飯田線~旧型のあった風景2
たくさんのコメントをいただきありがとうございます。写真はまだまだありますので紹介します。
伊那松島機関区でのヒトコマ。この形式はよく覚えていないが豊橋向きが制御車だと思うのでクハ68ではないだろうか? 窓配置が5枚だから原型の51系とは異なる41系からの改造車だろう。Hゴム化されていないのが特徴だ。窓の下にある71は運用番号。71は伊那松島所属のMc+Tcのこと。83運用まであったと記憶している。
これが噂のクロハ改造クハ68、窓配置が中扉付近が不ぞろいなのがわかる。運転室方向が旧ロ。クロハ59からの改造車で401~5(奇数)のどれかだと思う。
格好つけて仰角で撮影。中央にいるのがクハニ67、これは原型のクハニ67が全部クハユニになってしまったのでクハ55から改造したもの。飯田線と長野原線(吾妻線)にいたようだ。飯田線は全部で3両いた。900番台である。運用番号に90台がついていた
飯田線では珍しい非貫通のクハ47、これは69と思われる。クハ47でも50番台以上はサハ48からの改造で便所の位置が異なった。非貫通は身延線に多く、飯田線ではこれと009がいた程度。しかし流電や「合いの子」の中間改造150番台が3両いた
最後は豊橋にて、流電をそろそろ出しておかないと。横はクモハ43か53のどちらか。当時は出発前にサボを出した。
次回は流電特集にします
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コメント
伊那松島機関区、今は車両配置もなく、伊那松島運輸区となって留置線として使われていますが、運輸区の裏側にホテル(プリンスホテルと言うらしい)が建てられたぐらいで、殆ど当時の姿を留めています。運輸区内には、民営化当時にクモヤ22を改造したクモハ12041が役目を終えた今でも留置されています。私も昨年の9月に伊那松島を訪ねましたので、その時の模様をトラックバックを送信させてもらいました。
投稿: TOMO | 2005.03.14 21:24