで新宿から東に乗せないとか、まぁ東向け対抗企画の目白押し。
加えて必殺の短編成によるギュウ積め乗車など(詳しくはここ)、長編成に慣れる東京人にはなじみにくい。英語名がセントラル(中心)ってのもどうもしっくりこない。

先日名古屋の友人にあったら名古屋でもやっかいものと聞く。名古屋のサービスをわかっていないと。「でも名古屋向けに転換クロス載せてるよね」といえば「名古屋はそれが当たり前、それ以外に何ができるかをまったくわかってない。東京の会社だな」とのこと。
東京人に言わせれば東海は名古屋の会社、粋でもないし、けち臭い。まぁ散々に叩かれる会社ですなぁ。

ここは意外にもそんな東海を支援している。ちょっとした知り合いなんだけど、見直すポイントが見えてきた。

まず本州会社の中で通勤で儲けるのが非常に難しいのが東海だ。絶対量の多い東、歴史と伝統の対決西に対して国鉄時代汽車ダイヤで通勤を捨てた名古屋局、そこを引き継いで名鉄をコテンパンにしてしまったのだが、あそこまでが限界、そう同じパイを食い合っている地域だ。自動車という共通の敵が名古屋にはある。国鉄時代は共存共栄で名鉄との棲み分けもしていた名古屋局もJRになるや一転して大攻勢、名岐は戦意喪失にまで追い込んでしまった。
しかし考えてみればそうでもしない限り新幹線依存はなくならない。他でどう儲ければ良いのだ。東には仙台も新潟もある。西は広島も岡山もある。が東海は静岡しかない。おまけに東海道は全部通過型電車が多く、停車してもらえない。飯田、身延と分の悪いところを押し付けられる。と同情の余地もある。

そして何より東、西のガリバーにはゲリラ作戦で一矢を報うしかないのである。JRの中小企業、東海。生き残るのは知恵しかないのだ。

東京からも名古屋からも認めてもらえず新幹線会社としての認識が大半の東海。アナタはどう見る。敵か味方か。
お勧めサイト
敵ならこっち
味方はこっち

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311系 ケチとはいうがこういう車両を静岡に置くのは東西では出来ない芸当

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373系 ステンレスの特急なんてとも言われるが、その前面展望は他の特急の追従を許さない

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2004.09.06

イベント臨を考察してみる

もうだいぶ前になるが、新宿の歴史博物館で鉄道の展覧会が行われた。この歴史博物館というのは過去にも鉄道モノをやっており、学芸員がお強いとも聞いている。
展示半ばに鉄道ファンなら誰でも知っている吉川文夫さんの講演があり、そこで興味深い話が聞けた。
私鉄は国鉄とは違い「お客を引っ張ってくる」必要があるので、沿線に住宅やら遊園地やらを作るなり呼ぶなりしないと開業時はなかなか成り立たなかったという話。
東急だと田園調布に多摩川園(現在廃園)や二子玉川園もそうか? 京王だと京王閣、京成なら谷津遊園、小田急は向ヶ丘遊園、西武は貨物をやっていたのでタイプは国鉄のそれに近いのだが西武園、豊島園がある。

また賭場を持つ沿線は30年代などは良かったのだろう。京急の川崎競馬&競輪、京成なら中山競馬に千葉競輪、船橋オートや船橋競馬、西武は多摩川競艇、西武園競輪 京王は東京競馬場、京王閣競輪、東急は・・ さすが東急は手を出さなかった。(出せなかったのか)

さて遊園地はTDRの一人勝ちで上記遊園地は軒並み廃園に(西武のみ残る)、賭場も公営競馬や競輪、競艇は軒並み減少、中央競馬のみ現状維持という状態。

一方昭和50年頃より出始めたのが「競技場」 西武球場が最たる例である。東京は神宮と後楽園という2大球場がいずれも都心にあり、営団もしくは国鉄が乗客をさばいてはいたが、臨時を出すもなく頻繁な運転だったのでダイヤ的妙味はない。が、西武球場は面白かった。ズラッとホームに電車を留め置き、ゲーム終了とともに一気に出す。圧巻だった。
平成になって京王沿線に「味の素スタジアム」ができた。サッカーはもちろんコンサートでも利用される。京王の場合は各駅しか止まらない飛田給に側線を作り、ここに突発を留め置き、特急、準特急を臨時停車させてさばくという作戦になる。

最近の西武はホーム留め置きこそ面白みが減ったが、反面乗り入れをいじるなど別の楽しさが出てきている。
例えば平常ダイヤであえて1本だけ所沢止まりなどを設定しておく。これは小手指に延長運転をしておいた方が得なのだが実は野球開催日には西武球場前に延長運転させるためにあえて所沢で止めておくのだ。
またこんなこともあったそうだ。小手指行きの定期ダイヤを西武球場行きに差し替えたところ、西所沢ー小手指は運休になってしまう。従って所沢発小手指行きという代打電車を出したようだ。おまけに運行番号を全く同じくして、16Mだったらしいが、その日は5分間に2本の16Mが所沢を出たそうだ。延長運転の16Mは西武球場で留め置き、運行番号を降ろす。一方代打電車は小手指到着と同時に本来の16Mとしての任務に就いたとのこと。
西武ってこういう柔軟な対応やマニアが泣くようなことをあっさりやってくれる。

きっと赤電の頃はもっと楽しかったのだろう。けち臭いという印象だけで全く触手が動かなかった自分を恥じる。

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メトロ車の準急西武球場前行き 終点到着後、留め置きなのか回送なのかはわからない

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2004.09.05

世界で一つだけのハザ

福島に行ったことを前に書いたのだが、ここで大変珍しい車両の撮影に成功できた。鉄仲間でも「よく撮ったよな」という声のほうが多い。クハ455-600である。
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これは455系列が東北新幹線開通と同時期にローカル転用されることになり、先頭車が足りないと言うことでクハ165などをじゃんじゃん転用をかけたとのこと。配給電車のところで書いた「貧乏国鉄の末期」におけるおもしろい転用の一つだ。が、クハも足りない、でなんとサロを先頭車改造したのがこの600番台だ。
九州と東北に各1両ずつ存在していたのだが、九州は廃車になってしまったらしい。で、東北は未だ健在である。

窓の構造など種車の特徴をそのまま引き継いでいるが、面白いのはグリーン車時代の小さい客用扉もそのまま残っていることである。
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こういう個性的な車両が減るかと思ったらどっこい西日本や東日本のJRでは再生産をはじめるなどJR(国鉄)と改造とは切っても切れない縁かもしれない。
またこれがとても楽しいのである。

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2004.09.01

まだ間に合います。お急ぎください

9月になりました。まもなくE231が東海道線を闊歩するでしょう。反面215は行き場を失くし、どうなるのでしょうか?
残り1ヶ月、撮影はまだ間に合います。
同じように、まだ間に合う画像を出します。手早く撮影しておきましょう。
1) 東急の幕
東急田園都市線は幕車を○Kに指定して、東武線内に乗り入れない措置をしています。5000が入ればいずれ廃車もしくは大井町線に移籍ですから、撮影はお早めに
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2) JRの立ち食いそば小竹林
JRが民営化された直後に従来の立ち食いそばを直営にし、小竹林としてデビューさせました。が、日本食堂(現NRE)に経営を移行し「あじさい」として再出発を図っています。が、数件が未だ小竹林として残っています。時期が来たらいずれあじさいになるかもしれません。画像は川崎、他に三鷹でも確認です。
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3)西武池袋の駅名標
西武池袋の駅名標、これは長いです。ものを大切に使う西武ですからむやみやたらに変えたりはしませんが、何時消えてもおかしくはない代物です。
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4)快速急行 三峰口・長瀞・寄居
えっ! これ消えるの? 消えません。しかし2000をはじめとする急速なLED化、4000系もうかうかしていられません。幕は早めに押さえるが基本です。特に西武のLED交換は他社のそれと比べるとべらぼうに早いのであれよあれよと交換されてしまいますよ。
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2004.08.29

配給電車再び

事業用車両が好きだと以前書いた。しかし写真はあまりない。これはなぜか。
これは一番旬であった時期に大学生という幸運な時代を送ったにも関わらず「鉄道から足を洗っていた」という不幸なめぐり合わせが来てしまったということがあったからだ。
熱中していた昭和50年代前半、中学生でバイトもできず、実車より鉄道模型に熱中しており事業用車の写真を撮るなど考えも付かなかった。不幸は50年代後半にやってくる。
旧型国電の廃車である。これで燃え尽きた。まだまだ探せばいくらでも旧型国電はあったし、事業用車、地方私鉄などをこまめに回ればいくらでも素材は転がっていたのに全部捨てて、彼女作りとバンドに走ってしまった。

大学入学でさらに追い討ち。念願の鉄道研究会に入部もその部は「変な香具師の集まり」ということがわかり、なんとあれほど好きだった鉄道を毛嫌いしはじめた。業界では「ヤード貨物の廃止」「郵便荷物の廃止」などがささやかれいくらでも撮影のネタがあった。また貧乏国鉄末期は強引な改造や無茶な編入というゲテモノ乱発という非常に面白い時期だったが全く触手が動かず(というより知らなかった)

そして配給電車は新性能になった。郵便車が消え、やがて荷物も消えた。

時代ははるかに過ぎて平成12年である。ようやく撮影趣味が復活した。JRに目を向ければまだ間に合ったかもしれない。しかし私は私鉄に走った。そこで記録写真を撮っていたのだ。平成14年、ようやくJRの趣味(真実ならば国鉄で私の歴史は一度終わったから初めてのJR趣味)が戻った。もうそこにはゲテモノの勢力は消え、国鉄さえ追うのが難しいという現実があった。

が、嬉しいことに不況で貧乏国鉄末期を髣髴とさせるJR西にゲテモノ115やバラバラの転属、東205などこれからが楽しみなところも出てきた。

やっとタイトル、昨日大井工場の公開に行ったら新性能のクモルがいた。そう旧型時代は見ても記録ができなかった配給電車である。もう用途廃止らしいがけん引代用で車籍には残っているらしい。

間に合った。なんとか間に合った。

配給電車よ久しぶり! 俺は趣味に戻ってきたぜ!

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2004.08.21

平成クハニ事情

まだ国鉄だった頃、荷物列車、郵便荷物車などの「非旅客車両」というものが全国に多数存在した。客車であったり、気動車であったり、そして電車でもあった。そんな事業車の中に私はどっぷりと浸かっていたのだ。

中央線だと松本方向に行く中電には「クモユニ」もしくは「クモニ」がつながっておりその種類も多く、新宿の引き上げ線(今の特急折り返し線)のところでたくさん見たものだ。残念ながら写真をあまり撮っていない。

国鉄解体のちょっと前に全廃になり、事情が許さない房総地区を除いて全車用途廃止された。一部牽引車になったもの、クモハに返り咲いたものなどもあり、それは今も生きている。

さて、今日のこと、宇都宮線の115に「教習者」が入ったとの連絡があり、赤羽に出かけてみた。11両が115なので比較的追いやすい。残念ながら該当車には出会えなかったが、新聞輸送の電車に遭遇した。

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電光掲示板にはこう出る

電車の半分にカーテンをつけて荷物部分に区切る方法で、国鉄時代も気動車で専用の番台区分があったほどだ。(キハ25-400)内容的には同じ
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E231、半車もしくは2/3が荷物部分

驚いたのが211、全車荷物なのである

211.jpg

荷物列車も専用車も消えたけど、どっこい生きているんだなと再認識、事業用車が好きな私にとって本当に懐かしく、嬉しく思える光景だった。

形式名はさしずめ
クハニE231
クニ211  しかしクニ211ってのはすごいですね。

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2004.08.14

福島競馬場に行きました

先月のことですが福島競馬場に行きました。宇都宮線にグリーン車が連結されましたから当然それを利用、その模様をここで書きました。競馬は翌日だったので黒磯で友人と交流、直流の機関車切り替えなどを眺めていました。
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金太郎が来て
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桃太郎に繋ぎ変えた 交流直流が切り替えられるからできる芸当

また構内では懐かしの釜飯の立ち売りがあった。
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が、この後が大変なことに。大雨で黒磯から先福島方向が不通になってしまったのだ。とりあえず友人の車で新白河まで送ってもらい(新幹線は平常通りだったので)そこで対応を考えることに。白河ラーメンでも食べて待っていると電車が到着、しかし動かない。聞いてみると「この列車に限り新幹線の振替輸送ができます。郡山までならキップのみで新幹線に乗れます」と伝えられた。そしてもらったのが下の振替証
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何とかこれで事なきを得たが、この大雨が後の新潟・福井の災害の予兆だったようだ。翌日は郡山駅で懐かしい三菱の旧型バスに遭遇
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競馬は負けました。一応写真です。騎手は名手岡部
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2004.08.06

テレビチャンピオンに出ました 4

決勝の収録が行われる前日の夜「今から明日の最終問題のチェックをお願いします」と携
帯に電話がありました。「自信がないですが頑張ってみます」とFAXを待ちました。
来たFAXはあまり鉄道には関係ない問題が多いのでしたが、それでもちょっと気になったことがあったので「ちょっとわかりづらい問題もあるみたいですね」と電話で答えたら「あの、もし良かったら明日、半日でもよいから収録に立ち会ってもらえないでしょうか」と要望がかかりました。明日は早目に切り上げてマッサージでも行こうと思っていましたので「では行きますよ」と答えました。

で、当日6時から仕事やっておおむね午前中には終わったので会場である地下鉄博物館に行きました。映画を流すところで収録していました。

ものすごい人の数(観客ではなくスタッフです)20人以上はいました。AD、D、音声、照明、効果その他で誰が誰だかわかりませんが、俗に言う「業界の掟」というものをはじめて見ました。あれ、フィクションかとおもったらノンフィクションでした。

例えば業界コーヒー、つまりこれも業界で言われる「一人一人味が完全に違うコーヒー」 こんなもの嘘だと思っていたら本当にあったのです。上記「おい** コーヒー 一つは砂糖、一つは薄めでミルク、一つは砂糖とミルク、一つはブラックで濃い目、早く用意しろ」(ちなみに女性がこれを要求しています)しかしこの注文を顔を見ただけで
わかる女性もすごいが、その後文句が出ないんだから作ったADもすごいとおもいました。

ギリギリに追い込むという部分ですが、こんなエピソードが最初の問題が予想に反してあっさり答えられてしまったのです。それも同じ回答者に、番組構成上ドキュメントじゃないんだから開始20分で優勝決定、残りは過去のチャンピオンの勇姿をご覧ください、ってわけには行きませんからさっそくAD怒られる「このバカヤロー、あんな簡単な問題出すんじゃねえょ、どうすんだ! えぇ・・ もっと考えて問題作れよバカ」と怒鳴られています。

そこからすごかったのは、すぐさま問題差し替えて、難易度を上げる、また解答方法をより受ける方向性にもって行き「即対応する」これでした。

会議のときにことごとく黙っていたり、私自身「自信あり」という問題に難色を示したのは「ネタの仕込み中」だったわけです。こういうピンチのときにネタを一気に加工して出してくる、電車でいえば阪神のジェットカーみたいな加速力です。この芸当はできませんね。またディレクターだけじゃなくて音声、撮影隊がすぐさま対応できる状態になっている、ADはこういうときの下地をすぐさま作れるんですよね。また小道具も多い(後述)とテレビ現場の真剣かつものすごい現場を見ました。

また逆に難易度が高すぎて正答がなかなか出ない時があります。今回で言うと大江戸マンのときがそうですが、そういうときは何するのかとおもったら「リサーチ」と称して解答を紙に書かせてDがチェック、誤答に×つけて返す。で誰かが正解出すまで繰り返すという作業をやります。正解が出たら「では今書いた解答をそのまま答えてくださいね」といって分かれます。なるほどこうやって工夫するのかと感心しました。

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tv2.jpg

ただいま撮影中
私の出番はあまりなく、ときどきADが来てコーヒー出してくれました。映像問題でレベルのチェックを求められました。OK出したら誤答が連発。結局リサーチがはじまった次第です。

ただ最後にチェックが来ました。「森下の芭蕉庵と船堀の金魚って何か関係あるんですか?」芭蕉庵は橋のたもとにあるのを知っているので自信がありましたが、船堀の金魚には悩みました。苦し紛れに「江戸川区は金魚の名産地ですから」(確か江戸川の用水を引いて金魚の養殖をしていた(篠崎あたりで)と聞いた覚えがあるので答えたら、解説に苦慮しているチャンピオンに向けてすぐさま画用紙が出てきて「森下 芭蕉庵がある」とか書かれたカンペになってしまいました。さすがにこれはまずいと思い、収録後ADに「後で調べておきますから、最悪違ったらカットしてください」とお願いしておきました。幸いなことに船堀と金魚は正解だったのですが、本放送ではこの部分はカットでした。

最後にロケ弁食べて帰宅の途についたのです。時間は21時あたりだと思います。視聴率もまずまずだったようで、鉄道ネタとしての番組作りは続行のようです。「何かありますか」後日ディレクターから電話があったので「東横線はいいですよ。自由が丘に代官山、みなとみらいもありますから」と答えたら「いいっすね! ニコタマも考えていたんですよ」と来たので「ニコタマもやるなら東急全般ですね。そうすると渋谷も金妻も南町田のアウトレットも出題範囲になります」と答えると「早速企画会議に出してみます。ところで東急って撮影に協力的ですか?」嗚呼、さすがテレビマン、もう撮影の可否まで考えているんですね。「大丈夫、専門の部署があるみたいですよ。もっともドラマに対してだけど、でも大丈夫ですよ」と答えておきました。
今回泣かされたのはメトロがあまり撮影に対しての許可を出して来なかったというところのようです。もう少し撮影させてもらえたらもっとよりよいものができたのではと思います。

実に良い体験をさせてもらいました。と同時にこのblogにコメントをくださったprimeraさんや紅蜂。さんのおかげで手記として残すことができました。記憶から記録に、後押ししてくださったのはお二人のお陰です。

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2004.08.01

テレビチャンピオンに出ました 3

金曜日に制作会社から電話がありました。内容は「すみませんけど作問を手伝ってもらえないでしょうか?」という連絡でした。何でだろうと理由を聞くと「制作側が鉄道に疎くて資料をかき集めて作ってはみたけどどうにも出来ない路線がある。なんとかフォローしてもらえないだろうか」とのこと。
良いですよ。と答えたら何と3時間で考えてくれ! との無茶な要求をしてきました。都営全線と南北、日比谷ができていません。ということで速攻で作って送りました。

そうしたら月曜日にまた電話がかかってきて「明日、ちょっとディレクターと打ち合わせして最後の詰めの監修をして欲しい」と要望があがりました。ついでに「今度はもうちょっと周辺の情報を交えて問題下さい」
って、前回全力で6問作ってまた要求してくるとは・・それも夜10時にかかってきて明日の朝までに頼む。ってやはり進行が押せ押せなんですね。

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制作スタッフから来たFAXと私が考えた作問

作問内容をチェックしてもらうのですがどうも顔色が良くない、聞くと「知識勝負ならカルトQなんですよ。そうではなくて周辺のネタでインパクトあるものが欲しい」とのこと。やはりテレビでバラエティなんですよね。ウンチク語るのは他でやって欲しいとのことです。

ただ前回出したものはそれなりに評価してもらえたので後は出題方法をどうするかというのをファミレスで延々と詰めました。しかしなかなか結論が出ないんですよね。スタッフって他にも仕事抱えているのにここまでギリギリに追い込んで果たして大丈夫なんだろうか? と心配したほどです。しかしその心配、収録のときにわかりました。とにかく収録では苦労の連続、それはまた次回のココログだ~~~

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2004.07.31

テレビチャンピオンに出ました 2

第二回の予選は神谷町のテレビ東京会議室で行われました。時間は16時から。

試験はペーパーと自己紹介カードの2つです。試験ですが先週受けたものと酷似しています。ところが試験の傾向を完全に読み違えたのでここで大失敗をして落ちてしまったんです。

内容は
地下鉄の日とはいつか
  答え 11月30日(銀座線の開通日)
ヒロタのシュークリームは何件あるか
  答え 3件(永田町、有楽町、大手町)

このあたりは全然できません。ただ駅ナンバリングは必死に覚えたので
大手町の駅ナンバリングを全部書け
   できた。

自己紹介カードでもしっかりと売り込んでおきました。1時間で試験終了して以降面接なんですがたまたま隣に座った若い衆と話をしてみると・・

彼は所属する大学の鉄研にオファーがあり、先輩に無理やり行かさせられたと言っていました。「専攻は」と聞くと「模型」 う~ん苦しい専攻ですね。後はローカル線巡りだそうです。

終了後30分ほど採点があって結果も含めて発表なんですが、私も含め4名が指名されました。別室に面接に来いと。

で、4人で入ると担当Dから「どうもお疲れ様でした。皆さんはシードですからもうお帰りになって結構です」とのこと。これで開放されました。で帰りのエレベータでさわやかな青年と同席しました。東京メトロになってインターネットの情報サイト「Let's Enjoy Tokyo」の編集担当のようでショップがらみはすごく詳しかったです)
が反面「私は**系とかいうのがさっぱりダメで」というお話。この人こそ後のチャンピオン寺田さんだったのです。神谷町まで一緒に帰っていろいろと本戦の話をしました。

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