2006.12.23

野球講座を開催

来年の1月から再びスポーツ講座を文京区役所で開始します。

今度の講師陣もすごいです

元ラジオ日本のアナウンサー染谷恵二氏とスポーツライター永谷脩氏です。

詳しくは私のビジネスblog 斜説・者拙・社説 をお読みください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.09

浦和レッズを応援してみて

ダントツ入場料収入は”浦和主義”の結晶

そうかなぁと思う。「全国区ではなく“浦和のチーム”を目指した。」そうかなぁ・・

私はサッカーにさほど興味もなく、日本リーグ時代はほとんど見なかった。トヨタカップも友人たちは注目していたが、私は競馬か野球で興味がなかった。

Jリーグがはじまるとかでサッカーにも少し目が行った。実は野球は東京在住ながら鉄道会社が親会社の阪神を応援していて地域的に不利を感じていたので、サッカーはなるべく関東のチームを応援しようと思っていた。

しかし! あのナベツネが大騒ぎしたためヴェルディには気持ちが行かず、かつ川崎だしと、改めて探してみると東京はない。横浜に2つと千葉、茨城、そしてレッズの埼玉だ。

順当ならJEFだろう。親会社はJR東日本、また日産のファンだからマリノスでも良かった。純粋な地域チームの清水FC、今のエスパルスのことだがここでも良かった。しかし私が選んだのは仕事で関係があり、叔父の住む「埼玉」のレッズにした。

正直、誰も知らなかった。福田正博がすごいくらいしか知らなかったが、幸いなことに関東チームだけあって仲間がすぐできた。そして教えてもらったものだ。

恐ろしいほど弱かった。また負けた、また負けた。阪神も泥沼時代だっただけに応援チームの不振は大変堪えた。どうすれば浦和は強くなるんだろう。そう考えてきた頃自分もようやく浦和のファンになれたんだと自覚をした。

仲間に聞いてみると浦和ファンは東京にも多くいる、それはヴェルディの商業趣味にも同調せず、マリノスにも違和感を感じた人間が行き着いた先が浦和だったようだ。地元主義なんて綺麗ごと、実際は弱さを武器に関東のファンを着実に増やしていった。

今でも覚えている、ワールドカップで活躍したドイツのブッフバルトが浦和に来ると聞き喜んだ日を。そしてそこから浦和の暗黒の日は消えた。着実に順位を上げていったのだ。

そして今、黒字球団になったのだが、私の心は残念ながら離れつつある。第二のレッズともいえるだろうか、大宮を応援しているのである。今のレッズはあれほど嫌だった往年のヴェルディと同じだ。

応援するには関東には浪花節も必要かもしれない、弱かったから応援したレッズ、強いにこしたことはないが、強すぎるのも考えものだろう。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006.03.18

WBCは本当に面白いのか

WBC(ワールドベースボールクラシック)では日本がアメリカの負けから繰り上げ当選で準決勝進出のようだが喜んでよいものなんだろうか。

韓国の3勝は当然としても日本は1勝2敗である。負け越しで準決勝というのは展開のあやで勝った競走馬みたいなものだ。

世紀の誤審に松井の不参加などWBCは本当に意味あるものなんだろうか。私は疑問でならない。

これはアメリカの顔見世公演みたいなもので本来なら順位など関係ないのではないだろうか。松井が不参加なのはよくわかる。そしてオリンピックが野球を不採用にするのがよくわかる。これはアメリカのショーだからである。

F1があるがアメリカは別途インディレースという別カテゴリを設けてそっちでやっている。F1は規則が厳格だからアメリカには向かないのだろう。だからアメリカのスポーツは他国のそれとは違った流れがあり、国際ルールを受け入れず、国際ルールをねじ曲げ、国際ルールから離脱する。

WBCも最初からアメリカをシードして決勝リーグに自動的に行けるようにルールがあればあんな誤審はなかったと思う。要は「アメリカが勝てさえすれば何でも良いわけだ」

日本も野球を国際的にするならまずアメリカと手を切ることが先決だろう。アジア各国の強さは本物だし、オーストラリアも実力がある。これに野球後進国といわれるイタリアを交えてきちんとした国際ルールを作ればオリンピックだって復帰は不可能ではない。

アメリカは「それはそっちの考えで我々こそNo1」というだろう。言うなら言わせておけばよい。ボクシングだってWBC、WBAと2つあるのだから世界統一はいくつあっても良いだろう。

なぜボクシングを例に出したか、私はWBCと聞いて最初に思い出すのがボクシングだからだ。日本での予選リーグ、当日東京ドームにいたのだが「本当にやっていたのか」というくらいお寒い状態だった。

望んでいるのはマスコミくらいで日本人の半分は興味がないのだろう。なぜならあんなインチキがまかり通っているからだ。そして松井も井口も懸命な選択をしたからだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.03.10

名優ターフを去る

「馬がいたからこそ」岡部騎手が引退会見

最後の職人と言われた名ジョッキー 岡部幸雄騎手が引退した。私にとってこれで一時代が終わった。

私が競馬を知ったのは昭和45年、府中に引っ越したときだ。府中競馬場の横の小学校だったので競馬場関係者の子息がたくさん通っていた。金銭感覚やガラという点では一般の人とはちょっと違っていたという印象である。
それゆえ競馬はあまり好きではなく、自身馬券をはじめて買ったのは昭和59年ある。
#勝馬投票券は未成年、学生は購入できません! ご注意下さい。

当時のジョッキーというと大物が引退したかその寸前(加賀武見が残っていた)で上位騎手、関東は増沢、柴田人(こう書いたんだよねぇ)岡部で二番手に小島太や大崎、若手で的場 こんな陣営だった。「今度柴田の甥がデビューだってさ」 今の柴田善のことである。

周りは柴田人のファンが多かった。悲劇の人、一生懸命、浪花節 これらが似合うジョッキーだった。では岡部はというと「クール」「合理性」「情け容赦なし」と怖い存在だった。と同時に誰もが認めた。馬友曰く「岡部で負けたらしょうがない」 そう岡部で負けるということはそれがドラマだった。

ビゼンニシキという馬がいた。春先までは皇帝シンボリルドルフの好敵手でルドルフに外国馬以外で唯一「二番人気」を背負わせた馬である。私が競馬にはまったきっかけを作った馬である。このビゼンニシキに岡部は乗って勝ち続けた。但し「共同通信杯」までである。皐月賞を占う、クラシック最初の登竜門「弥生賞」では捨てられた。岡部はルドルフを選んだのであった。結果は誰もが知っているであろう。ルドルフが勝ち、ビゼンは2着に沈んだ。岡部は勝てる馬を選んだのである。

マティリアルという馬を思い出す。映画「優駿」のモデルになりかけた馬である。クラシックの断然候補と言われた。ゴール前の切れ味は今でもあの馬ほどすごいものは見ていない。が、勝ちきれないのであった。ダービーではメリーナイスに栄冠を奪われ、ただの馬に下がってしまった。

もうダメだ。と思ったときに岡部に当たった。人気は低くもう誰の目にも止まらなかったマティリアル(訳せば素材・素質ですな)、あの足を見せたのである。岡部があの足を思い出させたのである。が、足と引き換えに命を失ったのである。岡部は馬にドラマさえ起こせたのである。

岡部は日本初ともいえるフリーの騎手であった。柴田人が調教師(テキ)の全面信頼を受け、負ける馬とわかっていてもテキの指示で乗るのなら、岡部は勝てる馬を探して乗るのである。今、武豊が全く同じことをしているがこの先鞭は岡部である。
さりとて義理と人情が全くないかといえばそうではない。父のように慕った高橋厩舎の馬は自ら選んだ。厩舎雀では「巷ではクールといわれる岡部騎手、実は一番義理人情に厚いんだ」今日の記者会見を見る限りではきっとそうなんだろう。生粋の職人、寡黙にして語らず。クールな一面はここから出たのであろう。

記事にある
――目標、ライバルとした騎手は。

 「時代ごとに変わってきた。『武君には負けたくない』と思ってきた」

武豊を素直にライバルと認める、武以外はライバルとは認めないと私は見る。ルドルフを選んだ目は常に最高のものを1つだけ選ぶようである。

関西馬旋風が吹き始めた昭和62年頃。武豊が新人ながら破竹の勢いで勝ち続けていた頃、関東人の心のよりどころは岡部だった。期待は裏切らなかった。

今日、岡部はターフを去った。調教師さえならずに静かに去った。彼の口癖のようでもある
「Take It Easy」 さらば名優。さらば最後の職人。そしてさらば私の競馬熱中時代。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.22

続 講演会を仕切った話(偉い人にあった)

昨年の7月、講演会を仕切ったという話しをこのblogで書きました。講演者は元西武、ダイエーの球団社長であった坂井保之氏です。
本日、坂井氏が新しい本「激動 ニッポンプロ野球」(生活情報センター発行)を出版された記念のパーティに呼ばれることになりまして行ってまいりました。
方やプロ野球経営経験のある方、当方ただの素人と立場が全く異なります。よく私ごとき人間を呼んでいただいたと恐縮至極でした。

予想していたというか、まぁたぶんそうだろうと思った列席者、やはり大物が揃いました。
元パ・リーグ会長の原野氏、元横浜監督権藤氏、現西武の伊東監督をはじめとしてお歴々が出席なさっていらっしゃいました。

まずは漫画家水島新司氏の挨拶で乾杯、その後スポーツライター玉木正之氏や永谷修氏の挨拶などが続々と行われました。
殆どの方がTVやラジオを通じては知っていましたが、まさか目の前に立たれるとは。正直これほどあせったことはありませんでした。
伊東監督は料理をよく食べていましたね。権藤元監督は談笑をされていました。

また偶然ですが品川庄司の品川君のお母さんに会うなどの経験もさせてもらいました。パーティは終始なごやかで私もいろいろとお話をする機会をいただけたことを感謝しています。

肝心の坂井氏、プロ野球の行く末、特にパ・リーグは大変心配されていました。著書を読ませていただきましたが、講演でお話いただいた箇所も随所に載っています。特に球界再編でマスコミに載らなかった部分の記載が細かく、ひとまず終わった再編劇の復習にはうってつけの本だと思います。

最後にお礼を述べたところ「君は勉強をしろ。組織を離れて勉強することが大切だ」という激をいただきました。

先生! ありがとうございます。勉強を忘れず、たゆまず努力させていただきます。

40年以上生きてきてこれほど緊張した席ははじめてでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.27

西武ライオンズが始まった日

西武ライオンズが優勝した。ゴタゴタ続きの70周年プロ野球、その中でかつて身売りだなんだで世間を揺るがせ、そして最強となったライオンズ、今年はパリーグ2位という位置から勝ち上がって日本一を取った。まずはおめでとうと言いたい。今年はライオンズ関連の講演会を仕切っただけに感慨もひとしおである。


そのライオンズがもうどうしようもないくらい弱かった時期、そう球団創立元年、ミラクル元年と球団歌では歌われるが、そんなことが全く夢物語であった創立のときに西武球場でアルバイトをしたことがあった。そのときの思い出を書く。

西武が福岡から所沢に引っ越してきたときに選手の大幅な入れ替えがあった。福岡時代から引き継いだ人間は半分いたのだろうか? 思い出すと、土井、大田、鈴木葉留彦、東尾 この程度しか覚えていない。とにかくクラウンは他を引き離すほどの不人気チームでオールスターも規定枠の2人しかいつも出ていなかった。
有名な田淵のトレードや山崎裕之と白の交換、基の横浜行きなど福岡の遺産を総とっかえした感のある西武ライオンズの船出、資金に悩んだ坂井代表も今回は松沼兄弟を巨人との争奪戦で勝ち取り、森繁和もいると盤石のスタート、誰もが旋風を巻き起こすかと思われた。

が、勝てなかった。山崎が骨折というアクシデント、田淵のファーストという不慣れに松沼弟の大誤算と西武は勝てなかった。太平洋時代まぐれの首位打者と言われた吉岡がエラーの連発で内野がザルと酷評された。
太平洋の門出のときは青木氏がすっぽんの根性で引き当てたビュフォードの勢いもクラウンでは中日で終わったデービスを引っ張るという低予算の対応、潤沢な資金の西武ならもその選球眼は遠く、マルーフ、ミューサーも2人も全く働かないと多難の門出だった。

アルバイトの私たちもファンから相当怒られた。今思えば理不尽だが、ファンは怒っていた。田淵がその筆頭で金網でオヤジが「田淵! 大阪に帰れ!」と罵っていた。
バイトの対応もあまりよくなく、着替えは狭山スキー場のロッカールームだった。警備という契約だったのだが、ゲーム後掃除までさせられて暗くなる頃帰途に着いた。良かったといえば日払いだったことくらいだ。

通勤経路も悲惨で、レオライナーがなかったため 競艇場前(自宅最寄)-武蔵境ー国分寺ー東村山ー所沢ー西所沢ー西武球場と西武総なめという経路、直線距離た大したことないのに乗換乗換で西所沢に着く頃はヘトヘトになっていた。

バイトは長く続かず西武の好調を知ることなく辞めてしまったのだが、今でもあの罵声は耳に残っている。

その後常勝となったチームを見るたびに、辛い門出を思い出すのである。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.10.24

やはり

一場に阪神・横浜も金このニュースを見て「あたりまえじゃん」と思ったのです。

このblogでも紹介した元西武、ダイエーの球団社長 坂井氏も「表には出ていないけど裏では金が動いているんだよ」と講演ではっきり言っています。

私は金が動くことは悪いことだとは思いません。学生ならダメであるならどうして選手がFAで再契約金を取るのが良いのでしょう? 学生野球をして素質があるからプロに行くわけであってまさか学生野球は学業優先でスポーツは二の次などという時代遅れの感性を今時持っている人は少ないと思います。

だったら外交官になるために東大を目指す人間に「東大は学業をするところで学歴を取るところではない」と言えるでしょうか?

お金をもらったって優勝に貢献する、ファンの心を熱くするプレーさえ見せてくれれば良いのです。もし今、ヤンキースの松井が「俺ももらっていました。阪神と巨人からです」とか言ったらどうなるんでしょうね。イチローも「中日からたくさんもらっていたのですが指名してもらえませんでした」とか手記を書いたらどうなるんでしょうね。

かくいう私だって少額ながらもらったんですよ。就職活動時代に。当時は青田刈り禁止が明文化させる直前で順当な就職試験は10月1日からだったのです。しかし私は3年生から動きました。5月に某会社に電話したら「あさって来てくれ」と言われ面接、その日のうちに二次面接の案内が来ました。最終面接は6月で本社のある西日本へ行けと。新幹線代と旅館代をあっさり出してくれました。私は行きがけに甲子園で阪神戦を見ることに、鉄ヲタ人生は止まっていましたがしっかり阪神電車にも乗せてもらいました。領収書なんか当然求めてこない。周遊券で行ったから差額は全部小遣いです。

10月1日 運命の「協定就職解禁日」 私達事前内定者は「研修」と称してとある温泉で遊んでいました。当然全額会社持ち。まぁその半年後に地獄の研修で取り返されるわけですが。

野球はたまたまその金額が大きかったってことですよね。だから世論もそんなに騒いでいません。自分の胸に手を当てる人が多いのでしょうね。


心配なのは犠牲となった一場の将来とこれから先のドラフトです。今年は別としても来年以降はまず間違いなく清廉潔白なドラフトになるはずですから予想以上の入団拒否が出るはずです。また指名もよほど自信がない限り声はかけないでしょう。学生も制約があるくらいなら安い給料でも思いっきりできる大リーグの傘下に入団するものや、野球を趣味にして普通の会社に入るもの(かつていた慶応の志村のようなタイプ)や野球人生が終わってもそのままサラリーマンとして残れる社会人野球にいってしまうかもしれません。

プロとは何かというをもう一度考えて欲しいのです。高校野球の上手いヤツ選抜ではプロにはなれません。魅せる技術が集まったのがプロなんです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.08.01

講演会を仕切った話

事情により画像なしの投稿です。

7/31は私が関係している文京区教育委員会の区民向け講座で講演会がありました。
元々は区内にある「野球体育博物館」「サッカーミュージアム」「講道館」を巡ってスポーツの興味を持ってもらうという講座でした。その最終回として大物のゲストを呼ばねば そう思っていました。

評論家、作家、関係者などいろいろ手を尽くしましたが見つかりません。しかしようやく見つけることができました。
西武やダイエーの球団社長を歴任された坂井保之氏でした。著書「波乱興亡の球譜」を読みいたく感動していたのでもしお会いできたら話してみたい、そう思いお願いをしたところお受けくださったのです。

はじめてお会いしたのですが、一言
「おっかない人でした」

一流企業経験ましてや西武という常勝球団の基礎をお作りになった方ですからきっと厳しい方だろうなと思っていましたが予想通り。しかしただ闇雲に叱り飛ばすのではなく私の計画の甘さを「もっとどうして事前相談してくれないんだ。そういう理由ならもっと良い資料を出したぞ!」というお小言でした。

もう私は言い訳なんかできませんでしたね。このところ上司というのに全く遭遇していなかったので久しぶりに上司からカミナリを落とされた思いです。

お願い当初は主に西武や太平洋、ダイエーの話を伺おうかと思っていましたが、あの時と中身が変わりました。そうです1リーグの話が出てきたんですよ。ですんで坂井氏もいまやひっぱりだこの状態で、この講演の前日は朝まで生テレビにご出演されていたんですよね。今思えばものすごい人呼んでしまったと。

内容は多岐に渡って大変ためになりました。ご自身の肩書きである「野球経営評論家」、そうですね。経営論、超一流でした。とかく経営者は正攻法の道やコスト削減で利益を残すなどの常識的経営(もちろんこれが大事なのですが)を目指しますが、坂井氏は機を見れば敏というスクランブル作戦をいつも心に留めておき、責めの潮目が来たときに一気に攻める勘の良さや「一流たるもの一流の生活をしろ」と選手に対しての福利厚生の費用はケチらない、ドラフトに対しても十分な準備金を用意するなど金の使い方がわかっている方でした。

そうすると「金のあるところだからできるんじゃないの?」と疑問をもたれる方もおいででしょう。しかしでは金があったときに自分の手取りを下げてまで社員に還元する気持ちを持つ人はどれだけいますか? それで次にどれだけ金を生み出すかというコスト計算をされた方がいるでしょうか? そんなことを教えてもらいました。

「お聞きします、リスクが怖い、引き上げのポイントとタイミングは」という問いに氏は「最終的に君がリスクを全部背負えるか、そこだ! 500万赤字を出したらその責任はどうとる、退職で取るか、現金を戻すか その指示に必ず答えられるところまで計算してやるんだ! ただ成功したら成功報酬はしっかり取れよ!」という答えをされる坂井氏の目には優しい笑顔がありました。

ああ、この人って根っからの経営者なんだなって思いました。著書にサインをいただきました。一生の宝です。

#こんな感じだから記念撮影なんて申し出る余裕がなくて・・ したがって画像なしです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)