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2006.01.29

さすが! 足立の大英断に拍手

足立区:新年度予算発表 竹ノ塚駅周辺の立体化に10億円積み立て 

記事によれば「昨年10月の区議会で、立体化資金を積み立てる基金を条例で作っており、実現に向け06年度から3年間で60億円を積み立てるとしていた。区は今年度補正予算でも基金に積み立てる予定。」とのこと。自分の街は自分で作るという住民や区議の意識に拍手を送りたい。

よくこのような高架工事などを行うと住民は「反対」「経費は鉄道会社で持て」あげくは跡地は遊歩道にといったいそんな金どっから出てくるんだよ。と呆れ顔になる意見ばかり見るが今件は違う。

昨年、痛ましい事故が起こったが、一時期竹ノ塚を利用していた自分にとっては切実な現象だった。竹ノ塚は東京で信じられないようだが平面の複々線だ。平面の複々線というと川崎近辺や横浜の花月園のそばなどもあるが、あそこでも痛ましい事故が起きている。つまり複々線となったらもう平面にすることが難しいのだ。

足立区は従来の流れなら東武相手に「そっちの金と東京都の助成金で高架にしろ」と迫っただろう。それを今回は議会で予算につけた。予算は税金だから別の使い方をしようと思えばできたはず。それを高架に張ったわけだ。誰にも頼らず自力でだ。

この考えは気に入った! ちょっとでも法人税を上げるために、商店の所得を上げるために足立に買い物に行くことにした。あなた方の努力は鉄道ファンたる自分は忘れない。買い物で応援するから、私のことも覚えてほしい。

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そんなに東横インが悪いのか

また鬼の首が取られた。東横インの事件である。条例違反の改造やその記者会見の態度が気に入らないと集中砲火だ。

しかしマスコミの文化人気取りはあきれる。ついこのあいだまでは「時代の救世主」とかいってもてはやしていたではないか。

暴言と言われても私は今回は東横インの弁護に回る。

まず障がい者対応をやめてしまったこと。これは万死に値する。やってはいけない。しかしこれが本当に障がい者のためなんだろうか。

ここで私は障がいと書いたが、障がい者は本来「障碍者」と書く。ただ碍の字が常用外なので”便宜的”に害を使うわけだが、なにも悪い意味の「害」を使うことはないだろう。

こんなこと気にしてんのお前だけだろというが、障がいをもたれた方から直接指導されたし(はじめてその事実をそこで知った)障がい児をお持ちのお母様からのメールでも記載は同じだった。

東横インを責めるなら、この表記もぜひ責めてほしい

所詮、マスコミはたたきやすいから叩くだけである。そして横浜市が行う条例が本当に障がい者のための条例なんだろうか。なにしろ私はわからないからコメントが難しいが、知り合いのたくさんの障がいをもつ方に聞けば「手伝ってくれるなら何だっていいよ」だそうだ。シルバーシートと同じで意識さえあればどこでもバリアフリーだと思うのだが。

次に「モノの原価」というのを知ってほしい。東横インは安さとサービスで伸びたのだが、そろそろ限界値に来ていることはわかっているだろうか。限界を超えればどうしても無理が出るのである。部屋数を増やしたり、そもそも絶対数の少ない障がい者向けの施設を切るなどは経営者なら誰でも考えることだ。結局、そこでしか利益が出ないからである。

よく「あの社長はこき使って自分は豪邸に住みやがって」というが、ではそのビジネスモデルを発明して、社員の不祥事には辞職までさせられるリスクを一人でかぶって、安アパートに住めば気が済むのであろうか。だったら世界中の人は社長なんかやらないほうが良い。法律を盾に社長や経営陣をひたすら責め続ければよいのだ。社長はちょっとやそっとじゃなれないし、続けられないし、伸びることなんかできっこない。

もし双方に良識があるなら、東横インがやっていける規模で営業をしてもらい、東横インがないところは高くても別の場所に泊まるか出向けば良いのだ。私は福島に用事があったが東横インが満室だったので郡山に泊まって翌朝早く福島に向かった。利用者も創意工夫をしなければならない。横浜市だって条例を作ったら、今度は利用者を増やす施策を打つべきだ。障がい者の旅行には一定の補助を出すとか、外食の地方消費税を還付するとか。そんな工夫もしないでひたすら民間に努力を課す。これだったら出店なんかしないでやりやすい場所だけで営業したほうがましだ。(JR運賃が半額になるなどは知っているが、まだ未研究中)

そうすれば東横インだって無茶な改造はしないし、たぶんこの社長なら出店はしないと思う。そういう感性の持ち主なんだろう。この考えにシンパシーを感じた人がここに泊まればよいのだ。

ホテルはどこにでも山ほどある。選ぶときにはそこまでの眼力を求める。それができないなら安易に批判なんかしてほしくない。私はこれからもここに泊まる。

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2006.01.24

人にやさしい電車とは

京王電鉄:おもいやりぞーん導入 8人分優先席を16人に

同記事によると
23日から、従来の優先席を拡大した「おもいやりぞーん」を車両に導入した。つり革の色を変えるなどの工夫を加え、これまで以上に優先席を明確化させ、「人に優しい車内環境」を提供したいという。

大変結構なことではあるが、誰を優先させるかなどをどうせ広げるのであれば考えて欲しい。記事では席数を倍にするということを書かれているが、要するに車端部をすべて優先席(おもいやりぞーん)に変えることと思われる。となれば一般乗客は車端部に座ることは大変難しいことになってしまう。

*私は「優先席」に座らないというのは安易な判断だと思う。空いているなら座る。ただし椅子に困るような人が来たらすぐ代わるという意識さえあれば良いと思う。私自身はどこで座っていても同じ考えである。

都電があるが、都電などは車両全部が優先席みたいなもので、東池袋から町屋までは座るということは大変難しい。空けばすぐ老人が乗ってきて代わることとなる。しかしそれでもあまり文句が出ない。

お年寄りが弱者というのはどうも過去の遺物のようにしか思えない。もちろん大事にするのは大切だが、かくしゃくとしたお年よりも多く、まもなく団塊の世代もその仲間に入る。それをお年寄りと呼ぶのはちょっと失礼だろう。

むしろ「座りたい人」や「座らせたい人」の優先席と定義を変えたらと思う。お年寄りでも杖を持っていたら代わるなどのことである。
ただ、私はもう少し言いたい。私が弱者と思うのは「子連れ」だ。子供を連れて電車に乗ると子供はすぐに飽きてしまう。中にはそんな傍若無人な子供を放って携帯を見ているバカ親もいるが、大半は困りきった顔で乗っている。こういう人こそ「やさしい電車」で保護するべきだろう。国を上げて子育てを支援するならこういう部分でも支援をすべきである。

東急では女性専用車を終日連結しているが、そこに子供づれも乗車OKとすれば良いと思う。都電の例を出したが、どの車両でも気を使って乗るくらいなら1両まるまる明け渡す方が意識しない分楽である。また女性が怖いのは酔っ払いとか痴漢であって男全般や子連れに対してはそうは思わないはず。もしそう思うのであれば甘えるのもいい加減にしろと言いたい。

かくいう私も子供の騒ぎ声が車内から消えるとなればそれは歓迎すべきことだ。車端部に座れなくても諦めもつく。

やさしさが本当に欲しい層というのを鉄道会社は真剣に探して欲しい。

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人生を変えるであろう満点

2006年は従来の考えに縛られずに思い切って廃業覚悟で新しいことにチャレンジしていくつもりだ。
そんな中22日はFP技能士の試験であった。

学生時代より勉強に関しては大変ずるい考え方を持っていた。合否ラインというのをあらかじめ情報として仕入れ、その合否ライン+10点程度を目標にして勉強する、もし合否ラインに届かなければ目標を変えるということをしていた。

一瞬見ると合理的だが、勘の良い方ならおわかりになりはずだ
「才能だけで、まったく努力をしない」 これを形にすると上のような行動になる。

大学入試などは最たる例で、どこに行きたいではなく、どこに受かるかで志望校を決めていた。もちろん行きたいと思うところはあった。早稲田大学だった。早稲田の工学部に行きたかったのだ。しかし試験では理科が2教科、その時点でもう投げ出して理科が1教科の大学に志望先を変えている。まぐれとは言え早稲田とは野球やラグビーのリーグが同じ大学に滑り込めたのだから良かったのではあるが、これが嫌な自信となってずるさに拍車がかかったようだ。入試に関しては大学が最後だからこの反省はしばらくしなかった。

妻は全くの反対で「100点以外は点ではない」と豪語している。運転免許はまだ持っていないが妻ならおそらく免許の勉強を必死にやるだろう。

--運転免許の学科試験というのはきわめて易しいのが特長で、運転免許の学科試験を真剣に勉強したという例はあまり見ない

だから妻の資格試験というのは落ちる理由がはっきりしている。「知らなかった問題が出るか、採点ミス」だけである。採点ミスというのはかつての行政書士試験が該当する。当時の行政書士は「作文」というのがあり、この採点基準というのがわからないのだ。学生時代シナリオ大賞を取ったことがある妻が作文で落ちるわけがない。どう考えても採点ミスだ。

一方、私の場合は「問題集で出た問題」でさえ落とす。努力をしないわけだから同然だ。またヤマが外れるということでも同例を何度も経験している。誰でも受かるといわれている試験に落ちたことがある。妻に言わせれば「才能だけで努力をしないのだから当然、貴方のような人はバチが当たって当然、苦学で資格を取る人に対して失礼だとは思わないのか!」と罵倒されたこともあった。

2006年、私はある決意を持って試験に臨んだ。「今度の試験は俗に誰でも受かるといわれている。一発合格以外は認めない。そして6割ではなく8割から9割という高いレベルで合格してやる!」もしこれが達成できなかったら私は資格試験をもう受けるのは辞めることさえ考えたのである。

自分なりには努力したと思う。結果は満点合格というものを勝ち得た。学校の定期テストでも片手ほどしか経験がなく、資格試験などではおそらく初の経験となる「満点合格」だ。自己採点をして深夜にもかかわらず絶叫してしまった。本当に嬉しかった。

と同時に嫌なクセから抜け出した。人生さえ変えた満点合格だ。次の試験に対しての大きな自信も得た。そして改革の2006年の門出にふさわしい幕開けとなった。今年はなんだか大きく飛躍できそうな予感さえする。

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2006.01.19

長くつきあうということ

五穀豊穣さんより私のパソコン保有は長いのではというコメントをいただいた。

私からすれば短いと感じる方である。自分で決めていて「家電は10年、クルマは15年」を目途として壊れなければずっと使う。ということである。洋服などは擦り切れるまで着るのでほとんどの服が5年以上、結婚式に着る礼服(夏用)などは27歳の時にあつらえたからもう15年も着ている。

そもそもこういう考え方になったのは「モノには心がある」ということを小さいときから思っていることだ。子供の頃よくなくし物をした。そのたび号泣しては探したものだ。それはそのモノの命を途中で奪ってしまったという自責の念が起きるからだ。

結婚してすぐ、阪神大震災の直後に鞄をなくした、年甲斐もなく号泣した。それは絶対になくしたくないと思っていた今後愛用すべき鞄だっただけに悔しさが増したのである。

そして失った鞄の代わりに来たのが昨年末まで使っていた鞄である。キャンバス製だったのでとうとう擦り切れてしまった。直そうとも思ったが諦めてしまった。ここまで使えば鞄も本望だろうと考えているが今も捨てられない。

当初は安いものでも長持ちさせて来たのであるが、最近は長く持つのだからとなるべく高いものを買うようにしている。今回PCを新調したが安く上げようとは考えずにできるだけスペックを高めに設定して長く持たせようと思う。

今回奇跡の復活を遂げた我が愛機Mebius、まもなく来る新型機にメインこそ譲るがまだまだ頑張ってもらうつもりである。

ちなみに愛車カリーナは今年で12年目、家は10年目、靴は8年、作業用の服にいたっては18年である。頑丈なものは壊れない。服などは新品よりもはるかに肌触りが良く着易い。

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2006.01.16

PCお陀仏に

昨日のこと。エクセルの調子が悪いので再起動をかけたらいきなりマシンがぶっ飛びました。

過去数回経験はしていまが、毎回困りますね。ノートンのゴーバックでは直らず、XPのシステムの復元を使ってとりあえずデーターは戻しましたが画面のバックライトの異常のようで画面確認が大変です。

2001年8月に出たマシンなのでそろそろ壊れる頃だろうと先手を打って新しいマシンを注文した矢先の故障ですから悔しいです。

データーバックアップのための外付けHDがあるのでできるだけデーターは移し(すでにDドライブは移管済み)、新マシンでの目処がついたところで旧マシンはクリーンインストール、ただハード的な故障かもしれないのでそのときは直しに出します。

現在は友人より預かっているマシンを急遽自分用に設定しなおして使用しています。いやはや困りました。

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2006.01.12

鉄道好きの履歴2-2

乗車券の画像を集めてみた。ご覧いただきご感想などを

sisetusyaho
左は小田急の車補、今では絶対に手に入れられない逸品。右は東武本線

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左は自慢の逸品。大江戸線の路線図に注目。右は多摩センターまでの開業時代のもの。下はオマケ、500という販売されない価格のパスネット。営団のイベントに参加してもらったもの

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硬券。左は伊豆急行の国鉄連絡キップ、社紋が伊豆急のマークになっている。右は小海線中込から八王子までのキップ。当時の正式な子供用は右端を落として台形にした。子供用でも省略して長方形のまま出した駅も多かった

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2006.01.09

シンプルライフ

カレンダーの関係で休日を掃除に当てている1月である。暮れから掃除を行っているが、新年は食器棚などの台所周りの整理をしている。

共稼ぎとなって5年は経つ、妻は大変忙しい職種についたため家事全般、特に後片付けの面倒な食事を家で作らなくなった。ほとんど外食かコンビニ弁当で済ませる。実は私にとってこれは苦痛でもなんでもない。実家時代から家で食事を取るのが大変苦痛で(味や雰囲気など)外食を歓迎した。グルメネタをやたら書くのはそういう理由もある。妻もほぼ同じような考えである。

従って調味料などは5年前のまま、この正月に捨てるかすべて何かを作って整理した。そうしたら今度は食器が余って困るということが起きてしまった。

私たち夫婦は結婚してから誰一人外部の人間を家に泊めたことはない。結婚して2年目あたりに妻が友人を連れてきたのを最後に仕事以外で自宅に入った人間はいない。これまた二人には大歓迎なことで、私自身「お客」が家に来るのは大変苦痛なのである。

結婚した当初は義母の勧めもあって客布団やお客用の皿なども用意はしたが10年たっても使う傾向はない。加えて両者とも多忙になれば今後も使う予定はないだろう。

これからは食器の類は一切買わずに壊れたら補充せずにそのまま過ごすことにした。食器も何だかんだで40個はある。一生あっても使い切らないだろう。

私たちは家に人を招くことが基本的に嫌いなだけで「人が嫌いなわけ」ではない。会うなら外で十分、幸いにしてサンシャイン60が最寄にあるので私はいつもそこで人と会っている。
こんな生活が10年続いたので、今年は思い切って「人が呼べない」仕様の模様替えをしようと思う。夫婦二人分の家財道具なら案外部屋も広く使える。冒頭の食材の整理で相当数の空きスペースが事実出ている。座布団や客布団も早々に処分しよう。

しかし空いたところはどうせ来るものがある。「本」だ、人を招くのは苦手でも本を買いあさるのは夫婦の得意技、妻はミステリー全集を、私は鉄道雑誌や野球の歴史を。図書館に住むことになるのは時間の問題だ。

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鉄道好きの履歴2

今度は「集める」分野である。

集めるに関しては父親の協力が大きかった。父は霞ヶ関勤務が長く、営団の記念乗車券をよく買ってきてくれた。原体験はここにあると思う。だから最初は記念乗車券からはじめた。また当時は自動改札など夢の夢なので普通乗車券も着札回収をのがれるようにして集めた(でもよくつかまっては回収された経験も多い)連絡キップなどは大半が硬券で「集める」というよりは「返さない」という感覚のほうが多いように思える。

意図的に硬券を集めたのは「入場券」だ。これは中学にはいってからはじめた趣味だが割合多く集めたように思える。

それよりも一番興味があったのが「車内補充券」である。これや「出札補充券」「改札補充券」などの補充券を集めようと思ったのが高校生から、前述のように趣味比率が下がっていたのでこれは大変だった。
kokutetusyaho
・左は水戸車掌区発行 急行券の補充券になる。右は沼津、なんと子供用のG車券。子供ながらにどうしても乗りたかった思い出がある。

今思えば出札補充券(最近は特補というらしいが)は割合簡単に取れたし、地方にいけばバスの券買所で国鉄キップを希望すれば補充券や常備券で出してくれたものだが全部着札で出してしまった。それでも少しはまだ手元に残っている。車内補充券は平成になっても残っており、このあたりになると検札の度に「わざと買う」ようなことをして集めた。しかしそれもパスネットの普及でかなわなくなってしまった。
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・これは首都圏では珍しい「駅名式」の補充券。発行が駅なので車補というよりは出札補充券になるのではと考える。思えば臨時の窓口で買ったような気が。これも急行券である

記念乗車券だけは今でも買うし、記念パスネットは極力買うようにしている。しかし昔と違うのは「使ってしまう」ことである。だから一般のキップやカードとほとんど同じ用途になってしまった。

そのパスネットでさえPASMOが出て怪しくなってきた。記念乗車券に回帰していくのか、記念PASMOの乱発になるかわからないがそれでも私は買うと思う。

フリーキップなどは着札回収がない場合も多く、そういう場合はだいたい捨てずに手元に置いておく傾向がある。これは各種サービス券やスタンプシートの類でも同じだ。

どうやら私は収集癖があるようだ。

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2006.01.07

鉄道好きの履歴1

鉄道好きを近年は公言できてありがたい。以前なら「なんであんなもの」と言われたものだが、最近は特に女性、ママの参加割合を多く見る。

私の鉄道好き履歴をちょっと追ってみる。
鉄道趣味はよく「乗り鉄」「撮り鉄」などと言われるがファンにとってはこんな大雑把な分類は大変心外で、乗るにせよ撮るにせよ集めるにせよとにかく分類が細かい。
大分類で切るなら私は「撮る」と「集める」で「乗る」はそんなに興味がない。

撮る分野だともう圧倒的に車両だ。この車両の好みの履歴を考えると、最初は気動車だった。気動車は車種による区別が少なく、急行型の後ろに普通型がつくなど混沌、その混沌さが好きだった。ただ東京地区ではすでに電化が大半で、八高線と相模線だった。ただまだカメラを持たなかった時分は房総が非電化でここは面白かった。返す返す写真を取れなかったのが惜しかった。次は「貨車」になる。貨車、これまたバラエティ豊かで飽きさせない、理由は鉄道模型で貨車をやたら買ったという経歴があるからだ。中でも特殊車両が好きで「控え車」の写真などを撮影していた。そして次が本丸の「旧型国電」になる。これも種類が多く、ここでそろそろお分かりだと思うが、私は「多種多品目」というのが好きになるポイントのようだ。飯田線に通って撮影した。と、同時に地元の京王線をやたら撮影した。

ここで一旦休止、それも長~~い休止に入る。高校進学、そして大学での鉄研における暗い思い出が入り一旦プチ引退をした。趣味的には旧型国電が終わったので、今度は客車に興味を持った。(それも若干程度だが)

平成に入り趣味が復活したときに選んだジャンルは「大手私鉄」となった。これはJRが画一的車種(と思い込んでいた)でイマイチ趣味範囲に入れないなどの理由があった。私鉄は元々京王線しか撮影していないので、青年期にあまり撮影しなかった東急や京急、そして意外思えるが平成まで全く乗ったことがない相鉄などに足げく通った。

そして今はJRである。205などは改造も多く今後研究対象になると思う。

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2006.01.03

歴史的和解による提携とメリット

西武鉄道とミレニアム、沿線再開発で一致(読売新聞)

この兄弟の確執はもはや芸術作品とまで思うほど、双方「西武」と名乗りながらほとんど提携がないという西武鉄道グループと西武百貨店グループ(以下セゾングループ、現在はミレニアムHD)が沿線開発で一致を見せたようだ。

両者を見ればどう考えても水と油、やはり両 堤総帥 にとって「和解」、いや兄弟の確執は消えたとしても経営での折り合いは難しかったとしか思えない。
芸術畑の兄 と 堅実経営の弟 奪い取る兄とひたすら守る弟、父に反抗し、そして父を超えることを目標とした兄と父の教えを守り、父を越えないことを目標とした弟、企業体質でこれほど差が出るのも稀だ。

私は兄に共感を覚える。氏は絶えず目標を定め、そして常人にない発想で消費を文化にまで押し上げたという立役者である。氏の芸術性だからこそなしえたと思う。しかしそんな氏でも経営の細部には堤魂があったと元関係者から聞いた。やはりそこには争えない血があったようだ。

カードビジネス、三和(三菱東京UFJ)の一機関だったJCBは日本を代表するカードになったが、同じように流通系カードで日本に浸透したのは「セゾンカード」である。あのヨーカードーや三越でさえできないことをやった。それも誰よりも早く、そしてどこよりも付加価値を付けてである。

不思議なものでセゾンカードはプリンスホテルでは使えないのである。これが上記確執の結果であった。いよいよその垣根が外される。

私鉄では非接触型カード「PASMO」が出るようだが、西武鉄道は数で圧倒的優位にあるセゾンカードとPASMOを連携すればSUICAのシェアには一気に追いつける。そして全国にある西武関連施設や近江鉄道、伊豆箱根鉄道などでも使用可能にする、ポイントはセゾン「永久ポイント」に繰り込めば電車乗って西武でお歳暮が買える、もうビジネスの将来像はできており、まず失敗はないだろう。

この和解は大きい。

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2006.01.02

何もしない一日

1時間ほど遅れてしまいましたがあけましておめでとうございます。旧年中は当blogにTBやコメントをいただきありがとうございました。

本当ならもっと晴れ晴れと元旦に書きたいのであるが、昨年来どうも調子が出ない。これは先回のblog記事だった免停も絡んでおり、本年元旦は少なくともこの障害は消えている。しかしもっと深刻なのが仕事のことである。

取引先の廃業が止まらない。決して無理な投資をしない、健全経営であっても廃業をしてしまうのである。老いも若きも、老いては業務不振と後継者難で、若きは不況に耐え切れず、原因ははっきりしていて「製造業の中国移転」である。これで国内の産業が壊滅的になった。そして原油高で固定費さえ払えなくなった。老いは年金生活を選択し、若きは再びサラリーマンに戻る。製造業の明日はあるのだろうか。

製造業を顧客に持つ私には深刻である。昨年までは「それでもまた日は昇る」を信じてやまなかったが、昨年の総選挙で諦めた。国民は国を「自給自足」から「消費大国」への選択をしたのだ。そしてその原資は物を作らずに「株価操作」と「企業買収」で調達するようだ。私もまだ勝ち組に入れないが、国民の大半が勝ち組には入れない、そんな世の中を少なくとも先回の選挙で国民は選択したのである。

2006年はもう製造業にこだわることを止める。新たな展開を必ず見つけ這い上がる。

そんなことを思った秋口だから趣味活動は春先よりもさらに下がった。当blogもNET記事の批評に変わったのも「現地調査」を全くしなくなってしまったからである。

また「一日1つ、何か仕事に関わることをやる」ということをモットーとした。従って「何もしない日」というのは昨年1日もなかった。ただ年末「元旦は思い切って何もしない自堕落な生活をしてみるか」という思いにかられ予定を立てた(というのもおかしいが)

午前11時まで寝ていて12時から年賀状を見て、カップラーメンを食べる、午後2時からビールを飲む、そして天皇杯を見ながら昼寝、8時に起きてまた酒を飲み始めて今に至るという按排、感想はといえば「なんてことはなかった」である。新たな自分が発見できたわけでもないし、これといってゆっくり出来たということもなかった。ただやって損だったということだけはなかった。

明日は初詣、終わればFPの試験勉強である。また来年の楽しみとしよう。

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