飯田線~旧型のあった風景3
名古屋に行ってきました。本当に20年以上ぶりに豊橋に降り立ちました。飯田線ホームをしばし眺め感慨にふけりました。さて今回は珍車を少し紹介しましょう。
クハニ67の900番台、クハニに関しては前述のとおりである。見たとおりのクハ55の前ドアを荷物用に代えただけにも見える。この車は前面の貫通路に青を塗らない塗り分けだが、塗りつぶした車もいた
クハ47011、これぞ珍品中の珍品。17m事故車を20m改造してクハとしたもの。この1両しかいない。顔つきは後年の63に酷似している。63顔の2ドア車だったが、飯田線では没個性の顔つきだった故、そんなに人気はなかった。第一次廃車候補から外れていたので殆どの人がノーマークだったが、突如廃車候補になってしまい80系と入れ替わりで消えてしまった
同じくクハ47だがこれは009と思われる。飯田線のクハ47は元クハ58の100番台が比較的多かった。非貫通は身延線に行ったものや、後にクハ79に改造されたもの、新潟でクハ68に改造されたものなどがあり、非貫通そのものも少数だったようだ。しかしながら飯田線はサロハ改造のクハが3両もいた。後ほど紹介する
これはおまけ画像。大糸線に行った「合いの子」43系。大糸線も20枚程度あるのでいずれ紹介する
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コメント
>非貫通は身延線に行ったものや、後にクハ79に改造されたもの、新潟でクハ68に改造されたものなどがあり、
32系クハ47のことだと思いますが、もともと32系の横須賀線転出の際にモハ32の低屋根改造と共にかなりの両数が身延線に入っています。クハ79への改造は「後に」ではなくて、戦時中のことです。(改造当初はクハ85を名乗っていたが、戦後80系に譲ってクハ79編入)
新潟でモハ70とともに活躍したクハ68200、210番台の3両は、新潟転入前の横須賀線時代に3扉化されています。
投稿: クハ68092 | 2009.07.28 12:17