2005.03.31

飯田線~旧型のあった風景3

名古屋に行ってきました。本当に20年以上ぶりに豊橋に降り立ちました。飯田線ホームをしばし眺め感慨にふけりました。さて今回は珍車を少し紹介しましょう。

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クハニ67の900番台、クハニに関しては前述のとおりである。見たとおりのクハ55の前ドアを荷物用に代えただけにも見える。この車は前面の貫通路に青を塗らない塗り分けだが、塗りつぶした車もいた

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クハ47011、これぞ珍品中の珍品。17m事故車を20m改造してクハとしたもの。この1両しかいない。顔つきは後年の63に酷似している。63顔の2ドア車だったが、飯田線では没個性の顔つきだった故、そんなに人気はなかった。第一次廃車候補から外れていたので殆どの人がノーマークだったが、突如廃車候補になってしまい80系と入れ替わりで消えてしまった

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同じくクハ47だがこれは009と思われる。飯田線のクハ47は元クハ58の100番台が比較的多かった。非貫通は身延線に行ったものや、後にクハ79に改造されたもの、新潟でクハ68に改造されたものなどがあり、非貫通そのものも少数だったようだ。しかしながら飯田線はサロハ改造のクハが3両もいた。後ほど紹介する

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これはおまけ画像。大糸線に行った「合いの子」43系。大糸線も20枚程度あるのでいずれ紹介する

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2005.03.15

飯田線~流電のあった風景

クモハ52に熱中した。とにかく撮影できる時代に間に合ったのが嬉しかった。過去の編成をみると1両目が広窓、4両目が狭窓という編成で組まれたこともあったが、私が通った1978年当時は粋な編成だった。
001,002の狭窓にはサハ48をわざわざ挟んで狭窓に統一(ちなみに1次流電のサハは岡山で末期を過ごしたサハ58にサロハはクハ47151として流電とともに飯田線に残った)広窓には横須賀線のサロを改造したサハ75やなぜか紛れ込んだサハ87を挟んで統一性も持たせている。
当時の編成はこうなっている
52002-48024-48021-52001
52005-75102-87001-52003
52004-48034-75100-54119
では紹介しよう
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これは狭窓編成になる。場所は東上ー野田城の田んぼだった気もするが・・52001になる

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上と同じ位置。2両目がサハ87だから52003と思われる

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これは今でも有名な撮影地だろう。鳥居の駅のすぐそばである。2両目にご注目。広窓のサハだから52004になる。ちなみにサハは「合いの子」のサハ

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2枚目の反対側になる。52005である

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最後はオマケ。「合いの子」のクモハ53008である。この008は張り上げ屋根を一般の屋根に改造されてしまったもの。007もいたがこれは張り上げのまま残った。伊那市のようだ

流電シリーズをもう少し続けるつもり。よかったらリクエストください。なるべく答えるようにします。

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2005.03.14

飯田線~旧型のあった風景2

たくさんのコメントをいただきありがとうございます。写真はまだまだありますので紹介します。

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伊那松島機関区でのヒトコマ。この形式はよく覚えていないが豊橋向きが制御車だと思うのでクハ68ではないだろうか? 窓配置が5枚だから原型の51系とは異なる41系からの改造車だろう。Hゴム化されていないのが特徴だ。窓の下にある71は運用番号。71は伊那松島所属のMc+Tcのこと。83運用まであったと記憶している。

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これが噂のクロハ改造クハ68、窓配置が中扉付近が不ぞろいなのがわかる。運転室方向が旧ロ。クロハ59からの改造車で401~5(奇数)のどれかだと思う。

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格好つけて仰角で撮影。中央にいるのがクハニ67、これは原型のクハニ67が全部クハユニになってしまったのでクハ55から改造したもの。飯田線と長野原線(吾妻線)にいたようだ。飯田線は全部で3両いた。900番台である。運用番号に90台がついていた

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飯田線では珍しい非貫通のクハ47、これは69と思われる。クハ47でも50番台以上はサハ48からの改造で便所の位置が異なった。非貫通は身延線に多く、飯田線ではこれと009がいた程度。しかし流電や「合いの子」の中間改造150番台が3両いた

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最後は豊橋にて、流電をそろそろ出しておかないと。横はクモハ43か53のどちらか。当時は出発前にサボを出した

次回は流電特集にします

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2005.03.13

飯田線~旧型のあった風景1

飯田線。JR東海に所属するローカル線である。今でこそ特急も走るが全体的にはひっそりとした路線ではあるが、ここは昭和50年代までは旧型国電の博物館としてマニアが大挙押しかけた路線だった。

関西急電出身、阪和線も走った流電のクモハ52を筆頭に、関西から関東へ移籍し横須賀線で本領発揮のクモハ43、関西緩行線の雄クモハ51、常磐線の荷物はお任せクハユニ56など1形式1形式が異なり追いかけるのには根気と資金が必要だった。中学3年、受験そっちのけで撮影に走ったあの頃の写真を少しずつではあるが紹介したい。

同時に飯田線に熱くなっていた頃を思い出せてくれた3人の鉄道仲間に感謝したい。
TOMOの鉄日誌
武蔵野線屋根上日記
鉄分の濃いツレヅレニッキ

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天竜峡駅である。形式はクモハ54だろうか? 半流のスタイルは飯田線では多いスタイルだ

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飯田線は平妻が面白かった。これはクモハ61、飯田線にしかいない形式だった。不思議なのは原型のクモハ40をパワーアップさせると61で41をパワーアップさせると60になったことである。おそらく片運転台のクモハ41を先にパワーアップさせたからこうなったんであろう

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同じく平妻、クハ68であるが、これはクロハの改造である。従って窓配置が原型車とは異なっている。側面写真も撮影しているので後日出す

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最後は名物のクハユニ56である。ノーシルノーヘッダーは常磐線で活躍したクハニ67の改造車、中でも001はシルヘッダーがあり、002以降はないのが特徴。記憶の範囲だがこの写真は004だと思う

今後も折を見ては出していく

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