« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005.03.31

飯田線~旧型のあった風景3

名古屋に行ってきました。本当に20年以上ぶりに豊橋に降り立ちました。飯田線ホームをしばし眺め感慨にふけりました。さて今回は珍車を少し紹介しましょう。

FH0400110006

クハニ67の900番台、クハニに関しては前述のとおりである。見たとおりのクハ55の前ドアを荷物用に代えただけにも見える。この車は前面の貫通路に青を塗らない塗り分けだが、塗りつぶした車もいた

FH0100210002

クハ47011、これぞ珍品中の珍品。17m事故車を20m改造してクハとしたもの。この1両しかいない。顔つきは後年の63に酷似している。63顔の2ドア車だったが、飯田線では没個性の顔つきだった故、そんなに人気はなかった。第一次廃車候補から外れていたので殆どの人がノーマークだったが、突如廃車候補になってしまい80系と入れ替わりで消えてしまった

FH0200070004

同じくクハ47だがこれは009と思われる。飯田線のクハ47は元クハ58の100番台が比較的多かった。非貫通は身延線に行ったものや、後にクハ79に改造されたもの、新潟でクハ68に改造されたものなどがあり、非貫通そのものも少数だったようだ。しかしながら飯田線はサロハ改造のクハが3両もいた。後ほど紹介する

FH0000310001

これはおまけ画像。大糸線に行った「合いの子」43系。大糸線も20枚程度あるのでいずれ紹介する

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.03.20

テストしてます

モブログのテストです

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.16

真打の底力 大宮エキュートに賭けるJRE

3/5 大宮駅に「エキュート」ができた。JR東日本がいわゆる「エキナカ」ビジネスを本気で取り組む意気込みを見せる第一弾だ。
立ち食い研究家の私にとっては外せない出来事。さっそく6日に出かけてみた。

はっきりいって「ものすごい」の一言である。デパチカという言葉があるが、デパチカがまるまるホームコンコースに引っ越してきた。という状態である。

持ち帰り惣菜やスウィーツなどもあるが、ここはイートインコーナーを解説したい。

イートインは以下のラインナップである
●PARK SIDE CAFE /カフェ&ダイニング
● かにチャーハンの店 /チャーハン
● たこ焼割烹 たこ昌 /たこ焼
● Chowder's /スープ
● パスタハウス JINJIN /パスタ
● Kobeya Stazzo /ベーカリー&カフェ
● 花桐 /うどん
● ku:fuku /カフェ&バー
● ほんのり屋 /おむすび
● AOcafe /カフェ
● カレーショップ トップス /カレー
気になったもの。撮影したものを中心に

duo_0340002
かにチャーハンの店
Hitグループという蟹の専門店のようだ。青山や青葉台に展開をしている

duo_0310001
Chowder's
シアトル発のナチュラルでヘルシーな食べるスープが宣伝文句である。なかなかやる気のある店で、唯一ビラを店頭で配っていた。スープストックTOKYOにタイプは似ている。Lサイズはご飯を入れてリゾットにもなる。6日は「試食OK」と大声で呼び込みをしていた。

パスタハウス JINJIN
明星食品の外食部門のようだ。明星食品といえばうどんの「味の民芸」が有名。民芸といえばうどん1本が長くて腰があるのが特長。TOMOさんのblogに試食レポートがある。

duo_0360004
花桐
協商フード(株)大阪梅田に店を持つ関西ではめちゃめちゃ人気のあるうどんやの新展開のようだ。

duo_0350003
カレーショップ トップス
トップスはもともと自由が丘の有名なケーキ屋。赤坂のサクソンというカレー屋と合併して「トップス&サクソン」という名でお店を出していた。今はルミネに出店しているようだ。
そしてそのトップスも「ざくろ」グループのようだ。ざくろは銀座にある高級和食のお店。余談ながら彼女と間違って入ってしまい。5万円も散在してしまった苦い経験のあるお店。

| | コメント (4) | トラックバック (4)

2005.03.15

飯田線~流電のあった風景

クモハ52に熱中した。とにかく撮影できる時代に間に合ったのが嬉しかった。過去の編成をみると1両目が広窓、4両目が狭窓という編成で組まれたこともあったが、私が通った1978年当時は粋な編成だった。
001,002の狭窓にはサハ48をわざわざ挟んで狭窓に統一(ちなみに1次流電のサハは岡山で末期を過ごしたサハ58にサロハはクハ47151として流電とともに飯田線に残った)広窓には横須賀線のサロを改造したサハ75やなぜか紛れ込んだサハ87を挟んで統一性も持たせている。
当時の編成はこうなっている
52002-48024-48021-52001
52005-75102-87001-52003
52004-48034-75100-54119
では紹介しよう
FH0300070002
これは狭窓編成になる。場所は東上ー野田城の田んぼだった気もするが・・52001になる

FH0300130003
上と同じ位置。2両目がサハ87だから52003と思われる

FH0300260004
これは今でも有名な撮影地だろう。鳥居の駅のすぐそばである。2両目にご注目。広窓のサハだから52004になる。ちなみにサハは「合いの子」のサハ

FH0300310005
2枚目の反対側になる。52005である

FH0200110001
最後はオマケ。「合いの子」のクモハ53008である。この008は張り上げ屋根を一般の屋根に改造されてしまったもの。007もいたがこれは張り上げのまま残った。伊那市のようだ

流電シリーズをもう少し続けるつもり。よかったらリクエストください。なるべく答えるようにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お茶バトル~勝ち組、負け組、悩み組

緑茶の原点 茶園の味 一(はじめ)

コカコーラのお茶、新製品である。コカコーラという会社はコカコーラやファンタこそ自社開発だが、他の製品は他社の先行を睨んで新商品を送り出し、シェアを拡大させるといういわゆる「ごっつぁんゴール」をよくやっている。

カルピスウォーターが当たれば「アンバサ」を
マウンテンデューが当たれば「モネ」を
十六茶が当たれば「爽健美茶」を しかし大概は外れてマーケットから消えていく。

コーヒーも長い間試行錯誤をしていた。しかし努力が実って「ジョージア」はトップブランドに登りつめた。ブラックの対応がこの会社は遅く「ZOTTO」という製品なども出していたが今では「ジョージア」ブランドで売れ筋だろう。

コカコーラ、ここの現在のウイークポイントは「お茶」だろう。というかここ数年の勝ち組ははっきりしている。
おーいお茶の伊藤園と生茶のキリンビバレッジ、アサヒの十六茶、そしてコカコーラの爽健美茶の4つだろう。
コカコーラはどうしても「緑茶」でシェアが欲しいのだろう。マーケットに参入してから商品を次々と変えてきている。
茶流彩彩からはじまり清流茶房、なごみ、まろ茶とブランドを入れ替えている。味はそれほど大きく変わったとも思えない。コカコーラの得意なところとして「特別ブランド」でヒット商品のテイストも入れるところ。サントリーの○茶が当たればすぐさま対応。十六茶には爽健美茶を出したらなんと独立ブランドまで成長した。最近流行りのカテキンには「まろ茶120」を出すなどさすがのマーケティング。

しかしビッグヒットには結びつかないようである。そこで5回目のブランド変更が行われたようだ。前回まろ茶のターゲットが「生茶」なら今回は「伊衛生江門

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.14

飯田線~旧型のあった風景2

たくさんのコメントをいただきありがとうございます。写真はまだまだありますので紹介します。

FH0000120001
伊那松島機関区でのヒトコマ。この形式はよく覚えていないが豊橋向きが制御車だと思うのでクハ68ではないだろうか? 窓配置が5枚だから原型の51系とは異なる41系からの改造車だろう。Hゴム化されていないのが特徴だ。窓の下にある71は運用番号。71は伊那松島所属のMc+Tcのこと。83運用まであったと記憶している。

FH0000130002
これが噂のクロハ改造クハ68、窓配置が中扉付近が不ぞろいなのがわかる。運転室方向が旧ロ。クロハ59からの改造車で401~5(奇数)のどれかだと思う。

FH0000280004
格好つけて仰角で撮影。中央にいるのがクハニ67、これは原型のクハニ67が全部クハユニになってしまったのでクハ55から改造したもの。飯田線と長野原線(吾妻線)にいたようだ。飯田線は全部で3両いた。900番台である。運用番号に90台がついていた

FH0000290005
飯田線では珍しい非貫通のクハ47、これは69と思われる。クハ47でも50番台以上はサハ48からの改造で便所の位置が異なった。非貫通は身延線に多く、飯田線ではこれと009がいた程度。しかし流電や「合いの子」の中間改造150番台が3両いた

FH0100270006
最後は豊橋にて、流電をそろそろ出しておかないと。横はクモハ43か53のどちらか。当時は出発前にサボを出した

次回は流電特集にします

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.03.13

ふぅんなばし ヘルス センタァ を思い出す

展覧会:懐かしのCMソングも 思い出の「ヘルスセンター」--船橋市役所 /千葉

楠トシエのCMソングで有名だった「船橋ヘルスセンター」の回顧展が船橋市役所で行われるようだ。ぜひとも行ってみたい。

船橋ヘルスセンター、実はあまり覚えていない。行った経験が一回程度だと思うからだ。多摩地区在住の私には船橋よりも秋川の「東京サマーランド」があったのでこちらに良く出かけた。
ヘルスセンター、なくなってもう何年も経つよなぁと思っていたら大間違い、まもなく消えて30年になる。(1977年に閉鎖されたようだ)

跡地はご存知の「ららぽーと」である。このららぽーとでさえ原型をだいぶ留めなくなっている。時代が本当に動いているのがわかる。

ヘルスセンターに話を戻そう。京成の駅「船橋競馬場」は以前「センター競馬場前」という駅だった。このセンターこそ「船橋ヘルスセンター」を指している。「8時だょ 全員集合」の収録場所としても有名で、何度かここでの収録の回を見たことがある。

blogのタイトル「ふぅなばしぃ ヘルスセンター」とこぶしの効いた声でCMソングが歌われていた。「船橋来たならちょっとおいで、チョチョンノパッ」とかいうフレーズだった。後年「アゴ&キンゾー」の持ちネタとなって再現した(巷では「小山ゆうえんち」の方が有名だが)、ちなみの元歌の歌手楠トシエは40代の人には懐かしいだろう。朝のお化け番組「お早うこどもショー」の初代司会者ビンちゃんのことである(もう一人はパラダイスキングのキューピーこと石川進、ど根性ガエルの主題歌「どっこい生きてる シャツのなかぁ」を歌った人)

風呂かプールくらいしか覚えていないのであるが、園内には豆汽車などもあったようだ。調べてみるとこんな事実もあったようだ

昔の娯楽施設と今の娯楽施設がちょうど移行していく過程をこの船橋ヘルスセンターはやっていた。TDLがあるのもこのヘルスセンター景気を忘れられない市民が起こしたのかもしれない。

風俗、歴史が好きな人は必見の展示会だろう
当時の詳しい資料はここ

| | コメント (3) | トラックバック (1)

飯田線~旧型のあった風景1

飯田線。JR東海に所属するローカル線である。今でこそ特急も走るが全体的にはひっそりとした路線ではあるが、ここは昭和50年代までは旧型国電の博物館としてマニアが大挙押しかけた路線だった。

関西急電出身、阪和線も走った流電のクモハ52を筆頭に、関西から関東へ移籍し横須賀線で本領発揮のクモハ43、関西緩行線の雄クモハ51、常磐線の荷物はお任せクハユニ56など1形式1形式が異なり追いかけるのには根気と資金が必要だった。中学3年、受験そっちのけで撮影に走ったあの頃の写真を少しずつではあるが紹介したい。

同時に飯田線に熱くなっていた頃を思い出せてくれた3人の鉄道仲間に感謝したい。
TOMOの鉄日誌
武蔵野線屋根上日記
鉄分の濃いツレヅレニッキ

FH0000010001
天竜峡駅である。形式はクモハ54だろうか? 半流のスタイルは飯田線では多いスタイルだ

FH0000040002
飯田線は平妻が面白かった。これはクモハ61、飯田線にしかいない形式だった。不思議なのは原型のクモハ40をパワーアップさせると61で41をパワーアップさせると60になったことである。おそらく片運転台のクモハ41を先にパワーアップさせたからこうなったんであろう

FH0000050003
同じく平妻、クハ68であるが、これはクロハの改造である。従って窓配置が原型車とは異なっている。側面写真も撮影しているので後日出す

FH0000220004
最後は名物のクハユニ56である。ノーシルノーヘッダーは常磐線で活躍したクハニ67の改造車、中でも001はシルヘッダーがあり、002以降はないのが特徴。記憶の範囲だがこの写真は004だと思う

今後も折を見ては出していく

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2005.03.12

滝沢を訪問した 池袋編

滝沢を訪問してみた。現時点で新宿本店と池袋、御茶ノ水である。まずはお膝元池袋から。

看板が見えてきた
takikanban

さっそく入ってみたが・・
blogの画像処理は面倒なのでここに詳しく書いてみた。新宿、御茶ノ水編もやる予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.10

名優ターフを去る

「馬がいたからこそ」岡部騎手が引退会見

最後の職人と言われた名ジョッキー 岡部幸雄騎手が引退した。私にとってこれで一時代が終わった。

私が競馬を知ったのは昭和45年、府中に引っ越したときだ。府中競馬場の横の小学校だったので競馬場関係者の子息がたくさん通っていた。金銭感覚やガラという点では一般の人とはちょっと違っていたという印象である。
それゆえ競馬はあまり好きではなく、自身馬券をはじめて買ったのは昭和59年ある。
#勝馬投票券は未成年、学生は購入できません! ご注意下さい。

当時のジョッキーというと大物が引退したかその寸前(加賀武見が残っていた)で上位騎手、関東は増沢、柴田人(こう書いたんだよねぇ)岡部で二番手に小島太や大崎、若手で的場 こんな陣営だった。「今度柴田の甥がデビューだってさ」 今の柴田善のことである。

周りは柴田人のファンが多かった。悲劇の人、一生懸命、浪花節 これらが似合うジョッキーだった。では岡部はというと「クール」「合理性」「情け容赦なし」と怖い存在だった。と同時に誰もが認めた。馬友曰く「岡部で負けたらしょうがない」 そう岡部で負けるということはそれがドラマだった。

ビゼンニシキという馬がいた。春先までは皇帝シンボリルドルフの好敵手でルドルフに外国馬以外で唯一「二番人気」を背負わせた馬である。私が競馬にはまったきっかけを作った馬である。このビゼンニシキに岡部は乗って勝ち続けた。但し「共同通信杯」までである。皐月賞を占う、クラシック最初の登竜門「弥生賞」では捨てられた。岡部はルドルフを選んだのであった。結果は誰もが知っているであろう。ルドルフが勝ち、ビゼンは2着に沈んだ。岡部は勝てる馬を選んだのである。

マティリアルという馬を思い出す。映画「優駿」のモデルになりかけた馬である。クラシックの断然候補と言われた。ゴール前の切れ味は今でもあの馬ほどすごいものは見ていない。が、勝ちきれないのであった。ダービーではメリーナイスに栄冠を奪われ、ただの馬に下がってしまった。

もうダメだ。と思ったときに岡部に当たった。人気は低くもう誰の目にも止まらなかったマティリアル(訳せば素材・素質ですな)、あの足を見せたのである。岡部があの足を思い出させたのである。が、足と引き換えに命を失ったのである。岡部は馬にドラマさえ起こせたのである。

岡部は日本初ともいえるフリーの騎手であった。柴田人が調教師(テキ)の全面信頼を受け、負ける馬とわかっていてもテキの指示で乗るのなら、岡部は勝てる馬を探して乗るのである。今、武豊が全く同じことをしているがこの先鞭は岡部である。
さりとて義理と人情が全くないかといえばそうではない。父のように慕った高橋厩舎の馬は自ら選んだ。厩舎雀では「巷ではクールといわれる岡部騎手、実は一番義理人情に厚いんだ」今日の記者会見を見る限りではきっとそうなんだろう。生粋の職人、寡黙にして語らず。クールな一面はここから出たのであろう。

記事にある
――目標、ライバルとした騎手は。

 「時代ごとに変わってきた。『武君には負けたくない』と思ってきた」

武豊を素直にライバルと認める、武以外はライバルとは認めないと私は見る。ルドルフを選んだ目は常に最高のものを1つだけ選ぶようである。

関西馬旋風が吹き始めた昭和62年頃。武豊が新人ながら破竹の勢いで勝ち続けていた頃、関東人の心のよりどころは岡部だった。期待は裏切らなかった。

今日、岡部はターフを去った。調教師さえならずに静かに去った。彼の口癖のようでもある
「Take It Easy」 さらば名優。さらば最後の職人。そしてさらば私の競馬熱中時代。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.07

新レアもの見参! 房州育ちの113

しかしココログの画像添付はめんどくさくなったもんだ!(怒)

先の改正で残念ながら消えてしまったJR東海の東日本乗り入れ車両「T編成」、シートの白カバーや静岡の中吊り広告、小さなシルバーシートマークなど見所満載だった。今頃は車庫のある静岡地区で元気に頑張っていることだろう。

SN250738
通勤快速に入った当時のT編成

しかし去るものがあれば次に注目されるものも出てくる。今度の獲物は113-1000だ。

これは総武快速線ができたときに地下乗り入れと当時のATC(現在はATS-Pに変更)を搭載された113ではちょっと異端児のもの。ユニット窓を採用した113もこれだった。一番の特徴はタイフォン(汽笛)がヘッドライト横ではなく下についているのだ。

duo_045
これを見れば一目でわかる。左が基本仕様。右が1000番台

これは総武快速(総武ー横須賀)線にE217が投入され、用途のなくなった113が東海道に移籍し、当時所属していた年式の古い113を追い出したのだ。東海道線は前述の東海との乗り入れ関係やまだE231の製作などが決定していなかった関係で新車投入がなく、総武からの移籍を受けたのだ。

同じくサロもやってきた。これも上記理由である。これは塗り分け線が基本と違う。

duo_048

車内のリニューアルも若干異なっている。

duo_047
duo_046
左 基本仕様 右 1000番台

まもなく消え行く113であるが、今でも調べると結構面白い。E231でも様々な仕様変更が起きてくれれば飽きが来ないのだが、何もマニア向けに車両を作っているわけでもないから偶然に任せることとしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »