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2005.04.19

ブログ一時中断のお知らせ

東京鉄道見たまま日記をいつもお読みくださいましてありがとうございます。
私ことSATOは、この4月より社会保険労務士事務所開業、並びに生命保険販売代理業開業、加えて地域福祉の委員会所属となり、趣味に時間を割くことが大変困難となりました。

したがって更新のペースが極めて落ちます。残念ながらしばらく休止ということをご了承ください。

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2005.04.06

ヘルスセンター展覧会に行って見た

ここに書いたように船橋市役所で「船橋ヘルスセンター」の写真展があったので出かけてみた。

市役所を入ってすぐ右側のスペースにパネルが2枚と中央にガラスケースがあるコンパクトなもの、しかし内容は充実しており実に良かった。
メモをしてこなかったのであるが建設前夜から最盛期の写真や入場券、果ては京成の車内広告まで展示してありレトロマニアには垂涎の代物ばかりである。
何でも天然ガスも出てそれでお湯を沸かしたそうだ。確かに千葉は天然ガスが出たと聞いたが、船橋でも出たとは知らなかった。
また大人気で増床に次ぐ増床で大きく広がって行ったようだ。乗り物もジェットコースターや観覧車など昭和30年代では外せないものは一通り揃っていた。しかし特筆できるのがボウリングにゴルフ練習場、人工スキー場を用意していたところ。なるほどザウスの原型がここにあったわけですな。今思えば健康センターに遊園地がついたもの。そうだ! ラクーアだ。ラクーアは船橋ヘルスセンターが形を変えて東京に出来たものなんだ。惜しむらくは「ステージ」がないこと。あの大ステージがあればもう言うことないのだが・・・
パネル裏面にはステージ参加の芸能人が写っていた。灰田勝彦(野球小僧を知ってるかで有名な歌手)をそこで見つけた。

本当に幕の内弁当みたいなレジャーランドだったんだと再認識、しかし船橋市も渋くて素敵なイベントをやってくれたものだ。

なお公共交通で行くなら西船橋が便利、船橋からはバスがなかなか来ない。京成船橋からなら歩くこともできそうだ。15日までなのでもう一度のぞいてみたい。

#撮影禁止とは書かれていなかったが道義的に撮影は良くないと思い1枚だけ記録として場内を撮影してきた。
duo_014

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2005.04.03

京王で一番地味な車両物語

この記事に触発されました

南海の50000は誰が見てもすぐ覚えられる車両だし、新幹線は世界にも名が通ずる車両です。その対極にあるのが地味な通勤電車、例えば103系などは「いつでもそこにいる」ということで趣味人以外にはあまり興味を持たれない車両になります。

私鉄に目を向けると、東武の8000、東急8000、京急1500などが該当します。どれもが没個性で比較的実用を重視したもの。それもそのはず通勤電車には特徴は不要です。しかしこれらは長い間作られているので出るたびに改良が進み最初の車と最後の車では全然違った出来合いになっていることも珍しくありません。京急などは最初戸袋窓付きの4両で落成しましたが、最後は戸袋窓なしでVVVFと大進化を遂げています。

京王は路線が短く、1500V昇圧の際に車を大幅に入れ替えたため個性が比較的豊かな車両がいました。
5000系は誰しもが認めた関東の名車です。2000系は・・まぁ地味だけど湘南形だし。6000は京王線では初の20m車で両開きドアと顔つきは没個性でもデビュー時は個性的でした。
8000はVVVF搭載でグッドデザイン賞受賞。9000は名車5000の後を引き継ぐという触れ込みですが・・ ひょっとして将来の地味車候補でしょうか。

さて名前が出てこなかった7000系、これが今回の話題です。7000は6000をステンレスにして窓回りを少し直した程度の車で登場時から「地味な車」が決定していました。加えて5連で各停専門とどう見ても華やかさはありません。事実、沿線でこの電車を追いかけるという話はあまり聞きませんでした。

が、一大転機がやってきました。1986年頃でしょう。変わった形の7000が出てきました。7021です。ステンレスのビートを少なくしてすっきりとしたデザイン、窓上にも張られた京王の赤とそれまでの7000が大人になったようなお化粧をして出てきました。これをはじめて通勤途上のつつじヶ丘駅で見たときは驚きました。

これは後日わかったことなんですが、このとき7000に優等対応できる専門車を作るという構想があったようです。従って見た目を変える必要があったようです。しかしながら計画は頓挫、でもデザインはなかなか良かったので従来車も改造されました。まず第一回目の改造です。

京王は5連で出した7000をまず6連に伸ばしました。そして利用者が増えたことから8連へと成長しました。6000が辿った道と全く同じです。しかしここで2連が出てくるとは思ってもいませんでした。これはラッシュ緩和策の一環で10連を新宿に入れるための措置でした。6連で止まっていた5編成にはなんと4連が出てきました。2,4,6,8,10と編成長がこれほど豊かな車両はなかなかありません。地味ながらここは派手な7000です。

赤帯が足された7000はその後の見直しでつけた赤帯を取り去られてしまいました。思えば後輩の8000がそのデザインを踏襲したようで、8000との区別をするためだったのではないでしょうか。第二回目の改造です。

5000が惜しまれつつ京王線を去ったとき、この日から7000はユーティリティーフレーヤーの本領を発揮します。6000が8連か10連、8000が10連(当時の8連は橋本特急)だったのに7000は持ち駒で全部穴が埋められました。8連は通しの6番以降か6+2、10連は21番以降か8+2と余っている車を適当に足したらそれが出てきたという
位の考えだったんでしょうか。臨時便には強かった7000です。

2001年にダイヤ改正があり、それまで代打人生だった7000の優等も定期の仕事が入ってきました。10連は分割がないので準特急に、8連は橋本快速になりました。また時々は特急に入ったりもしています。

登場時から地味だった7000、裏方人生を歩んだ7000、しかしようやく実りました。それは豊かな編成というほかにない特徴がそれを生かしたのです。

7000はこれからも走り続けるでしょう。いぶし銀という新たな称号をもらって

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