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2006.02.24

ミジュノ キョース 帰国へ

韓国の鉄道を研究してもう5年以上も経つ。韓国の鉄道の著者、山田氏とも親しくさせていただいているが、水野俊平教授が韓国から日本へ帰国なさるようだ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/20/20051020000036.html

(朝鮮日報)

水野先生とはある会を通じて大変親しくお付き合いをさせていただいている。過日も新大久保で一緒にお酒を飲んだ。実は水野先生、大変な鉄道好きで韓国の廃線を歩いて探すなどのこともなさっておられる。

まだそんなに有名ではなかった頃は簡単に探索できたのであるが、有名になってしまってからというもの「ミジュノキョース」と指を差され、デジカメで写真を撮られてしまっているようだ。鉄道趣味もずいぶんとやりにくくなったと聞いた。

新大久保でもお店に入れば店主が凍る。それもそのはず、日本で言うところのボビーオロゴンやユン・ソナと同じような外国人タレントだからである。ただ、すれ違う日本人にはほとんどわからないので、その点は大手を振ってあるけるようだ。

別の記事では「ユミン」こと笛木優子も帰国の予定らしい、韓流ブームもいよいよ逆輸入までくるほどヒートアップしたようだ。

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HP本格リニューアルのお知らせ

blogをはじめるずっと前、20世紀時代に簡単なC&Cと鉄道のページを持っていました。

お世辞にも良い出来とは言えないのであまり積極的な発表は控えていましたが、このたび完全にリニューアルをしました。

古い電車の写真中心ですが、ぜひお立ち寄りください。

http://homepage1.nifty.com/NAL/rail/index.html

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2006.02.05

首都高モニターだったころ

カテゴリーで適当なものがなかったから関係ありそうなものを選択。引っかかってしまった方にはお詫び申し上げます。

10年ほど前に首都高速のモニターになったことがある。任期は2年、更新ができたので都合4年ほどやらせてもらった。

首都高速モニターができたきっかけはおそらくこれだろう。

首都高速、私が覚えている昭和52年ころは300円か400円だった。当時は路線があまりなく、府中に自宅から首都高速に乗るには高井戸まで下を走るという有様だった(聞けばこれでも伸びたほうで、50年ころは新宿まで、京王新線の建設と同時に高井戸まで延びた)これが500円になり、この期間が長かったが、600円になり間髪いれず700円になった。この700円の値上げがやりだまにあがって公団の不透明な運営とか、工事の談合、あげくは非合法の料金不払い団体などが出てきてゲートの強制突破などが起き、公団も苦情を受ける姿勢を持ったり、意見を聞くという謙虚な姿勢にようやくなってきたのである。

このモニター、おそらく私は第一回の応募だったので、突っ込みがいがあった。公団職員が本当に世間離れしていたからである。年に数回会議があったのだが、阪神大震災の直後で耐震構造の改善を公団側は述べた。一方利用者側はというと「サインシステム」や「多国語対応」「渋滞対応」などの意見が多く、公団の「今やるべきこと」と利用者の「これから取り組むべきこと」のズレをものすごく感じた。確かに耐震は大事だが、そんなもの

やってあたりまえ

の問題だろう。外国籍の方が「せめてローマ字を入れてほしい」という要望を出したが、当時の公団は「検討します」程度だったが今、見ればわかる。その方は先進的だったのである。私もちょっとだけ自慢できることがある。割引運賃の提案をしたことだ。

当時は特定運賃は羽田線があった程度でほとんどなく、府中に帰る際に永福から乗っても700円取られた。そこで「末端の区間のみ特殊運賃を設定してほしい。ただ他品目だと間違うから羽田券の300円か神奈川券の500円にしてほしい。区間は永福ー高井戸、一之江ー錦糸町を頼む」と話した。回答はけんもほろろで「それはできない!」

しかしその後この提案は実ったのである。一之江区間はECTになってからだが、永福区間は回数券時代に設定された。私以外にも不便に思っている人が多かったのだろう。

公団だったのでほとんど政府と同じ、だから会議に速記が付いた。速記なんてそのときしか見たことがない。暇だったのでその動きを見ていたが実に滑らかに筆を運ばせていた。また飲み物も出てなんとクリームソーダという時代錯誤のもの。おそらく今ならペットボトルの水だと思うが平成7年でもこんなに豪華にもてなしてもらったのだ。

見学会もあり、湾岸線の神奈川区間、今の鶴見つばさ橋の建設現場に連れて行ってもらった。公団職員も一生懸命説明してくれたが記念撮影があるというこれまた時代錯誤のサービスまであった。

--余談だがこの記念撮影というのは政府系の団体ではやたらやる。証拠作りかもしれないが、どうにも笑ってしまう。東京都の集まり、労働省が主催する講習会。いずれも行った。

このモニター特典として「毎月10枚の利用券がもらえる」でよく乗る私にはありがたかった。

首都高速、当時はサンドバック状態の叩かれっぷりだし、事実職員ものほほんとしていた、ただあのモニター会議で雑談として話した職員の汚名挽回の態度には感銘も受けたし、事実変わってきたと思う。

でもそれだけではダメだった。結局マイナスが0になった程度だった。日産も「変わらなきゃ」とイチローが叫んでいた時代は変わらず、ゴーンが来てぶった切って変わった。公団も自助努力では0まで、だから民営化でぶった切られた。これからはリストラをガンガンやって遊休資産をバンバン売って小さくなって建設は採算性をにらんでと会社らしくなってくると思う。

私はある種牧歌的な時代を垣間見れた貴重な体験をしたのかもしれない。

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