2008.09.20

1年ぶりにblogを復活させます

みなさま お久しぶりです。2007年一旦blogを休止しましたが、今日よりボチボチですが復活していきます。

この1年は結構大変でしたが、本業の比率を半分にまで減らして、代わりにファシリテーションやワークショップのお仕事、大学で講義(NPOのことや生涯学習のこと)、まちづくりのアドバイザーなどをしていました。ようやくそれにも目処がつきこうしてblogを書くことができます。

鉄道は主に使う「有楽町線」「南北線」「副都心線」「都電」程度しか付き合いがなく、新線ができてもしばらくしてから乗る毎日ですが、気がついたことは時々書いていこうと思います。

これからよろしくお願いします。

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とりあえず副都心線開業の日の有楽町線

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07系がいたころの有楽町線(今は線内で「快速」の表示はありません)

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2007.05.28

近況報告

え~~ すみません。blogを放置状態にしてしまっております。言い訳ではないですが近況報告ならびに更新ストップの原因を

1)確定申告
毎年のことであるけれど本当に苦手。特に今年は赤字ギリギリだったので申告用紙を書く気もせず日曜日のたびに悩んでいた。自分には「2/10に税理士に提出」を目標に1/5より着手。それでもギリギリの2/20に税理士に提出した。これが入ると全然やる気がおきない

2)試験
年金アドバイザーの試験が3月初旬にあり、受験。見事に大失敗で落ち込んでヤケ酒。また来年もかよ(昨年も不合格)と思っていたら、4月に自己採点が間違っていたのか出題ミスがあったのかでどういうわけか合格。3月はこの気持ちの整理でズタズタ。

3)mixi
日記を書くのがmixiになってしまいなかなかblogには反映できない。それに鉄道取材はさっぱりやっておらず同じ線を乗り降りだけ。これでは書けない。

4)画像加工が面倒
blogは画像があってなんぼだが、デジカメを買って撮影頻度が上がるも、必ず加工をしないと変な画像になってしまう。その画像加工が面倒

5)駅前プログをやる
駅探の駅前プログの担当になって3ヶ月毎週1本というノルマがあって、そっちで鉄ネタを出してしまっていた。

他にもあるけどいいわけばかり。大阪に行ったりもしてはいるんだけど。ボチボチ書いていきます。

近況報告でした。

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2006.12.31

2006年を振り返ってみて

大晦日になりました。今年を振り返ってみますと本当に辛い1年でした。

仕事がまったくうまく行かず、途方にくれる毎日でした。頑張っても頑張っても結果が出ず、半ば諦めムードが漂う日々が続きました。blogもなかなか更新できません、なぜなら悩みが多く書く気がなかなか起きなかったからです。

ただ交友関係では本当に大きな前進がありました。荻原二郎氏、吉川文夫氏など鉄道趣味の大先輩とお知り合いになれ、その上鉄道図書の執筆、大手出版社から鉄道図書の監修依頼や電鉄会社のカレンダー製作のお手伝いなど本業以外は順調でした。

年末に少しだけ本業も前進、ようやく光が見えつつあります。今後はセミナーのコンサルや市民活動、ボランティア、生涯学習など今まで「副業」として部分を伸ばし、本業は仲間を作ってたゆまぬ努力を続けて行きたいと思います。そして鉄道関係は新年、会社の設立を目指します。

まだらな更新でご迷惑をおかけしたことと思います。2007年はもっとたくさんの明るい記事を書くようにしていく所存です。

本年もご愛用いただきありがとうございました。

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11月にTVの撮影協力で乗車した貸切電車

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2006.12.01

危うく振り込め詐欺の被害に

今日は危なかった。振り込め詐欺に引っかかりそうになりました。

過去、この手のヤツは逆にからかうなどのことでお遊びをしていたのですが、今日の手口は「税金」、自営ですと税金というのはどんなに真面目に申告をしても気になる項目、ここでやられました。

「税金が還付されるからコンビニで受け取って欲しい」という口ぶりでした。たまたまコンビにの前でしたが、操作機械がなったのが幸いして、税務署に確認、詐欺とわかって逆襲のネタを探し始めました。

振込みが来ないのでさっそくインチキ野郎から催促が、一言「警察ですが」と言ったらそれっきり何も言ってきません。もちろん税務署にも警察にも区役所にも全部連絡済です。

03-5953-****

というとぼけた番号を指定してきます。私はかけてしまいましたが、明日以降はからかうモードになっていますのでいつでも来いです。場所は池袋か南池袋、南大塚の近辺です。いずれ警察が行くでしょう。

さっそく明日から公衆電話でいやがらせの電話で応酬してやろうと思います。馬鹿なヤツだよ、しつこい男にトラップをかけるんだから。

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2006.11.11

寺脇研氏 文科を去る

http://newsflash.nifty.com/news/tp/tp__yomiuri_20061110i402.htm?ref=rss

ゆとり教育の旗振り役寺脇研氏が文部科学省を辞めるようだ。

私は同氏が生涯学習の担当官だった頃、文部科学省のお仕事をしており、仲間が氏のパーティに呼ばれて出たことがある。生涯学習でもユニークな手法を入れたのは氏だ。

体験学習という手法があるが、これを国レベルで定着させたのは氏の功績だ。体験学習、つまりワークショップやロールプレイなどは成人教育の世界ではあまり有名ではなかったが、氏はこれについて本を書いて広く知れ渡るようになった。

ただ、この手法は有名講師などはすでに知っている方法で、博報堂の中野民夫氏などは研究家としても大変有名である。通向けだった学習方法を氏は一般に下ろしたと表現すればよいだろうか。

まだ若い方らしい、今後の活躍を期待したい。

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2006.11.04

友を見送った日

自転車ではなく今度は本当に友人がこの世を去った。今日はその通夜が府中で行われた。

友人は高校の同級生で、1年生のときに同じクラスになった。陽気で気さくで誰にでも優しかった。故人になると美辞麗句を並べ立てるが、友はそういうわざとらしさを持たずとも自然に言葉が出る。良い奴だった。

生活は決して順風満帆ではなかった。厳格な両親に育てられ、高校までは遊ぶことを知らず。私が彼に麻雀を教えたほどだ。その後彼は麻雀にはまって身を持ち崩すときもあった。車の免許も同じで、彼が浪人時代、一度自分の車に乗せたところ気に入って浪人にも関わらず免許を取り乗りまわっていた。今でこそ書けるが私の父が違反のもみ消しを何回もやった。

大学は夜学に通いながら仕事と両立、仕事はうまく行ったのだが酒におぼれた時期もあり体を壊す、離婚もしてしまうとちょっと不運も続いた。そして目が見えなくなり障害者となってしまった。今思えば命を奪った病気「糖尿病」にかかってしまったのだろう。

故人の前で友人たちと友を偲んだ。女遊びのこと、インチキで金儲けをしたこと。ただそれが大変さわやかなイメージだった。昔のワルなんて所詮この程度だったのだ。

最後に彼が私に話した今も心に残る一言を書きたい。親子兄弟関係がうまく行かず友人たちにこぼしていたとき、彼だけがこう諭した。

「親兄弟の悪口は自ら言うな。言っても損をするのはお前だ。親兄弟は誉めなければ自分の格が下がるだろう。色々あるかも知れないがとにかく言うな」と。

この言葉は生涯忘れない。天国で達者に暮らしてくれ。そしてまた思い切り暴れてくれ。俺は下界でそれを見せてもらうと。

合掌

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2006.10.28

友を処分した日

1台の自転車を処分した。それは友ともいえる大切な道具だった。

それとはじめて出会ったのはまだ昭和の頃、昭和63年である。サラリーマンを辞め自営となり新宿から板橋へ引越し、バブル真っ盛りで駐車場が確保できず自宅から少し離れた場所に駐車場を借りた関係でそこへの移動のために買った。ディカウントストアで1万とちょっとしたと思う。毎日よく働いてくれた。パンクを時々やられたが、故障は少なかった。ただ一度坂道で大きく踏みこんだ際チェーンが外れて道路に放り投げられたことがあり、その傷は今も残っている。まだ独身で飲む機会も多く、ときわ台の駅に止めてはタクシーで帰り、翌日自分のトラックに載せて自宅にご帰還なんて贅沢もこの自転車は経験した。約6年、独身時代に終止符を打って結婚、それでもこいつは立派な自分の足だった。

板橋を引っ越すことになった。今度の地は文京区だった。もちろんこいつも連れてきた。まだ住人が少なかった頃自転車置き場で大きな顔をして止まっていた。ただ、今度は駐車場も近く、駅も近いのであまり活躍する機会はなく駐車場での楽隠居だった。

数年経ち自転車置き場は1戸1台と決まり、妻の自転車を置くこととしてこいつはトラックが止まる駐車場横に場所を動かした。私は「まだ捨てたくない」という意識があったからだ。しかし1年も経たないうちにここから動くことはなくなった。使わなくなったのである。雨に晒され、雪に晒されたがそいつは壊れることなくそこの場所に居た。

今日、駐車場を解約することになり、そいつをとうとう処分することにした。約4年ぶりに動かしてみた。もう動かないのである。チェーンがさび付きペダルが回らない。

トラックに載せて思い出の地ときわ台をそいつと回った。落車した坂道、長く使った駐車場、マンションに化けた場所、そいつはそこをどう見たんだろう。

そして産業廃棄物の処分工場へと運び、そいつは圧縮されて鉄の塊となった。圧縮の瞬間私は合掌をした。「長い間ありがとう。そして最期を見てやる」と。

独身時代を知る数少ない友を処分した。手元にはそいつの形見がある。リフレクターとサドルの一部。今度の自転車にはこれを移植しよう。心の中にはそいつはまだ残っている。ありがとう長く親しんだ友よ。

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2006.04.02

突然ですが  その1

突然ですが 私ことSATOは4/1より経営コンサルタントも名乗ることになりました。

まだ見習いなんですけどちょっとしたことからこの仕事を始めることになりました。そこでビジネス系に関してはblogの投稿先を代えます。

http://blog.livedoor.jp/eigyo310/

斜説・者拙・社説 です。あえてライブドアにしてみました。どこまで続くかわかりませんがどうぞよろしくです。

こちらは今までどおり鉄道やグルメ、エキナカ情報を書いていきたいと思います。

その1というのは実はその2があるからです。それについてはもうしばらくお待ちください。

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切られて 万歳!

私の仕事は資材販売、定期の顧客を回って注文を取り配送をする。

製造業はどこでも厳しく廃業をここ数年見ている。廃業されてしまえば売り上げが下がる。それとは別に価格的な部分で取引が終了するという例もたまに発生する。

ひところは価格負けをして何度か取引を切られた。しかし今は価格以外のことでのアドバンテージを取る努力をしているので価格で負けるということは減っている。

とある業者は大変気分の良い会社だった。事務員さんが素敵でいつも丁寧な挨拶をしてくれた。あるときは請求金額を間違えて請求書を送ってしまったのをあえて訂正して代金を振り込んでくれた。「黙っていたら得しちゃうけど、いつもお世話になっているからね」と頭が下がる思いだった。

あの無作法なバカ女が来るまでは・・

そいつは突然やってきた。車の止める位置から文句をつけはじめ、あげくは納品の時間まで指定してきた。こっちはそちらだけが取引先ではないから困ると言ったのだが聞き入れない。それでもたくさん買ってくれたのだからと我慢した。

そうしたら今度は「納品を控えろ」と言ってきた。もちろん適正量の納品がベストだからその申し入れはおかしくない。しかしそいつはまるで私を憎むかのように「控えろ」と言ってきたのだ。

最後のとどめは納品後のサインだ。ゴキブリを見るような目で嫌々サインをするという態度を取るのだ。さすがに私も頭に来て、こっちも軽蔑のまなざしでそいつを見るようにした。

そして3月、取引は終わった。工場長が「申し訳ない!」と頭を下げてきた。工場長には責任はない。そのバカ女がいけないのだ。

普通、取引が終了すると落ち込んだり反省をするのだが、今件だけはうれしかった。あのバカ面を見なくて済むなら売り上げが下がったって返って気分が良い。

切られて万歳だ! 長いこと商売やっているがこんな気分になったのははじめてだ。

まるで頑固者のように販売する業者がいるが、このようなバカな消費者もいる。こういう人間には良い業者は絶対つかない。オレオレ詐欺にでも引っかかれば良いのにと本気で思っている。

他山の石としても学べたバカとのやりとりであった。

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2006.04.01

罪深き 民主党の集団的自爆

<民主党>執行部総退陣 「若さ」が裏目、誤算重なり

メール問題、とうとう民主党は社長、専務、総務部長、件の社員 全部辞めるということになってしまい、新体制は会長、名誉顧問の再登板を希望されている。

私はメール問題、絶対「事実」だと思った。失敗すれば「クビ」が飛ぶ案件、だからこそ前原代表の「期待してください」には「期待した」

しかし結果は「ガセ」 ならば潔く辞めればいいのにここまで引っ張った。

永田氏も不幸で「辞めろ」「留まれ」の朝令暮改、これじゃどうにもならない。意思を出せば迷わされ、聞けば今度はロボットだ。政治家がロボットになる必要はない。

執行部、何か隠しているんだろう。そして永田氏のスケープゴートで事を乗り切ろうという予定だったんだろう。が、結果は大誤算の集団的自爆が起きた。

民主党は罪の大きさを知ってほしい。長老政治、縁故政治に風穴を開けるべく期待して前原氏を私は送った。そして失敗ではなく自滅である。今後民間に対しても「だから若いモンには任せられない」という苦言が横行することがおきるだろう。みんな民主党の責任だ。

そして私は知った。「学級委員や学者、プロ市民が政治家になるというのがどんなに危険であるかということを」

市民感情を知らないのである。引き際、攻め時を知らないのである。これならDNAのある二世議員のほうがまだましだ。

それでも私はあきらめない。民主党の「若手が動かす」というポリシーは戦法さえ変えてくれれば今後も大事な、そして自民党にはない立派な「特長」だからだ。民主党はミーハー野郎に媚びず今後も「通」がうなる候補を街から探してきて欲しい。そして野党でいいから自民党の浅いところ、隙を上手に埋めて立派な法律を作って欲しい。

そして市民には「若気の至り」ということで今件の尾は長く引っ張ってもらわないようにして欲しい。若いということで必要以上に叩き萎縮させてしまっては「良い政治家」は育たない。

市民は政治家を育てるという意識だって必要だと思う。

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