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2005.06.19

今、語る 俺の模型時代(後編)

中学3年になった、受験がはじまるころだが、私はマイペースでキットを組み立てていた。
レア物という言葉があるが、以前より事業用車とか1両だけの珍車というのが好きで、気動車ファンになったのも「編成の自由度」というのが最大の理由だ。だからキハ58とキハ17をつなげて遊びたいなぁ(当時は鉄道模型社がキットを出していたらしい、カツミがやっと完成品を出した。小高のペーパーキットがあった程度)と常日頃思っていた。
そこに友人の一言「飯田線に行ってみないか? あそこはすごいぞ」
行ってみた。すごかった。気動車から旧型国電に興味の対象を鞍替えした。しかし旧型国電はピノチオがブラスキットを出すのと、カワイの80、70、73、カツミの73とペーパーキットだけで51系や42系は殆どない。図工が5の友人はペーパーキットを見本にどんどん自作していくが、私は相変わらず子供の工作だった。差はもう天地ほどになってしまった。

私が模型に限界を感じたのはこのあたりだ。写真はそれでもまだまともだったし、親父の一眼レフを永久貸与という特権ももらった。模型から写真へと移行した。そして高校進学となった。

ここで決定的なことがおきた。「まわりに鉄道ファンが0」ということである。友人は違う高校に進学、郵便局のバイトにあけくれた。私はというと鉄道趣味からバンドだアイドルだ。と普通の高校生へと変わってしまい。鉄道熱は半減した。でも0にはならなかった。

駄目押しは大学進学、念願の鉄道研究会に入ったのだが、ここがおよそもてない変わり者の巣ということで、模型はおろか鉄道にも嫌悪を抱くという結果に・・・・ 趣味は昭和が終わるまで復活することはなく。模型に至っては未だ復活していない。

TOMOの鉄日誌 では管理人氏が楽しくいきいきと運転会の様子をレポートしている。このblogを読むたびに復帰熱が上がるのだが、踏み切ることはない。

もし図工が5とはいわず4だったら。もし高校にファンが1人でもいたら。違う大学に進学していたら・・・ もしもは許されない。私と模型はもう離れてしまったのである。

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コメント

SATO殿、きくしんと申します。知人以外の方から初めてコメント頂きました。有り難うございます。
SATO殿のおっしゃる通りです。東武の新型50000系は先頭部が非貫通ですので地上専用。
東急も優等列車だけの乗り入れなので、本数が限られます。
相互直通車両は、メトロが主体となって補完的な意味で東急車と思っております。後は、渋谷・新宿三丁目の折り返しですね。

投稿: きくしん | 2005.07.02 21:45

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昨日は、千葉県習志野市の運転会場で開催された模型運転会に参加してきた。 今回は6 [続きを読む]

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