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2006.11.04

AU勝者への長い道のり

MNPがはじまったがAUが乗換え希望の第一候補だと聞く。シェアもトップとのこと。IDO時代から使っている私には隔世の感だ。

時代を紐解くと携帯電話、当時は自動車電話とか呼んでいたが電電公社が肩にしょえる電話を開発したとかで1985年あたりに売り出していたと思う。権利金が20万円も取られそれでも自営業者にはうけた。

電話が自由化となり、電電公社(NTT)の占有ではなくなり民間参入、京セラとトヨタが携帯市場には入ってきた。それが「セルラー」と「IDO」だ。当初はNTTの回線部分を振り当て営業範囲を強制的に決めるという解決方法だったが、アメリカが待った! でスーパー301条を盾にモトローラーシステムを売ることになり後発2社はNTT方式のハイキャップかモトローラー方式のTACSのどちらかを選択しなければならず、料金体系も面倒でNTTには全然勝てなかった。

時代は過ぎて携帯も万人に行き渡り始めた1990年代後半、新規参入は日本テレコムと日産であった。それが「デジタルフォン」である。ヤクルトの選手を使うなどして営業をしたが大ヒットは写メール、藤原紀香で一気にNTTに手が届くところまで来た。肝心のAUはというとIDOとセルラーが合併、DDIとKDDが合併してKDDIというブランドで販売を始めたが蚊帳の外だった。NTTはiモードなのに、KDDIはezweb、これも東西ではシステムがことなる一般のページは見れないとハンデが多く、自虐的に「KDDIはいつでも空いています」とまで宣伝に書いた。また宣伝も常盤貴子以降はぱっとせず、NTTから織田裕二を引き抜くことさえしたが、それでもダメ、つぶれることはないだろうとは思っていたが、話題にもならないキャリアを使うのには抵抗もあった。正直このときにMNPがあったらNTTに乗り換えていたと思う。

しかし仲間由紀江をタレントに使い始めた頃から徐々に宣伝も洗練され、他がカメラの改良を図っているときに「音」という別のキーワードを持ってきたのがようやく開花した。差別化をようやく打ち出せたのだ。

またシェアが低かったので回線改良が思いのほか早くできたのも伸びた要因、負け犬時代だったからこそ生めたことであろう。

ソフトバンクが現在苦戦を強いられているが、携帯業界はキーワードが一つ出ればガラッと変る業界、AUの苦しい時代を知っているだけに余計に感じるのである。

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コメント

 そういう長い道のりがあって、いまのAUになっているのですね。今年の4月、PHSからAUに乗り換えました。単に友達がAUだから、という理由なんですけど。

投稿: アラ | 2006.11.07 01:36

アラさん>
気になって調べましたらたった1ヶ月ですが業界3位に転落したこともあったようです。特にDDIは全サービスに顔を出す(1.5G携帯はツーカー、PHSはDDIポケット→今は売却してウイルコムに)とチャネルの多さでサービスがばらけたのも原因。ただ、今となってはそれが功を奏しています。

投稿: SATO | 2006.11.11 09:42

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