友を処分した日
1台の自転車を処分した。それは友ともいえる大切な道具だった。
それとはじめて出会ったのはまだ昭和の頃、昭和63年である。サラリーマンを辞め自営となり新宿から板橋へ引越し、バブル真っ盛りで駐車場が確保できず自宅から少し離れた場所に駐車場を借りた関係でそこへの移動のために買った。ディカウントストアで1万とちょっとしたと思う。毎日よく働いてくれた。パンクを時々やられたが、故障は少なかった。ただ一度坂道で大きく踏みこんだ際チェーンが外れて道路に放り投げられたことがあり、その傷は今も残っている。まだ独身で飲む機会も多く、ときわ台の駅に止めてはタクシーで帰り、翌日自分のトラックに載せて自宅にご帰還なんて贅沢もこの自転車は経験した。約6年、独身時代に終止符を打って結婚、それでもこいつは立派な自分の足だった。
板橋を引っ越すことになった。今度の地は文京区だった。もちろんこいつも連れてきた。まだ住人が少なかった頃自転車置き場で大きな顔をして止まっていた。ただ、今度は駐車場も近く、駅も近いのであまり活躍する機会はなく駐車場での楽隠居だった。
数年経ち自転車置き場は1戸1台と決まり、妻の自転車を置くこととしてこいつはトラックが止まる駐車場横に場所を動かした。私は「まだ捨てたくない」という意識があったからだ。しかし1年も経たないうちにここから動くことはなくなった。使わなくなったのである。雨に晒され、雪に晒されたがそいつは壊れることなくそこの場所に居た。
今日、駐車場を解約することになり、そいつをとうとう処分することにした。約4年ぶりに動かしてみた。もう動かないのである。チェーンがさび付きペダルが回らない。
トラックに載せて思い出の地ときわ台をそいつと回った。落車した坂道、長く使った駐車場、マンションに化けた場所、そいつはそこをどう見たんだろう。
そして産業廃棄物の処分工場へと運び、そいつは圧縮されて鉄の塊となった。圧縮の瞬間私は合掌をした。「長い間ありがとう。そして最期を見てやる」と。
独身時代を知る数少ない友を処分した。手元にはそいつの形見がある。リフレクターとサドルの一部。今度の自転車にはこれを移植しよう。心の中にはそいつはまだ残っている。ありがとう長く親しんだ友よ。
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コメント
う~ん、良い話ですねぇ
こんなに長い間一緒にいると愛着もひとしおですね。廃品業者に持っていってもらったりしますが、最後まで見届ける人は少ないと思います。
そこにNALさんの思いの深さを感じました。
次の自転車もきっと大切にされるんでしょうね。
投稿: アラ | 2006.10.28 22:01
コメントありがとうございます。共感していただけて嬉しいです。
私は子どものときから「モノにも心がある」と簡単に捨てることができず紙袋などもとっていました。それが講じてマニアになったのかもしれません。マニアは例外なくモノを捨てませんね。
他にも10年選手がたくさんいます。思い出も含めて後日書いてみます。
投稿: SATO | 2006.10.29 08:47