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2005.12.25

長く苦しかった免停との戦い

昨日付けで前歴0、違反0の免許に戻った。長く苦しい日々だった。

ことの起こりは5年以上前になるだろうか。私はシートベルトをしない主義だった。これは道路交通法がはっきりせず、「乗降の回数が多いものは除外する」という法律を自己流に解釈したり、当時は警察も厳格ではなく、わりあい流してくれたということがあった。また違反の対象年月を「2年」と甘く見ていたからである。

それまで私は運が良かったのか、もともと違反が嫌いであったのか「反則金」というのは駐車違反で1回払っただけ、赤キップさえもらわずに15年以上過ごしてきた。ただシートベルト違反はわりあい多かったのと、長期安全運転の賞状ならびにSDカードには興味がないので無違反継続や免停には無頓着だったと思う。

2002年の暮れにもらい事故をした。相手はバイクで通行禁止区分を越えて追い抜きをかけられて右折しようとした私と接触、相手は転倒した。私は事故点こそ0だが、「安全運転義務違反」の2点をもらった。これが前述のシートベルト違反との合算で人生はじめての免停というのを受けたのである。

30日免停は楽だった。紳士的な教官、むしろ受講生の不真面目さには腹が立つほどだった。1日の免停を終えて翌日から運転をした。しかしその8ヶ月後にとんでもないことをしでかした。

私はスピードを出すというのがさほど好きではないが、加速するのが好きで、その日も信号が変わるとダッシュをしていた。50kmのところを85km、ネズミ捕りにつかまった。1km負けてもらって34kmオーバー、免停90日である。この日から私の安全意識が変わった。警察から言われた。「お願いだからスピードは出さないで欲しい。人を轢いて人生を台無しにするのは見たくない。これは警察官ではなく一人の人間としてお願いしたい。どうしてもどうしても出したいなら20km以内にしてくれ。それならまだ反則で収まるから」 警察官は諭すように話してくれた。

その日からである。制限速度を守ることを心の支えとし、そして二度と違反はしないということを。聴聞会に出て処分を下げてもらい、罰金を6万円も払い、ドライバーを雇い、大金を失った。

私は必死に守った。どんなに煽られても辛抱した。特にバイクのマナーが悪く、閉口させられた。しかし神様はまだ許してくれなかった。

2004年の9月22日、仕事の準備で車道にトラックを止めていたわずか30分の間で駐車違反を取られた。請負先より「車道でしばらく待ってくれ」という言葉を信じて止めて捕まった。確かに私は違反をしたのだが、納得はいかなかった。警視庁U警察は一生、どんな協力もしてやらないと誓ったところで悔しさは増した。業者は私に金銭的弁償はしてくれたが免停の保障まではしてくれなかった。そして2回目の60日免停がやってきた。12月24日、晴れて免停は終わった。

その日から私の辛い戦いがはじまった。今度は4点で取り消しになる。取り消されたら私は廃業になる。極力私的な移動は車を止める、駐車違反はしないように見張るなどの地道な努力を続けた。最後の2週間は多忙な妻を横に乗せるということを行い、念には念を重ねた。

そして2005年12月25日午前0時をもって私は前歴が消え、違反点数が0という元の免許に戻った。

だからといって違反をしようとは思わない。クルマで出かけようとも思わない。免停明けと同じ意識で、今度は無事故無違反をさらに続けて行こうと誓っているからである。

U警察への怒りだけは心に抱いて。

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2005.12.18

出雲廃止による問題考察

JR西 出雲の廃止に代替案だす(山陰中央新報)

山陰は全く行ったことがないので地域特性もさっぱりわからないので、今回の私の投稿はむしろコメントによって鍛えられるようなそんな投稿になると思います。博学な方からのコメントをお願いします。

記事によればJR西は現在も客車で残っている「出雲」を廃止し、代替として智頭急行経由上郡行きの特急を走らせ鳥取からは乗換で対応してもらう旨の提案をしたようだ。

鳥取のダイヤ構造を見てみると山陽側で言う「岡山」のようで、ここで特急が上り下りとも終わっているものが多い。反面伯備線を持つ米子は山陽連絡の拠点で、新幹線を使える分鳥取より便利に思えるし、何より電化されているのがポイントだ。

廃止予定の出雲だが、手元にある2002年の時刻表によれば鳥取発が20:24、東京着が6:57と出張には最適の時間配分である。しかしそんなことはもう10年も前の理屈で、現在なら早朝便の飛行機で代替が効くだろうと思っていたところ、鳥取は羽田発こそ便利だが、鳥取発は10時ころの羽田着、これではちょっと使いにくい。

出雲のルートをたどってみると浜坂、城崎、豊岡、福知山、綾部が停車駅である。内、豊岡は早朝に特急北近畿が設定されているようで、ここは代替が効く。 城崎は豊岡まで普通電車でも10分の至近であるから同駅とみなせるし、綾部は福知山と同駅とみなせるので問題は浜坂と、鳥取、そして倉吉だろう。

JR西は智頭急行を提案したが、時刻表をみるとスーパーくにびき9号の時刻を30分繰り上げると米子でサンライズにうまいこと接続できる。智頭急行に乗ってもらうのも良いが、このルートで鳥取ー京都を途中下車しなければ鳥取ー京都は山陰線経由の運賃で計算するといった特例運賃やこの列車専用の切符を発売するなどの方法もあるだろう。

なお東京方面からの時刻はサンライズでは対応できない。またスーパーはくとをひねり出しても鳥取に9時に着くのは難しい。ここは飛行機の出番だろう。

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2005.12.11

鉄道講演会を仕切った

このblogでも書かせていただいた青木栄一先生の講演会が昨日開催されました。

人数は一般も含め70人以上と大変盛況でした。ありがとうございます。
内容は「市民が鉄道に何を求めるのか」という視点で、速さや乗り心地、そして乗換やダイヤなど様々な方面から分析をなさり、とてもわかりやすくお話をくださいました。

後半は福知山線での事故に関してのお話、保安装置だけでは完全にフォローできず、二重三重のバックアップが必要というお話と、「例え人間が解除したとしても、それすら織り込んだバックアップ体制が必要」というお話は心に残りました。

当日はゲストをお呼びしました。あえてNetでは告知をしませんでしたが、第5回の講師、元営団地下鉄車両部長の里田啓さんと小田急OB生方良雄さんのお二人で、生方さんからは脱線とガードレールに関して即興の講義をいただけました。私自身もまさか講義をいただけるとはと驚きました。

終了後は懇親会を3人の先生とともに行いました。営団5000系製作秘話や小田急8000の秘話などいろいろなお話を直接関係なさった方々うかがえたのは涙モノの体験でした。

講座を企画してこれほどまでに楽しかったことはありませんでした。今回の体験はずっと心の中に残るものと思います。

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