2008.09.20

1年ぶりにblogを復活させます

みなさま お久しぶりです。2007年一旦blogを休止しましたが、今日よりボチボチですが復活していきます。

この1年は結構大変でしたが、本業の比率を半分にまで減らして、代わりにファシリテーションやワークショップのお仕事、大学で講義(NPOのことや生涯学習のこと)、まちづくりのアドバイザーなどをしていました。ようやくそれにも目処がつきこうしてblogを書くことができます。

鉄道は主に使う「有楽町線」「南北線」「副都心線」「都電」程度しか付き合いがなく、新線ができてもしばらくしてから乗る毎日ですが、気がついたことは時々書いていこうと思います。

これからよろしくお願いします。

Cimg1908

とりあえず副都心線開業の日の有楽町線

P1010653

07系がいたころの有楽町線(今は線内で「快速」の表示はありません)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007.05.28

近況報告

え~~ すみません。blogを放置状態にしてしまっております。言い訳ではないですが近況報告ならびに更新ストップの原因を

1)確定申告
毎年のことであるけれど本当に苦手。特に今年は赤字ギリギリだったので申告用紙を書く気もせず日曜日のたびに悩んでいた。自分には「2/10に税理士に提出」を目標に1/5より着手。それでもギリギリの2/20に税理士に提出した。これが入ると全然やる気がおきない

2)試験
年金アドバイザーの試験が3月初旬にあり、受験。見事に大失敗で落ち込んでヤケ酒。また来年もかよ(昨年も不合格)と思っていたら、4月に自己採点が間違っていたのか出題ミスがあったのかでどういうわけか合格。3月はこの気持ちの整理でズタズタ。

3)mixi
日記を書くのがmixiになってしまいなかなかblogには反映できない。それに鉄道取材はさっぱりやっておらず同じ線を乗り降りだけ。これでは書けない。

4)画像加工が面倒
blogは画像があってなんぼだが、デジカメを買って撮影頻度が上がるも、必ず加工をしないと変な画像になってしまう。その画像加工が面倒

5)駅前プログをやる
駅探の駅前プログの担当になって3ヶ月毎週1本というノルマがあって、そっちで鉄ネタを出してしまっていた。

他にもあるけどいいわけばかり。大阪に行ったりもしてはいるんだけど。ボチボチ書いていきます。

近況報告でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.31

2006年を振り返ってみて

大晦日になりました。今年を振り返ってみますと本当に辛い1年でした。

仕事がまったくうまく行かず、途方にくれる毎日でした。頑張っても頑張っても結果が出ず、半ば諦めムードが漂う日々が続きました。blogもなかなか更新できません、なぜなら悩みが多く書く気がなかなか起きなかったからです。

ただ交友関係では本当に大きな前進がありました。荻原二郎氏、吉川文夫氏など鉄道趣味の大先輩とお知り合いになれ、その上鉄道図書の執筆、大手出版社から鉄道図書の監修依頼や電鉄会社のカレンダー製作のお手伝いなど本業以外は順調でした。

年末に少しだけ本業も前進、ようやく光が見えつつあります。今後はセミナーのコンサルや市民活動、ボランティア、生涯学習など今まで「副業」として部分を伸ばし、本業は仲間を作ってたゆまぬ努力を続けて行きたいと思います。そして鉄道関係は新年、会社の設立を目指します。

まだらな更新でご迷惑をおかけしたことと思います。2007年はもっとたくさんの明るい記事を書くようにしていく所存です。

本年もご愛用いただきありがとうございました。

P10102390001
11月にTVの撮影協力で乗車した貸切電車

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.12.01

危うく振り込め詐欺の被害に

今日は危なかった。振り込め詐欺に引っかかりそうになりました。

過去、この手のヤツは逆にからかうなどのことでお遊びをしていたのですが、今日の手口は「税金」、自営ですと税金というのはどんなに真面目に申告をしても気になる項目、ここでやられました。

「税金が還付されるからコンビニで受け取って欲しい」という口ぶりでした。たまたまコンビにの前でしたが、操作機械がなったのが幸いして、税務署に確認、詐欺とわかって逆襲のネタを探し始めました。

振込みが来ないのでさっそくインチキ野郎から催促が、一言「警察ですが」と言ったらそれっきり何も言ってきません。もちろん税務署にも警察にも区役所にも全部連絡済です。

03-5953-****

というとぼけた番号を指定してきます。私はかけてしまいましたが、明日以降はからかうモードになっていますのでいつでも来いです。場所は池袋か南池袋、南大塚の近辺です。いずれ警察が行くでしょう。

さっそく明日から公衆電話でいやがらせの電話で応酬してやろうと思います。馬鹿なヤツだよ、しつこい男にトラップをかけるんだから。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.11.11

寺脇研氏 文科を去る

http://newsflash.nifty.com/news/tp/tp__yomiuri_20061110i402.htm?ref=rss

ゆとり教育の旗振り役寺脇研氏が文部科学省を辞めるようだ。

私は同氏が生涯学習の担当官だった頃、文部科学省のお仕事をしており、仲間が氏のパーティに呼ばれて出たことがある。生涯学習でもユニークな手法を入れたのは氏だ。

体験学習という手法があるが、これを国レベルで定着させたのは氏の功績だ。体験学習、つまりワークショップやロールプレイなどは成人教育の世界ではあまり有名ではなかったが、氏はこれについて本を書いて広く知れ渡るようになった。

ただ、この手法は有名講師などはすでに知っている方法で、博報堂の中野民夫氏などは研究家としても大変有名である。通向けだった学習方法を氏は一般に下ろしたと表現すればよいだろうか。

まだ若い方らしい、今後の活躍を期待したい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.11.04

友を見送った日

自転車ではなく今度は本当に友人がこの世を去った。今日はその通夜が府中で行われた。

友人は高校の同級生で、1年生のときに同じクラスになった。陽気で気さくで誰にでも優しかった。故人になると美辞麗句を並べ立てるが、友はそういうわざとらしさを持たずとも自然に言葉が出る。良い奴だった。

生活は決して順風満帆ではなかった。厳格な両親に育てられ、高校までは遊ぶことを知らず。私が彼に麻雀を教えたほどだ。その後彼は麻雀にはまって身を持ち崩すときもあった。車の免許も同じで、彼が浪人時代、一度自分の車に乗せたところ気に入って浪人にも関わらず免許を取り乗りまわっていた。今でこそ書けるが私の父が違反のもみ消しを何回もやった。

大学は夜学に通いながら仕事と両立、仕事はうまく行ったのだが酒におぼれた時期もあり体を壊す、離婚もしてしまうとちょっと不運も続いた。そして目が見えなくなり障害者となってしまった。今思えば命を奪った病気「糖尿病」にかかってしまったのだろう。

故人の前で友人たちと友を偲んだ。女遊びのこと、インチキで金儲けをしたこと。ただそれが大変さわやかなイメージだった。昔のワルなんて所詮この程度だったのだ。

最後に彼が私に話した今も心に残る一言を書きたい。親子兄弟関係がうまく行かず友人たちにこぼしていたとき、彼だけがこう諭した。

「親兄弟の悪口は自ら言うな。言っても損をするのはお前だ。親兄弟は誉めなければ自分の格が下がるだろう。色々あるかも知れないがとにかく言うな」と。

この言葉は生涯忘れない。天国で達者に暮らしてくれ。そしてまた思い切り暴れてくれ。俺は下界でそれを見せてもらうと。

合掌

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.28

友を処分した日

1台の自転車を処分した。それは友ともいえる大切な道具だった。

それとはじめて出会ったのはまだ昭和の頃、昭和63年である。サラリーマンを辞め自営となり新宿から板橋へ引越し、バブル真っ盛りで駐車場が確保できず自宅から少し離れた場所に駐車場を借りた関係でそこへの移動のために買った。ディカウントストアで1万とちょっとしたと思う。毎日よく働いてくれた。パンクを時々やられたが、故障は少なかった。ただ一度坂道で大きく踏みこんだ際チェーンが外れて道路に放り投げられたことがあり、その傷は今も残っている。まだ独身で飲む機会も多く、ときわ台の駅に止めてはタクシーで帰り、翌日自分のトラックに載せて自宅にご帰還なんて贅沢もこの自転車は経験した。約6年、独身時代に終止符を打って結婚、それでもこいつは立派な自分の足だった。

板橋を引っ越すことになった。今度の地は文京区だった。もちろんこいつも連れてきた。まだ住人が少なかった頃自転車置き場で大きな顔をして止まっていた。ただ、今度は駐車場も近く、駅も近いのであまり活躍する機会はなく駐車場での楽隠居だった。

数年経ち自転車置き場は1戸1台と決まり、妻の自転車を置くこととしてこいつはトラックが止まる駐車場横に場所を動かした。私は「まだ捨てたくない」という意識があったからだ。しかし1年も経たないうちにここから動くことはなくなった。使わなくなったのである。雨に晒され、雪に晒されたがそいつは壊れることなくそこの場所に居た。

今日、駐車場を解約することになり、そいつをとうとう処分することにした。約4年ぶりに動かしてみた。もう動かないのである。チェーンがさび付きペダルが回らない。

トラックに載せて思い出の地ときわ台をそいつと回った。落車した坂道、長く使った駐車場、マンションに化けた場所、そいつはそこをどう見たんだろう。

そして産業廃棄物の処分工場へと運び、そいつは圧縮されて鉄の塊となった。圧縮の瞬間私は合掌をした。「長い間ありがとう。そして最期を見てやる」と。

独身時代を知る数少ない友を処分した。手元にはそいつの形見がある。リフレクターとサドルの一部。今度の自転車にはこれを移植しよう。心の中にはそいつはまだ残っている。ありがとう長く親しんだ友よ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006.04.02

突然ですが  その1

突然ですが 私ことSATOは4/1より経営コンサルタントも名乗ることになりました。

まだ見習いなんですけどちょっとしたことからこの仕事を始めることになりました。そこでビジネス系に関してはblogの投稿先を代えます。

http://blog.livedoor.jp/eigyo310/

斜説・者拙・社説 です。あえてライブドアにしてみました。どこまで続くかわかりませんがどうぞよろしくです。

こちらは今までどおり鉄道やグルメ、エキナカ情報を書いていきたいと思います。

その1というのは実はその2があるからです。それについてはもうしばらくお待ちください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

切られて 万歳!

私の仕事は資材販売、定期の顧客を回って注文を取り配送をする。

製造業はどこでも厳しく廃業をここ数年見ている。廃業されてしまえば売り上げが下がる。それとは別に価格的な部分で取引が終了するという例もたまに発生する。

ひところは価格負けをして何度か取引を切られた。しかし今は価格以外のことでのアドバンテージを取る努力をしているので価格で負けるということは減っている。

とある業者は大変気分の良い会社だった。事務員さんが素敵でいつも丁寧な挨拶をしてくれた。あるときは請求金額を間違えて請求書を送ってしまったのをあえて訂正して代金を振り込んでくれた。「黙っていたら得しちゃうけど、いつもお世話になっているからね」と頭が下がる思いだった。

あの無作法なバカ女が来るまでは・・

そいつは突然やってきた。車の止める位置から文句をつけはじめ、あげくは納品の時間まで指定してきた。こっちはそちらだけが取引先ではないから困ると言ったのだが聞き入れない。それでもたくさん買ってくれたのだからと我慢した。

そうしたら今度は「納品を控えろ」と言ってきた。もちろん適正量の納品がベストだからその申し入れはおかしくない。しかしそいつはまるで私を憎むかのように「控えろ」と言ってきたのだ。

最後のとどめは納品後のサインだ。ゴキブリを見るような目で嫌々サインをするという態度を取るのだ。さすがに私も頭に来て、こっちも軽蔑のまなざしでそいつを見るようにした。

そして3月、取引は終わった。工場長が「申し訳ない!」と頭を下げてきた。工場長には責任はない。そのバカ女がいけないのだ。

普通、取引が終了すると落ち込んだり反省をするのだが、今件だけはうれしかった。あのバカ面を見なくて済むなら売り上げが下がったって返って気分が良い。

切られて万歳だ! 長いこと商売やっているがこんな気分になったのははじめてだ。

まるで頑固者のように販売する業者がいるが、このようなバカな消費者もいる。こういう人間には良い業者は絶対つかない。オレオレ詐欺にでも引っかかれば良いのにと本気で思っている。

他山の石としても学べたバカとのやりとりであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.04.01

罪深き 民主党の集団的自爆

<民主党>執行部総退陣 「若さ」が裏目、誤算重なり

メール問題、とうとう民主党は社長、専務、総務部長、件の社員 全部辞めるということになってしまい、新体制は会長、名誉顧問の再登板を希望されている。

私はメール問題、絶対「事実」だと思った。失敗すれば「クビ」が飛ぶ案件、だからこそ前原代表の「期待してください」には「期待した」

しかし結果は「ガセ」 ならば潔く辞めればいいのにここまで引っ張った。

永田氏も不幸で「辞めろ」「留まれ」の朝令暮改、これじゃどうにもならない。意思を出せば迷わされ、聞けば今度はロボットだ。政治家がロボットになる必要はない。

執行部、何か隠しているんだろう。そして永田氏のスケープゴートで事を乗り切ろうという予定だったんだろう。が、結果は大誤算の集団的自爆が起きた。

民主党は罪の大きさを知ってほしい。長老政治、縁故政治に風穴を開けるべく期待して前原氏を私は送った。そして失敗ではなく自滅である。今後民間に対しても「だから若いモンには任せられない」という苦言が横行することがおきるだろう。みんな民主党の責任だ。

そして私は知った。「学級委員や学者、プロ市民が政治家になるというのがどんなに危険であるかということを」

市民感情を知らないのである。引き際、攻め時を知らないのである。これならDNAのある二世議員のほうがまだましだ。

それでも私はあきらめない。民主党の「若手が動かす」というポリシーは戦法さえ変えてくれれば今後も大事な、そして自民党にはない立派な「特長」だからだ。民主党はミーハー野郎に媚びず今後も「通」がうなる候補を街から探してきて欲しい。そして野党でいいから自民党の浅いところ、隙を上手に埋めて立派な法律を作って欲しい。

そして市民には「若気の至り」ということで今件の尾は長く引っ張ってもらわないようにして欲しい。若いということで必要以上に叩き萎縮させてしまっては「良い政治家」は育たない。

市民は政治家を育てるという意識だって必要だと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.03.29

人生 回り道 裏街道

小学生のころ「将来何になるか」という作文を書いた人は多いだろう。

私は当然「電車の運転手」だった。反対に「これだけはなりたくない」という仕事、私は
「警察」「教師」「セールスマン」この3つだった。

そのうちなんと2つも経験してしまったのである。第一希望の電車の運転手はとうとうなれないまま人生が終わるだろう。今からでも雇ってくれるなら運転してみたい。

教科も同じだ、好きな教科は理科と社会、嫌いなのは国語と不器用だったので図工だった。しかし理科は工学部で習ったっきり無縁、苦手な数学の教師になって、国語力を生かす仕事に就き、そして今度美術書の執筆のお手伝いをする。

いったい自分の人生はなんだったんだろうと思う。好きなもの、得意なものには縁がなく、苦手なもの、嫌いなものばかりが人生に関わる。私の嗜好が変なのか、それとも神様が「嫌い」という言葉に対して私に罰を与えたのか。

誰か教えて欲しい。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.03.28

Net 最近のジョーシキ

私がNetを始めたのが1996年、今年でちょうど10年になる。PCそのものやNetの存在は1984年からだ。

1996年、未知のNetの常識は全部パソコン通信から学んだ。達人という人がいて、下手くそな文を上手に添削したり、言いたいけれども上手に表現できなかったことをまとめてくれたりと初心者にはありがたかった。

また職人という人もいて、新たな造語や文字絵(当時掲示板は全部テキストなので地図も何でも全部文字だった)をいとも簡単に作って表現していた。

だから私の常識はパソ通のままだ。が、最近はこの常識が崩れているように思える。

一つはヤフオクだ。ヤフオクには「評価」というものがあるが、最近目立つのが「買ってもらったのに自分から評価しない」というものだ。評価というのはまず代金を受け取ったものからするのが常識だと思う。それとも販売マナーを最初に評価して欲しいのだろうか。
落札コメントに「評価が欲しければ最初にそちらから評価してください」というのを見ることさえある。何をかいわんやだ。

もう一つがmixiなどのコミュサイトの管理人の態度だ。俗に言う「立て逃げ」をする人間がmixiには多すぎる。管理人が1つめのメッセージを上げただけで後はメンバーがやりとりをしている。込み入った話ならまだしも「はじめまして」のスレでさえ見殺し。こういう人間はスレッドなど立てずにROMってろと言いたい。

パソ通時代、自分が親アーティクル(←こんな言い方したのよ)、上記で言う「スレ立て」をしたらメンバーが飽きるまで相手をするというのが常識だった。しなければその人間が次にスレ立てをした場合メンバーは無視をして追い払うという常識さえ存在した。だからこそスレ立てには慎重になったものだ。

2例はいずれも「管理人」の管理能力の欠如が多い。mixi、入った当初のコミュなどは結構辞めている。何より管理人が無責任すぎるからである。

反面2chは辛らつだ。立て逃げをしたら「1はどこへ行った」と追い掛け回す。実際、このくらいおっかないほうが書き込みは盛り上がる。

本来、Netというのはこういう「マメ」な人以外は向かないツールだと思う。立て逃げする人間はNetを辞めて電話に戻ったほうが良いと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006.01.29

そんなに東横インが悪いのか

また鬼の首が取られた。東横インの事件である。条例違反の改造やその記者会見の態度が気に入らないと集中砲火だ。

しかしマスコミの文化人気取りはあきれる。ついこのあいだまでは「時代の救世主」とかいってもてはやしていたではないか。

暴言と言われても私は今回は東横インの弁護に回る。

まず障がい者対応をやめてしまったこと。これは万死に値する。やってはいけない。しかしこれが本当に障がい者のためなんだろうか。

ここで私は障がいと書いたが、障がい者は本来「障碍者」と書く。ただ碍の字が常用外なので”便宜的”に害を使うわけだが、なにも悪い意味の「害」を使うことはないだろう。

こんなこと気にしてんのお前だけだろというが、障がいをもたれた方から直接指導されたし(はじめてその事実をそこで知った)障がい児をお持ちのお母様からのメールでも記載は同じだった。

東横インを責めるなら、この表記もぜひ責めてほしい

所詮、マスコミはたたきやすいから叩くだけである。そして横浜市が行う条例が本当に障がい者のための条例なんだろうか。なにしろ私はわからないからコメントが難しいが、知り合いのたくさんの障がいをもつ方に聞けば「手伝ってくれるなら何だっていいよ」だそうだ。シルバーシートと同じで意識さえあればどこでもバリアフリーだと思うのだが。

次に「モノの原価」というのを知ってほしい。東横インは安さとサービスで伸びたのだが、そろそろ限界値に来ていることはわかっているだろうか。限界を超えればどうしても無理が出るのである。部屋数を増やしたり、そもそも絶対数の少ない障がい者向けの施設を切るなどは経営者なら誰でも考えることだ。結局、そこでしか利益が出ないからである。

よく「あの社長はこき使って自分は豪邸に住みやがって」というが、ではそのビジネスモデルを発明して、社員の不祥事には辞職までさせられるリスクを一人でかぶって、安アパートに住めば気が済むのであろうか。だったら世界中の人は社長なんかやらないほうが良い。法律を盾に社長や経営陣をひたすら責め続ければよいのだ。社長はちょっとやそっとじゃなれないし、続けられないし、伸びることなんかできっこない。

もし双方に良識があるなら、東横インがやっていける規模で営業をしてもらい、東横インがないところは高くても別の場所に泊まるか出向けば良いのだ。私は福島に用事があったが東横インが満室だったので郡山に泊まって翌朝早く福島に向かった。利用者も創意工夫をしなければならない。横浜市だって条例を作ったら、今度は利用者を増やす施策を打つべきだ。障がい者の旅行には一定の補助を出すとか、外食の地方消費税を還付するとか。そんな工夫もしないでひたすら民間に努力を課す。これだったら出店なんかしないでやりやすい場所だけで営業したほうがましだ。(JR運賃が半額になるなどは知っているが、まだ未研究中)

そうすれば東横インだって無茶な改造はしないし、たぶんこの社長なら出店はしないと思う。そういう感性の持ち主なんだろう。この考えにシンパシーを感じた人がここに泊まればよいのだ。

ホテルはどこにでも山ほどある。選ぶときにはそこまでの眼力を求める。それができないなら安易に批判なんかしてほしくない。私はこれからもここに泊まる。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006.01.19

長くつきあうということ

五穀豊穣さんより私のパソコン保有は長いのではというコメントをいただいた。

私からすれば短いと感じる方である。自分で決めていて「家電は10年、クルマは15年」を目途として壊れなければずっと使う。ということである。洋服などは擦り切れるまで着るのでほとんどの服が5年以上、結婚式に着る礼服(夏用)などは27歳の時にあつらえたからもう15年も着ている。

そもそもこういう考え方になったのは「モノには心がある」ということを小さいときから思っていることだ。子供の頃よくなくし物をした。そのたび号泣しては探したものだ。それはそのモノの命を途中で奪ってしまったという自責の念が起きるからだ。

結婚してすぐ、阪神大震災の直後に鞄をなくした、年甲斐もなく号泣した。それは絶対になくしたくないと思っていた今後愛用すべき鞄だっただけに悔しさが増したのである。

そして失った鞄の代わりに来たのが昨年末まで使っていた鞄である。キャンバス製だったのでとうとう擦り切れてしまった。直そうとも思ったが諦めてしまった。ここまで使えば鞄も本望だろうと考えているが今も捨てられない。

当初は安いものでも長持ちさせて来たのであるが、最近は長く持つのだからとなるべく高いものを買うようにしている。今回PCを新調したが安く上げようとは考えずにできるだけスペックを高めに設定して長く持たせようと思う。

今回奇跡の復活を遂げた我が愛機Mebius、まもなく来る新型機にメインこそ譲るがまだまだ頑張ってもらうつもりである。

ちなみに愛車カリーナは今年で12年目、家は10年目、靴は8年、作業用の服にいたっては18年である。頑丈なものは壊れない。服などは新品よりもはるかに肌触りが良く着易い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.01.16

PCお陀仏に

昨日のこと。エクセルの調子が悪いので再起動をかけたらいきなりマシンがぶっ飛びました。

過去数回経験はしていまが、毎回困りますね。ノートンのゴーバックでは直らず、XPのシステムの復元を使ってとりあえずデーターは戻しましたが画面のバックライトの異常のようで画面確認が大変です。

2001年8月に出たマシンなのでそろそろ壊れる頃だろうと先手を打って新しいマシンを注文した矢先の故障ですから悔しいです。

データーバックアップのための外付けHDがあるのでできるだけデーターは移し(すでにDドライブは移管済み)、新マシンでの目処がついたところで旧マシンはクリーンインストール、ただハード的な故障かもしれないのでそのときは直しに出します。

現在は友人より預かっているマシンを急遽自分用に設定しなおして使用しています。いやはや困りました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.01.09

シンプルライフ

カレンダーの関係で休日を掃除に当てている1月である。暮れから掃除を行っているが、新年は食器棚などの台所周りの整理をしている。

共稼ぎとなって5年は経つ、妻は大変忙しい職種についたため家事全般、特に後片付けの面倒な食事を家で作らなくなった。ほとんど外食かコンビニ弁当で済ませる。実は私にとってこれは苦痛でもなんでもない。実家時代から家で食事を取るのが大変苦痛で(味や雰囲気など)外食を歓迎した。グルメネタをやたら書くのはそういう理由もある。妻もほぼ同じような考えである。

従って調味料などは5年前のまま、この正月に捨てるかすべて何かを作って整理した。そうしたら今度は食器が余って困るということが起きてしまった。

私たち夫婦は結婚してから誰一人外部の人間を家に泊めたことはない。結婚して2年目あたりに妻が友人を連れてきたのを最後に仕事以外で自宅に入った人間はいない。これまた二人には大歓迎なことで、私自身「お客」が家に来るのは大変苦痛なのである。

結婚した当初は義母の勧めもあって客布団やお客用の皿なども用意はしたが10年たっても使う傾向はない。加えて両者とも多忙になれば今後も使う予定はないだろう。

これからは食器の類は一切買わずに壊れたら補充せずにそのまま過ごすことにした。食器も何だかんだで40個はある。一生あっても使い切らないだろう。

私たちは家に人を招くことが基本的に嫌いなだけで「人が嫌いなわけ」ではない。会うなら外で十分、幸いにしてサンシャイン60が最寄にあるので私はいつもそこで人と会っている。
こんな生活が10年続いたので、今年は思い切って「人が呼べない」仕様の模様替えをしようと思う。夫婦二人分の家財道具なら案外部屋も広く使える。冒頭の食材の整理で相当数の空きスペースが事実出ている。座布団や客布団も早々に処分しよう。

しかし空いたところはどうせ来るものがある。「本」だ、人を招くのは苦手でも本を買いあさるのは夫婦の得意技、妻はミステリー全集を、私は鉄道雑誌や野球の歴史を。図書館に住むことになるのは時間の問題だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.01.02

何もしない一日

1時間ほど遅れてしまいましたがあけましておめでとうございます。旧年中は当blogにTBやコメントをいただきありがとうございました。

本当ならもっと晴れ晴れと元旦に書きたいのであるが、昨年来どうも調子が出ない。これは先回のblog記事だった免停も絡んでおり、本年元旦は少なくともこの障害は消えている。しかしもっと深刻なのが仕事のことである。

取引先の廃業が止まらない。決して無理な投資をしない、健全経営であっても廃業をしてしまうのである。老いも若きも、老いては業務不振と後継者難で、若きは不況に耐え切れず、原因ははっきりしていて「製造業の中国移転」である。これで国内の産業が壊滅的になった。そして原油高で固定費さえ払えなくなった。老いは年金生活を選択し、若きは再びサラリーマンに戻る。製造業の明日はあるのだろうか。

製造業を顧客に持つ私には深刻である。昨年までは「それでもまた日は昇る」を信じてやまなかったが、昨年の総選挙で諦めた。国民は国を「自給自足」から「消費大国」への選択をしたのだ。そしてその原資は物を作らずに「株価操作」と「企業買収」で調達するようだ。私もまだ勝ち組に入れないが、国民の大半が勝ち組には入れない、そんな世の中を少なくとも先回の選挙で国民は選択したのである。

2006年はもう製造業にこだわることを止める。新たな展開を必ず見つけ這い上がる。

そんなことを思った秋口だから趣味活動は春先よりもさらに下がった。当blogもNET記事の批評に変わったのも「現地調査」を全くしなくなってしまったからである。

また「一日1つ、何か仕事に関わることをやる」ということをモットーとした。従って「何もしない日」というのは昨年1日もなかった。ただ年末「元旦は思い切って何もしない自堕落な生活をしてみるか」という思いにかられ予定を立てた(というのもおかしいが)

午前11時まで寝ていて12時から年賀状を見て、カップラーメンを食べる、午後2時からビールを飲む、そして天皇杯を見ながら昼寝、8時に起きてまた酒を飲み始めて今に至るという按排、感想はといえば「なんてことはなかった」である。新たな自分が発見できたわけでもないし、これといってゆっくり出来たということもなかった。ただやって損だったということだけはなかった。

明日は初詣、終わればFPの試験勉強である。また来年の楽しみとしよう。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.12.25

長く苦しかった免停との戦い

昨日付けで前歴0、違反0の免許に戻った。長く苦しい日々だった。

ことの起こりは5年以上前になるだろうか。私はシートベルトをしない主義だった。これは道路交通法がはっきりせず、「乗降の回数が多いものは除外する」という法律を自己流に解釈したり、当時は警察も厳格ではなく、わりあい流してくれたということがあった。また違反の対象年月を「2年」と甘く見ていたからである。

それまで私は運が良かったのか、もともと違反が嫌いであったのか「反則金」というのは駐車違反で1回払っただけ、赤キップさえもらわずに15年以上過ごしてきた。ただシートベルト違反はわりあい多かったのと、長期安全運転の賞状ならびにSDカードには興味がないので無違反継続や免停には無頓着だったと思う。

2002年の暮れにもらい事故をした。相手はバイクで通行禁止区分を越えて追い抜きをかけられて右折しようとした私と接触、相手は転倒した。私は事故点こそ0だが、「安全運転義務違反」の2点をもらった。これが前述のシートベルト違反との合算で人生はじめての免停というのを受けたのである。

30日免停は楽だった。紳士的な教官、むしろ受講生の不真面目さには腹が立つほどだった。1日の免停を終えて翌日から運転をした。しかしその8ヶ月後にとんでもないことをしでかした。

私はスピードを出すというのがさほど好きではないが、加速するのが好きで、その日も信号が変わるとダッシュをしていた。50kmのところを85km、ネズミ捕りにつかまった。1km負けてもらって34kmオーバー、免停90日である。この日から私の安全意識が変わった。警察から言われた。「お願いだからスピードは出さないで欲しい。人を轢いて人生を台無しにするのは見たくない。これは警察官ではなく一人の人間としてお願いしたい。どうしてもどうしても出したいなら20km以内にしてくれ。それならまだ反則で収まるから」 警察官は諭すように話してくれた。

その日からである。制限速度を守ることを心の支えとし、そして二度と違反はしないということを。聴聞会に出て処分を下げてもらい、罰金を6万円も払い、ドライバーを雇い、大金を失った。

私は必死に守った。どんなに煽られても辛抱した。特にバイクのマナーが悪く、閉口させられた。しかし神様はまだ許してくれなかった。

2004年の9月22日、仕事の準備で車道にトラックを止めていたわずか30分の間で駐車違反を取られた。請負先より「車道でしばらく待ってくれ」という言葉を信じて止めて捕まった。確かに私は違反をしたのだが、納得はいかなかった。警視庁U警察は一生、どんな協力もしてやらないと誓ったところで悔しさは増した。業者は私に金銭的弁償はしてくれたが免停の保障まではしてくれなかった。そして2回目の60日免停がやってきた。12月24日、晴れて免停は終わった。

その日から私の辛い戦いがはじまった。今度は4点で取り消しになる。取り消されたら私は廃業になる。極力私的な移動は車を止める、駐車違反はしないように見張るなどの地道な努力を続けた。最後の2週間は多忙な妻を横に乗せるということを行い、念には念を重ねた。

そして2005年12月25日午前0時をもって私は前歴が消え、違反点数が0という元の免許に戻った。

だからといって違反をしようとは思わない。クルマで出かけようとも思わない。免停明けと同じ意識で、今度は無事故無違反をさらに続けて行こうと誓っているからである。

U警察への怒りだけは心に抱いて。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2005.11.13

Suicaはカウセンラーになるか?

アメリカにこんな格言があるようだ
「日本でのカウンセラー成功は至難の業だ。なぜなら「街の飲み屋の女将」が有能なカウンセラーだからだ」

今日も疲れたビジネスマンが街に繰り出す。そして女将に愚痴をこぼして明日の活力を仕入れる、日本固有ではなくおそらくアジアに根付いた文化なんだろう。

神田や新橋の立ち食いそばやというのは、鉄道ファンの感覚で見ると少し変である。立ち食いそばやの形態をしているが”立派な飲食店”となる。つまり「流れ」の客以外に「固定客」というのが必ず付いている。社員食堂のない会社においてはその立ち食いそばやが「社食」であり「昼の飲み屋」なのである。

店員も心得ていて「あれっすか?」 客「うん」、これで注文完了である。なかには座っただけで出てくるというツワモノもいる(実際に見ています) 一般客の入店時には「たぬきそばに卵」というのに対して、常連は「当たったよ」(多分競馬だろう)「昨日ケンちゃん来た?」「あそこでさ、鈴木さんに合ったよ」 これでそばが出てくるわけである(笑)

Suicaが街に出始めた。ファミリーマートとジョナサン、ビックカメラなどが使用可能のようである。そしてJR構内は徐々ではあるがあじさいなども使えるようになってきた。

ビューSuicaなら個人情報がJRのセンターに保管されている。そしてSuicaの特長である「購入履歴」というのがタッチの際に残る。つまり「個人の年齢性別住所と購入履歴」が情報として一元管理されるわけだ。これを上手に使えば「男、40代、東京在住の給料日10日後の現金購入の傾向」や「あじさいにおける月曜日の購入層別最多販売商品」などが一目でわかることになる。

将来はわからないが、もし携帯端末に情報を送ることができるようになれば「今日はお子さんの誕生日です。今までの傾向から今日の佐藤さんは新宿で降ります。最寄にはSuicaの使えるおもちゃ屋さんはここです」ということや「月曜日です。今日は新橋にご予定はありませんか? 新橋の立ち食いそばやではサービスフェアやっています」といった個別プッシュ型情報提供が出来るように思える。そしてそれは個人個人の傾向を完全につかんだある種の「カウンセリング型の情報提供」になる。

人間のみが持ちうるきめの細かいサービスが機械に移行される日も近いだろうか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.11.08

腹痛と保険

日曜日のこと。blogを書いて企画書などをまとめようかと思っていたところちょうど12時、最近シリアル(コーンフレーク)が好きなものだから、それを食べて数時間経ったら腹痛がしてきた。
最初は「しばらくすれば直るだろう」とタカを括っていたのであるが、時間を追うごとに痛みはましてくる。あげくは立てなくなってしまった。しかし時間は21時、もう間に合わないだろうと何とか耐えていた。あの痛みは相当辛かった。
1時、2時・・寝れない。痛みはますます酷くなってくる。あげくは飲んだ水も戻してしまうということになってしまい、とうとう6時に救急車を呼ぶことになった。

救急病院に担ぎ込まれたが立っていられない。ベッドで寝てとりあえず点滴がはじまった。左手に点滴2本、痛いのもあるが、どうしても動きが不自由になる。トイレにさえ行けないのだ。チャックが下ろせず結局だらしない恰好でトイレに行った。

検査は続く、のどが渇く。しかし水は飲めない。痛みは引かない。辛いということはこういうことをいうのだろうと涙が出た。診断が出た「盲腸の疑いがあります。CTで再検査です」

保険の仕事をやっているのでわかる「CTは医療費がむちゃくちゃ高いのだ」しかしそんなことは言っていられない。点滴と反対側に「造影剤」の注射針が打たれた。両手を注射で塞がれた恰好だ。

待つこと20分、外科の医師より「CTでは異常ありません、とりあえず血液検査では反応が出ていますので何かありましたら必ず来てください」そういわれて点滴が外された。

そうはいっても入院ができないのだ。私の物理的問題、そして病院も空きベッドがないとのこと。ベッドがなければ手術はできない。移送先を探されるだけだ。今回は入院は免れた。

月曜13時、すべてが終わった。そして大きな不安が残った。万が一の場合の顧客対応、これからの自分、そして莫大な医療費。CTの点数は3942点である。つまり自由診療なら4万円になってしまうのだ。点滴が2300円からみても如何に高いかがわかる。保険診療で総額1万8千円の出費である。入院をすれば医療保険がもらえるのであるが今回はできなかった。しかし保険金をもらわないほうが良かったと思うだろう。

もし保険の仕事をしていなければきっと痛みにひたすら耐え続けていただろう。そして気を失っていたかもしれない。医療費と自分を天秤にかけてきっと医療費を取っただろう。

blogでめったにセールスはしないが、医療保険のありがたみを知ることができた。受け取れなかった自分がいるが、入院に躊躇しない判断ができるのは保険のお陰だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.10.30

ブログのオフ会に出る

私自身パソ通(NETより前)をやるときに一つの心に誓ったことがありました。

「俗に言う"オフ会"には絶対行かない」

当時はパソ通=キモイという印象で、あくまでもNET内でのお付き合いに留めようという意識が働いておりました。

そんな私がいきなりオフに出たのがもう8年以上前になります。鉄道系のサークルオフでずいぶんと人が集まったなぁと。前職は「宴会の仕切り」ができないとバカモノ扱いをされる会社でそれこそ300人規模の宴会予約を一人でやったこともありましたし、2000人規模のパーティをチームを組んで対応させられたという経験があったので10人から30人程度のオフは手馴れたものでした。

箍が外れた私はその後オフに参加すること数え切れず、鉄道では飽き足らず他のサークルや大阪、名古屋まで行くということをしていました。しかしパソ通は閉鎖、大規模なオフ会もすっかりなくなってしまいました。

営業職についてかなり経ちますが、最近は「オフ会をスキル向上の場所」という位置づけにすることも多く、極力「知り合いのいない」オフに出て、どれだけ話を続けられるかということに挑戦しています。初対面の人と話すという技術はそのまま商談に使えます。

きっかけになったのが今年の1月に行われたプロ野球関係者の方の出版パーティになります。スポーツライターや監督経験者などと同席、名刺交換もままならずの状態でしたが、思い切って挑戦。ことのほかうまく行きましたので大きな自信になると同時に「このスキルは枯らしてはならない」ということで機会があるたびに初対面オフに出て技術向上を図っています。

3月には2chのオフに出てみました。どんな人が来るのかと思っていましたが、全員普通の人。話題が共通していたのですぐに打ち解けました。と同時に匿名性がウリの2ch、誰一人本名を明かすことなく、名詞交換もまったくせずのその場限りのオフ会でした。

昨日はリンクをさせていただいている五穀豊穣さんのblogオフ会に参加させていただきました。鉄道ネタがほとんどなく、全員が初対面とうってつけの場所でした。しかし昨日に関してはビジネスそっちのけで楽しませていただきました。

原因ははっきりしていて「野郎率が低い」わけです。つまりご夫婦や友人づれが大半で非常にアットホームな雰囲気だったわけです。

我が家というと親族仲が決して良いほうではなく、かつ双方の友人交流が全くない(夫婦とも興味がない)という例ですので、自分にとっては初体験の部分が多かったです。

夫婦だけならまず経験できなかったオフ会、貴重な経験をありがとうございました。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2005.06.06

感謝されたこと

久しぶりに記事を書きます。

日々営業です。電話セールス、飛び込み営業、DM送付、得意先回り・・ そういえば電車、乗っていないなぁ・・・・

今日、そんな中感謝された出来事がありました。

電話営業をした相手先のことです。商品に興味を持ってもらえ訪問して面談 「じゃ、必要になったら連絡するよ」

これは断る常套句なんですよ。「あぁ ここもダメだったか」その日は足取りも重く、再び新規営業の電話をするのもおっくうになっていました。

土曜日のことです。「あの品物、まだ残っている? よかったらさ、月曜日に持ってきてよ」ご注文いただけました(^^)

喜び勇んで納品先に出向きました。「おぉ 待ってたよ。今、支払いするからね」と気前良く現金払いで代金をいただきました。

「ありがとうございました」 深々とお辞儀をしたら 「こっちこそありがとう。助かったよ。感謝するよ」とお礼の言葉をいただけました。

電話で突然の営業、それでも怒らずに取引をしてもらえ感謝の言葉までもらえるとは・・

これがセールスマンの醍醐味なんだな。そんな発見の一日でした。明日は電車、見れるでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.19

ブログ一時中断のお知らせ

東京鉄道見たまま日記をいつもお読みくださいましてありがとうございます。
私ことSATOは、この4月より社会保険労務士事務所開業、並びに生命保険販売代理業開業、加えて地域福祉の委員会所属となり、趣味に時間を割くことが大変困難となりました。

したがって更新のペースが極めて落ちます。残念ながらしばらく休止ということをご了承ください。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.02.13

ただいま

ボランティア関係のセミナーに出ています。ただいまblogの作成講習会をやっています。
自分自身はblog作成経験があるので自分の現在製作中のものを加工することにしました。
調布の市民活動センターで作成しています。

今回は鉄道ネタではなくてすいません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.12

blog絶不調

文章は前の会社に居た頃から書き続けていたので比較的大量に書くという行為には慣れていたと思っていたが、ここへ来て全く書けないという大スランプが来てしまった。

毎回巡回してくださる皆様へ何としてでもネタ出しをしたいし、西武のことも書きたいしと意欲はあっても筆が進まない。いやはや困ってしまっている。

仕事が少し忙しくなってきたのだろうか? どうしても感性が鈍くなってきているのだろう。

そういうわけで申し訳ないです。もうちょっと待ってください。いただいたコメントに返事を書くことにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.01.18

江戸川橋の壁が

Sマークが外されていく営団地下鉄ですが有楽町線江戸川橋の壁が剥がされています。おそらく壁の張替えを始めるのでしょうね。また新大塚駅も完成が間近です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

見たまま日記をはじめました

はじめまして。SATOです。新規にココログで鉄道情報を書くことにしました。
ここでは私が今住んでいる東京およびその近郊の鉄道のみたまま情報を書いていこうと思います。
更新はマメではないですが、よろしくお付き合いください。

京王電鉄6000系


京王電鉄の6000系です。私が慣れ親しんだ京王線を長い間走りましたが、車齢がかなり経ってきましたので徐々に廃車。今では10本程度まで減ってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)