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2005.04.03

京王で一番地味な車両物語

この記事に触発されました

南海の50000は誰が見てもすぐ覚えられる車両だし、新幹線は世界にも名が通ずる車両です。その対極にあるのが地味な通勤電車、例えば103系などは「いつでもそこにいる」ということで趣味人以外にはあまり興味を持たれない車両になります。

私鉄に目を向けると、東武の8000、東急8000、京急1500などが該当します。どれもが没個性で比較的実用を重視したもの。それもそのはず通勤電車には特徴は不要です。しかしこれらは長い間作られているので出るたびに改良が進み最初の車と最後の車では全然違った出来合いになっていることも珍しくありません。京急などは最初戸袋窓付きの4両で落成しましたが、最後は戸袋窓なしでVVVFと大進化を遂げています。

京王は路線が短く、1500V昇圧の際に車を大幅に入れ替えたため個性が比較的豊かな車両がいました。
5000系は誰しもが認めた関東の名車です。2000系は・・まぁ地味だけど湘南形だし。6000は京王線では初の20m車で両開きドアと顔つきは没個性でもデビュー時は個性的でした。
8000はVVVF搭載でグッドデザイン賞受賞。9000は名車5000の後を引き継ぐという触れ込みですが・・ ひょっとして将来の地味車候補でしょうか。

さて名前が出てこなかった7000系、これが今回の話題です。7000は6000をステンレスにして窓回りを少し直した程度の車で登場時から「地味な車」が決定していました。加えて5連で各停専門とどう見ても華やかさはありません。事実、沿線でこの電車を追いかけるという話はあまり聞きませんでした。

が、一大転機がやってきました。1986年頃でしょう。変わった形の7000が出てきました。7021です。ステンレスのビートを少なくしてすっきりとしたデザイン、窓上にも張られた京王の赤とそれまでの7000が大人になったようなお化粧をして出てきました。これをはじめて通勤途上のつつじヶ丘駅で見たときは驚きました。

これは後日わかったことなんですが、このとき7000に優等対応できる専門車を作るという構想があったようです。従って見た目を変える必要があったようです。しかしながら計画は頓挫、でもデザインはなかなか良かったので従来車も改造されました。まず第一回目の改造です。

京王は5連で出した7000をまず6連に伸ばしました。そして利用者が増えたことから8連へと成長しました。6000が辿った道と全く同じです。しかしここで2連が出てくるとは思ってもいませんでした。これはラッシュ緩和策の一環で10連を新宿に入れるための措置でした。6連で止まっていた5編成にはなんと4連が出てきました。2,4,6,8,10と編成長がこれほど豊かな車両はなかなかありません。地味ながらここは派手な7000です。

赤帯が足された7000はその後の見直しでつけた赤帯を取り去られてしまいました。思えば後輩の8000がそのデザインを踏襲したようで、8000との区別をするためだったのではないでしょうか。第二回目の改造です。

5000が惜しまれつつ京王線を去ったとき、この日から7000はユーティリティーフレーヤーの本領を発揮します。6000が8連か10連、8000が10連(当時の8連は橋本特急)だったのに7000は持ち駒で全部穴が埋められました。8連は通しの6番以降か6+2、10連は21番以降か8+2と余っている車を適当に足したらそれが出てきたという
位の考えだったんでしょうか。臨時便には強かった7000です。

2001年にダイヤ改正があり、それまで代打人生だった7000の優等も定期の仕事が入ってきました。10連は分割がないので準特急に、8連は橋本快速になりました。また時々は特急に入ったりもしています。

登場時から地味だった7000、裏方人生を歩んだ7000、しかしようやく実りました。それは豊かな編成というほかにない特徴がそれを生かしたのです。

7000はこれからも走り続けるでしょう。いぶし銀という新たな称号をもらって

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コメント

7000系は見るからに6000系のステンレス版という造りで目新しさは感じませんでしたよね。
それが今では地下鉄乗り入れ以外はなんでもOKというご活躍。2連から10連まで一揃いあるというのもすっかり忘れていました。
元々普通列車用ということでしたが、こういう用途の車両の主電動機出力は他社の例だとやや低めの出力にしてトルクを上げる設定にすることもあるようですけど、7000系では6000系と同じでしたね。これは、編成長が普通列車用ということだけで将来的に優等列車にも使うつもりだったのか、あるいは6000系と部品を共通化するだけだったのか? 
京王って先を見据えた設計をするんでしょうか?
帯や前面のデザインはちょくちょく変わったんでしたね。最近の白い顔に比べて初期車のノーデコレーションがかえってすっきりして新鮮に見えますけど気のせいでしょうかねぇ。

投稿: マニはら | 2005.04.03 22:09

以前高幡不動に住んでいたことがあり、毎日京王線を使っていました。
確かに7000系は地味かもしれませんね。特急運用につく訳でなし、地下鉄に乗り入れる訳でなし、でもいぶし銀というのは、こういうハコを言うんでしょうね。

投稿: mac | 2005.04.03 22:45

6000系は京王が京王新線や相模原線の建設で資金的に余裕のなかった時代に造られた経済車両で、それが祟って短命だったんですが、都営新宿線との相互直通開始を睨んでステンレス車体の新車の噂が流れました。それが7000系として結実するにはさらに時が必要だったんです。非冷房のグリーン車を温存したのは伊達や酔狂ではなく、本当に資金に余裕がなかったんで、冷房化で他社に先行しながら完全冷房化には後れをとることになってしまいました。今や堅実経営でJR東日本に次ぐ私鉄No.1の高格付け企業ですから、雌伏の時を過ごした経験は無駄ではなかったんですね。7000系はそんな京王を象徴する車といえます。

投稿: 走ルンです | 2005.04.03 23:26

私のブログの記事から、これだけの思い出話をご披露くださいまして、ありがとうございます。

7000系の前面をアイボリーにしたというのは、その昔の鉄道ファン誌だったかと思うのですが「列車の接近を分かりやすくする」といった保線系統などの現場からの要請と言う警戒色の役目がある、という記述を読んだ覚えがあります。
銀色の前面で登場した7000系は各駅停車用ということでなかなか乗れず、今回SATOさんが書かれている7721F~については当時本当に「優等用」の7000系がデビューしたと思っていました。しかし、この7000系が優等で運用されたところは、競馬開催時の臨時以外では見たことがありませんでした。またこの7721~7725までの5編成は後に10連化されてしまったために、一時期は朝のラッシュ帯にしか走らなくなったなど、恵まれない車生を送っていたようにも思えましたが、程なく急行に運用されることとなり、2001年のダイヤ改正からは「特急」などの運用につくことも珍しくはなくなりました。

時代を飾ることが無かった7000系、今では「特急」から「各駅停車」まで、地下鉄乗り入れ運用以外の列車に大活躍しています。まさに「いぶし銀」の車両ではないかと思います。

投稿: Kaz-T | 2005.04.04 21:58

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