速報! メトロ13号線は「副都心線」に
東京メトロのHPによりますと、13号線の路線名が「副都心線」になったようで、あわせて仮称駅も
雑司が谷(ぞうしがや)
西早稲田(にしわせだ)
東新宿(ひがししんじゅく)
新宿三丁目(しんじゅくさんちょうめ)
北参道(きたさんどう)
明治神宮前(めいじじんぐうまえ)
渋谷(しぶや)
になったようです。新千駄ヶ谷が「北参道」になった以外は順当な名称ですね。
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東京メトロのHPによりますと、13号線の路線名が「副都心線」になったようで、あわせて仮称駅も
雑司が谷(ぞうしがや)
西早稲田(にしわせだ)
東新宿(ひがししんじゅく)
新宿三丁目(しんじゅくさんちょうめ)
北参道(きたさんどう)
明治神宮前(めいじじんぐうまえ)
渋谷(しぶや)
になったようです。新千駄ヶ谷が「北参道」になった以外は順当な名称ですね。
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まさかのそのまんま東氏の宮崎県知事当選、あの東がと思う反面、大学時代土曜日というと授業をサボっては見た。アイドルパンチで体を張ったパフォーマンスをしたたけし軍団を思い出す。
たけし軍団というとスーパージョッキーの熱湯コマーシャルを思い出す人が多いが、元々は土曜日の5時30分からTV朝日でやっていた「アイドルパンチ」のたけし軍団のコーナーのほうが古い。(その後司会が片岡鶴太郎に代わった)
当時のメンバーはというとすがぬま伸、ツーツーレロレロ(東国原英雄、大森博文)、松尾憲造、古田古、立川ダンカン、柳ユーレイで、あのガダルカナル・タカもラッシャー板前もいなかった。名前も本名が多く、ラッシャーが入ってしばらくして一気に今の名前になった。
記憶だと、ラッシャー>タカ&ポポ(枝豆)のような気がする。ダンカンは「ふんころがし」という名前をつけられた。
アイドルパンチでは多摩テックに行って鬼に空気銃で軟球ボールを当てるゲームの的になったり、屋外でサバイバルゲームやらされたりというどちらかというとアウトドアだった。東と大森は古株で、少ない軍団の中でも目立っていた。
その後スーパージョッキーでも熱湯の前の新製品紹介「ジョッキー2」で新製品の試作台になるなどの体を張った芸をやっていた。鉄板の上に落ちて足を火傷させられるなんてこともしていた。
それ以降は良く知られていることばかりである。TVばかり見ていた大学時代をちょっと思い出したのである。
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netで突如表明された危機宣言の銚子電鉄、ファンがこぞって支援をはじめ一時のピンチは脱したようにも思える。
netの良さが生きたケースだし、結束力もあってとても良い。でも銚子だけで良いのだろうか。
銚子と同じようにピンチな会社はかなりあると思うし、手当てが間に合わずに廃線してしまった日立電鉄やちほくのような例、そして廃線を控える鹿島やくりでんなどがある。
このような会社にもできるなら等分の支援はできないものだろうか。たとえば関東近郊だとわたらせが危なそうだ。財政支援を地元に求めている。同じようにいすみ鉄道はどうだろう。これらの会社はまだ廃線を表明していないから、支援は簡単そうだ。単年度でも黒字になるとか、ブームさえ起きればいずれは力尽きるにせよ、その寿命は廃線表明をしてしまった会社よりもずっと伸びるからだ。
三陸鉄道などはぜひこれからも残していきたい。そのためには少子化で減る「定期客」ではなく観光客にいかに来てもらうか、そのためにファンが結束するということはさほど難しいとは思わない。
あるサークルでは天竜浜名湖鉄道で一度貸切を走らせた。次年度も営業に来たようだが無下にも断ってしまったと聞く。代わりに何をしたかというと船の貸切、何をかいわんやだ。せめて他の鉄道会社(赤字ローカル)の貸切でもやるならわかるのだが。
同じ赤字でも北総や東葉高速の支援は不要だろう、無論TXも、こういう会社こそ時間が解決してくれるからだ。私はあまりローカル線には興味がないのでなんとも他人事の文章になってしまい恐縮である。
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やってしまったか! の印象である。この隠蔽が一番困る。
ただ、この事件必要以上に騒がれると大好きな不二家のケーキが食べられなくなるという私にとって大ピンチが来てしまう。早いこと他の事件でも起きて不二家叩きがなく、しばらくの反省期間の後戻ってきて欲しい。
不二家のケーキは40代ならみんなあこがれる。他の例えばパン屋メーカーが出すケーキとは全く違うのだ。とにかく美味い。だからクリスマスは「不二家にしてくれ」と親に頼んだほどだ。今でも不二家のケーキだけは別格で食べる。
こんな男でさえ魅了するケーキなんだから無理して価格競争などに入らずにブランドで勝負すればよいのにと思う。
一日も早く謹慎が解けてケーキが復活して欲しい。
PS:個人的には食中毒にさえならなきゃ期限なんて目安にしかならないと思うんだけど。ただ送り手がこれを言ったらおしまいですね。
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今日はカミさんのお供で佐野アウトレットモールに出かけたのだが、そこでひときわ並んでいる列を見た。いいにおいもするので見てみるとワッフルを焼いているようで、何か乗せている。どうもアイスらしい。
コールド・ストーン・クリーマリーということを後で知った。netで調べてみると何でもとってもお洒落な店で、私の至近だとサンシャイン60にも店舗を出しているようだ。
すいません 転載です
こんな感じでアイスとトッピングのようなもの(ココナッツやオレオのクッキー)を混ぜてくれる。ただこれならどうってことないけど、特筆はメニュー アメリカが発祥らしくやたら多い、また別途自由に組み合わせも可能なので無限大に楽しめる。
が、一番の魅力は「店員が突然歌を歌う」ことだろう。佐野ではディズニーの歌を歌っていた。ミッキーマウスの歌などを何の前触れもなく歌いだす。これがまた結構面白い。これがものすごく気に入った。
ただ価格は高い。アイスで500円も取られる。吉野家ならこれで相当食える。男が食うというより彼女とのデート向きだろう。とはいえあの歌を聴きにおそらく通うだろうな>自分
1/9追加:http://www.youtube.com/watch?v=lglZIm2vBLI に歌っているシーンある。六本木
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私の手元には古いグルメ雑誌がある。ラーメンブームがはじまった1980年代後半から集めはじめ、92,3年に半分は捨ててしまったのではあるが、それでも数冊は残っている。ここでは残った店、消えた店などを思い出も交えて書いてみる。
angle 1980 2月号 嗚呼!”めん”この長~き友よ! より
「わかめ、昆布(各400円)、のり入り(450円)・・・・海草入りラーメンに人気集中。理由はスープに隠されている」という記述がある。画像には若き店長の姿が写っている。
香月の出自に関しては有名である。千駄ヶ谷の老舗「ホープ軒」がまだNHKの前で屋台をやっていたころ通い詰めた一人のタクシー運転手が香月の社長、若き店長の穴見氏だ。
記事のときは並木橋に店があった。場外馬券場の前で、明治通りは拡幅工事の着手が始まった頃、建物はバラックのような平屋でカウンターが一直線にあった。そして芸能人のサインが当時からあったのである。
香月が良かったなと感じたのは、今でこそ当たり前の「トッピングシステム」を早くに採用して、器をにぎやかしくできたことと、水がフリーで飲めたこと(意外だが80年代は水は店員が補充していた)だった。
食券などはなく、カウンター越しに店員が注文を覚えてくれた。アットホームな感じがした。
そしてその後恵比寿の今の場所に店舗を構え破竹の勢いで成長したラーメン屋になったことはご存知の通り。
並木橋を歩くといつもその位置を確認するのが日課だ。
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2005年の正月以来2年ぶりの訪問、5日までの旅行です。
最近は現地からもメールチェック他出来て便利になったものです。
もし画像アップができるようなら挑戦してみます。
まだ残っているか。2号線のパタパタ
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