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2006.10.28

懐かしき番組が復活する

http://www.joqr.co.jp/missdj2006/

伝説の番組「ミスDJリクエストパレード」が11/3に復活するようだ。パーソナリティは川島なお美と千倉真理、なんと私はご両人に会いに四ツ谷の文化放送まで行ったことがある。大学時代よっぽど暇だったのかミーハーだったのか。

川島なお美はすでにタレントとして活躍しており(鶴光のオールナイトニッポンのアシスタントをやっていた時期もあり)一種のオーラが出ていた。一方成城大学四年の千倉真理はその辺のお嬢さんということで、今思えばなんで追いかけたんだろうと。

当時はまだ追いかけなども甘くてマネージャーが仕切る程度、もちろん我々ファンも遠巻きに見て満足してホープ軒でラーメン食って帰る程度で喜んでいた。

番組も音楽流してパーソナリティがハガキを読む、今で言う学園祭の延長みたいだが、オールナイトフジも夕焼けニャンニャンもなかった時だけにものめずらしかった。

文化放送といえばもう5年以上前に「吉田照美のテルテルワイド」が一日だけ復活して「目指せアメリカンヒーロー」などを懐かしく聞いた。ミスDJでもそのあたりの懐かしいコーナーをやってもらえれば嬉しい。

もう、きくっきゃないでしょ!

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友を処分した日

1台の自転車を処分した。それは友ともいえる大切な道具だった。

それとはじめて出会ったのはまだ昭和の頃、昭和63年である。サラリーマンを辞め自営となり新宿から板橋へ引越し、バブル真っ盛りで駐車場が確保できず自宅から少し離れた場所に駐車場を借りた関係でそこへの移動のために買った。ディカウントストアで1万とちょっとしたと思う。毎日よく働いてくれた。パンクを時々やられたが、故障は少なかった。ただ一度坂道で大きく踏みこんだ際チェーンが外れて道路に放り投げられたことがあり、その傷は今も残っている。まだ独身で飲む機会も多く、ときわ台の駅に止めてはタクシーで帰り、翌日自分のトラックに載せて自宅にご帰還なんて贅沢もこの自転車は経験した。約6年、独身時代に終止符を打って結婚、それでもこいつは立派な自分の足だった。

板橋を引っ越すことになった。今度の地は文京区だった。もちろんこいつも連れてきた。まだ住人が少なかった頃自転車置き場で大きな顔をして止まっていた。ただ、今度は駐車場も近く、駅も近いのであまり活躍する機会はなく駐車場での楽隠居だった。

数年経ち自転車置き場は1戸1台と決まり、妻の自転車を置くこととしてこいつはトラックが止まる駐車場横に場所を動かした。私は「まだ捨てたくない」という意識があったからだ。しかし1年も経たないうちにここから動くことはなくなった。使わなくなったのである。雨に晒され、雪に晒されたがそいつは壊れることなくそこの場所に居た。

今日、駐車場を解約することになり、そいつをとうとう処分することにした。約4年ぶりに動かしてみた。もう動かないのである。チェーンがさび付きペダルが回らない。

トラックに載せて思い出の地ときわ台をそいつと回った。落車した坂道、長く使った駐車場、マンションに化けた場所、そいつはそこをどう見たんだろう。

そして産業廃棄物の処分工場へと運び、そいつは圧縮されて鉄の塊となった。圧縮の瞬間私は合掌をした。「長い間ありがとう。そして最期を見てやる」と。

独身時代を知る数少ない友を処分した。手元にはそいつの形見がある。リフレクターとサドルの一部。今度の自転車にはこれを移植しよう。心の中にはそいつはまだ残っている。ありがとう長く親しんだ友よ。

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2006.10.23

訃報 ばってん荒川さん

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061023k0000m060059000c.html

熊本弁まるだしのばってん荒川さんがお亡くなりになったようだ。

この人をはじめて見たのはキャンディーズが出ていたみごろ食べごろ笑いごろだったと思う。なんだか突然出てきて熊本弁でまくしたてて帰るといった内容だったと記憶しているがよく覚えていない。

その後夕焼けニャンニャンで鶴太郎氏と今は亡き逸見さんのニュースの掛け合いで「では ばってん荒川さんどうぞ」と逸見さんが振ると鶴ちゃんが笑って対応不可能になったことを覚えているが、このように「この芸一本」で食っていた人であった。たぶんもうこのような人は出てこない、いやもう時代が求めないのであろう。同じように東京コミックショーのショパン猪狩氏も鬼籍に入られ、個性派という言葉も死語になりつつある。

ご冥福をお祈りする。

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2006.10.22

鉄道Net 勝負の潮目とその後

いつのまにかNet歴も10年となる。Netは進化が速いので10年といってももう大昔のようなイメージだし、その間に様々な出入があった。いくつものサービスが進出し、敗退していったがおおむねの傾向がある。ちょっと分析してみる。

鉄道に関しては10年前は「パソコン通信」と「草の根BBS」がメインでインターネット掲示板はマイクロソフトがMSNで提供していた。そのMSN、最初は強制入会などさせられ金額も高く、サービスは香港にあってたどたどしい日本語でIDの発給などをしていたためかサービスが定着せず、私も数回書いたがなくなってしまった。今では考えられないがNetがパソ通に負けたわけである。

またちょっと高度になるとfjというニュースグループがあった。ここは面白かったがniftyのゲートウエイサービスで利用とやっぱりパソ通の一環で、今の2chの走りみたいなもの。ヌルい発言は徹底的にやられた。ただ、来る人が少ないためかあまり巡回の対象でもなかった。

パソ通はniftyがリードでPC-VANは勝負あった後、peopleは新進という流れで、もし私が15年選手だったすればPC-VANの全盛期を知っていたわけである。

niftyは拡大の一途だった、フォーラムは増え、会議室は増える。スタッフも増え、発言も増えると。ちょっとお手伝いしたこともあるが、一日30発言くらい来るのはザラで、60発言来たなんて日もあり。丁寧にコメントつけていたら2時間経ってしまったなどということもあった。主催者は強気一辺倒で私はどうもそこがなじめずスタッフはすぐに降りてしまった。

敗者のPC-VANは会議室こそあるが発言はメンバーが固定化され、同じメンバーが同じことを書いている、新規が来てもあまりうまく扱えず、すぐに離脱という流れ。「小さいけれども内容が濃い」とか「アットホーム」とかウリを書いていたけれど、やはりその後事業そのものが廃止、残ったメンバーがしばらくは自主的に動いていたけれど今は活動しているのだろうか。mixiで当時のメンバーを見るが・・(ちなみにそのページは残っている)

peopleも同じで、こっちは全盛期を知らない状態だから仲間内の集まりのようなもので、サービスという感覚がない。こちらはプロバイダそのものが消えてしまい同じく最後は自主開催。「だれでも気軽に参加」とか「楽しくやりましょう」と書かれて会議室も一杯あったが1年ほどで撤退している。

勝負の潮目というのはマスコミが簡単に取り上げるというところでまず勝者が決まるようにも思える。niftyの場合はトレインシュミレーターや交友社がスポンサーに付くという段階で勝負に勝ち、他は付かなかった。敗者の傾向も簡単で「やさしい」」とか「誰でも歓迎」とか「小さいからサービスが行き届く」とか差別化のキーワードを出すが、ユーザーには全然それが届かない。やさしくなくてもサービスが少なくても「たくさん会員がいる」が勝者のキーワードのようだ。

mixiがどうやら次の勝者になったようだ。週刊アスキーで「今度のオフについてmixiに詳しくは書きますというメッセージを見て、一つのコミュニケーションツールとして成り立った・・」という行のコラムを見た。事実私もそう思う。

かつて共に楽しんだ仲間がmixiにガンガン入ってきていて往年のやり取りが進んでいるからである。新しい居場所ができたらコミュニケーションの成立は簡単だ、人間が介在しているサービスというのはこういうところが面白い。枠組みをメンバーが取捨選択し、勝ち上がったところに人々は居つくのだ。

さて、敗北をしたnifty、ここも例外なく「やさしい」「誰でも歓迎」と強気の姿勢を変えての再挑戦だが、私が見た範囲では敗北したサービスと同じ道を歩んでいるとしか思えない。どこまで持つか。私の着目点はそこの一点だけである。

一方、自らのサービスを敗者が決まる前に撤退したものがある。MSNもそうであるが、JRが用意した「サイバーステーション」ここはJR直営だけに掲示板もさぞ本格的だろうと思ったが、時代が早すぎた。パソ通全盛でメンバーが居付かず、勝負の前に撤退してしまった。ここの撤退は潔かった。企業が介在するサービスはさすが潮目を読むのが上手い。

さて勝者となったmixi、次はどんな手でメンバーをつなぎとめておくのだろうか。

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2006.10.08

こだわりの逸品 BICカミソリ

突然に大きなカミソリの画像が左に張られて驚かれた方も多いと思います。

このカミソリは私がもう20年も愛用して、かつこれを超えるものに一度も出合っていません。安価で耐久性が高く、そして軽い。問題なのは「なかなか買えない」というので必死にnetを探しようやく見つけました。一人でも多くの人にこのカミソリのよさを知ってもらおうと思い、商品紹介をしました。まぁ読んでください。

私は髭が濃いというのが自分でも嫌だと思っているところで、朝剃っても、夜にはもう生えている。一日剃り忘れると顔がちくちくするなど悩んでおります。風呂に入るたびに剃るのですが、これが一苦労で、石鹸などをつければ剃り残しがおきます。また「純剃り」つまり毛の生えている方向だけで剃ると、2時間もたたないうちに生えてきます。肌には悪いと思いつつも「逆剃り」をします。逆剃りを経験した人なら分かると思いますが、かならず血が出ます。血を出したくなければ絶えず新しいカミソリを準備しなければなりません。また髭をやわらかくするために風呂に顔まで浸して、その後剃るなど濃い人なら「あぁ俺も」と思う人が多いでしょう。風呂が長くなるのも欠点です。

これだけ努力してもカミソリによっては血が出ることもあるし、あげくは剃れないなどもおきます。3枚刃とか言われていますが1枚でさえまともに剃れないのに何が3枚だと思います。

その点、この商品は違います。1枚刃はシンプルで何回でも剃れます。昔、パッケージに「1本1週間の使い捨て」と書かれていましたが、1週間どころの騒ぎではなく2週間は最低でももちますし、1ヶ月もったこともあります。1本100円ですからこの値段でよくもつよです。

他社の製品も買ってみました。はっきり言って「ダメです」この商品以外はダメですね。20年以上、時には買えないこともあり他社製品20種類以上を我慢して使った私が言うのですから絶対間違いないです。髭を剃るのに本まで持ち込んでのぼせるまで入って剃る私が体を張って実験した結果でこの商品しか残らないのを証明したんですから間違えありません。

このnet販売を知るまでは見つけたらまとめ買いをして対応していました。ある日は第三京浜都筑のSAで、ある日は足立区鹿浜のドラッグストアで、ある日は新宿のドラッグストアで、なくなるとそれまで訪れた店を再訪しますが、買えたためしがありません。私にとっては幻の逸品です。

やっと定期的に買えるようになりました。髭が濃くて血を出して毎回泣いている男性の方、騙されたと思って1セットだけ買って試してみてください。もう他のカミソリにはもどれません。絶対的自信があります。

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ちょっと待て!

P10100450001

都営三田線水道橋にて。これはまるでメトロの駅ではないか!

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2006.10.01

長続きしなかったCI

営団地下鉄が東京メトロになって看板表記などが若干変わった。

元々、営団は車輌にせよ表記にせよあまりこだわらない会社だったので、路線や下手をすれば駅ごとに看板が異なることを結構平気で長い間放っておくこともあった。

東京メトロになり「コーポレートカラー」というのが決まり、1つはMマークの水色、もう一つは濃い青(群青)であった。画像の在庫整理をしていたら2004年に撮影したものが出てきた。

Sn2501030001
地の色がコーポレートカラー
Sn2501040002
駅名標もこのとおり

これは2004年当時は実験的導入だったようで、大手町と銀座でしか見ることができなかった。しかし今年の4月ごろ大手町に寄ったらもうこの地は使っておらず元の白になってしまっていた。そして今日、銀座に行ったら
Ca2701870001
この通り、群青は消えてしまった

確かに色合いがあまり地下鉄にはマッチしていなかったので実験導入はしてみたものの、本格導入は見合わせ元に戻したんだと思う。東京メトロはこういう「あっさり捨てる」ことを見事に行う会社だからマニア的には面白い。荻原二郎さんもおっしゃる「出会いは一期一会」 こと東京メトロにはこの言葉が良く似合う。

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