今、語る 俺の模型時代(前編)
鉄道模型、今でこそ完全引退であるが、一時は実車以上に趣味であったことがある。
私と鉄道のつながりは親父に聞けば昭和37年、つまり生誕のときからあったらしい。しがない機動隊の隊員であった親父に一人の気の弱い男の子が生まれた。つまり私である。気が弱い、証言によれば何気ないものに異常に反応して泣いたと聞く。
一つは「人形」であったらしい。伯母によれば「アンタは人形を入り口に置いておけばそこから先は絶対行かなかった」と。また夜鳴きがひどく親父を困らせたと聞く。
そんなときはしばらく歩くとある京浜急行の踏切に行ったそうだ。そこに行けば一発で夜鳴きがなくなったと聞いた。もうこの時点で「鉄道趣味」の芽が出ていたようだ。
模型は小学校5年のときにはじめて触れた。それでもプラレールの存在は知っていたし、もちろんあきれるほど持っていた。しかし目の前を走る「ほとんど実車」と変わらない模型が私の脳裏にいっぺんに焼きついた。と同時に販売されていた「鉄道模型趣味」(TMS)のカラーページに一発で参ったのである。中村汪介氏が入っていた「東京スパイククラブ」(TSC)の固定式レイアウトの画像だと思ったが、大滝の周りを走る特急が印象的だった。
それからである。むさぼるように本を買った。小学生の身の上である、鉄道模型は大人の趣味。本は高くなかなか買えないが、それでも「小レイアウトと小型車両」「楽しいレイアウト」「レイアウトテクニック」などを買って慰めていた。
そんな私も友人の後押しがあり、やっと車両を1両とパワーパック、レール20本とサービスのポイント1個で「お座敷レイアウト」デビューができたのであった。
昭和48年10月のことである。キハユニ18(カツミ製)を1両持って飽きるほど線路を往復させたことを今でも忘れない。
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