飯田線~流電のあった風景
クモハ52に熱中した。とにかく撮影できる時代に間に合ったのが嬉しかった。過去の編成をみると1両目が広窓、4両目が狭窓という編成で組まれたこともあったが、私が通った1978年当時は粋な編成だった。
001,002の狭窓にはサハ48をわざわざ挟んで狭窓に統一(ちなみに1次流電のサハは岡山で末期を過ごしたサハ58にサロハはクハ47151として流電とともに飯田線に残った)広窓には横須賀線のサロを改造したサハ75やなぜか紛れ込んだサハ87を挟んで統一性も持たせている。
当時の編成はこうなっている
52002-48024-48021-52001
52005-75102-87001-52003
52004-48034-75100-54119
では紹介しよう
これは狭窓編成になる。場所は東上ー野田城の田んぼだった気もするが・・52001になる
上と同じ位置。2両目がサハ87だから52003と思われる
これは今でも有名な撮影地だろう。鳥居の駅のすぐそばである。2両目にご注目。広窓のサハだから52004になる。ちなみにサハは「合いの子」のサハ
2枚目の反対側になる。52005である
最後はオマケ。「合いの子」のクモハ53008である。この008は張り上げ屋根を一般の屋根に改造されてしまったもの。007もいたがこれは張り上げのまま残った。伊那市のようだ
流電シリーズをもう少し続けるつもり。よかったらリクエストください。なるべく答えるようにします。
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