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2004.11.29

そのとき君は赤かった

能書きばかりが多い私のblog、たまには能書きなしの画像で楽しんでください。昭和56年頃に撮影した名鉄の写真です。

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これらを見ると、昔は種別板に色があったようです。急行が黄色、準急が黄色/白、高速は緑のようです。高速っていうのを覚えている人は古いファンですね。
高速は特急が当時は全車指定だったので、全車自由席の特急のことだったんです。車両も何でも来いで6000の高速の画像は下です。
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駅は知立で古い駅名標が懐かしいですね。おそらく昭和52年頃だと思います。名鉄名物の電光式行先表示機も健在です。アップは
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見にくいですね。今でも現役なのはここにあります。

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2004.11.28

流転人生

羽田空港の第二ビルができるということで、変化前のモノレール羽田空港駅を記録に撮っておこうと思い、出かけた。
そこで出会ったのが下の車両である
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これは元々「住宅都市整備公団」2000系として落成した。住宅都市整備公団、なんとも長ったらしい名前であるが、北総ニュータウンのアクセスを担うためにできた鉄道だ。経緯をたどれば色々なことがあったようだ。まず北総開発鉄道(現北総鉄道)は小室までの免許しかなかった。また住都公団は県営北千葉線(都営新宿線の本八幡から延長して小室に至る)を受けて北総ニュータウンのアクセスをする予定だった。そのため当初は小室で運賃が変わったそうだ。しかしその後北千葉線計画が凍結(現在は廃止らしい)し、北総線の延長線になった。普通ならここで北総が全部やれば良いのに、なぜか公団が1種(車両も持つ)という選択をした。そのため出来上がったのが2000系だ。しかしそんな不自然を住民が無視するわけがなく、その後公団と北総の運賃通算、車両一元管理が行われた。

北総2000は京急と乗り入れがはじまると番号を変えた。2000は京急線内にいるのでダブると良くないという配慮だ。そこで9000系と番号を変えた。流転の第一歩である。

時は過ぎ、不景気、構造改革が巷を襲った。公団も例外ではなく無秩序な開発が槍玉に上がり分譲やその他事業からの撤退を余儀なくされた。そこで公団線の名は「都市基盤整備公団」となった UDRとか言うようだ。ロゴが変わった。
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前にあった「回」のようなマークは外された

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少し苦しい画像だが「UDR」のロゴが見える

しかしこれで済まなかった。この都市基盤整備公団が独立行政法人化し「都市機構」となった。と同時に鉄道を辞めると言い出したのだ。廃線などはできっこなく受け皿は「千葉ニュータウン鉄道株式会社」(従業員4人)という京成の子会社になり、運転その他の営業は同じく京成グループ(子会社)の北総鉄道へと移管された。折角ついたUDRを捨て今度は「北総鉄道」のロゴがやってきた。


車番こそ変わったが、同じ路線を行ったり来たり、松戸に入ったこともあったが、快速特急の幕を出して羽田空港まで乗り入れる出世をした2000系、しかし親会社のすったもんだで3度もロゴを変えるという経験をしている。運転台もボロくなってきている。そろそろ置き換えの時期だが、ダントツ利益の低い北総にそんな金はない。ここしばらくは活躍していくだろう。
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そして北総のもう一つの流転人生が7150だ。これは京急の1000の色を塗り替えたという代物で、京急と乗り入れを始めたときに持ち駒(北総の7000と上記2000しかなかった)が足らず京急から買ったのだ。銀色というものすごい色になってニュータウンと川崎の間を走った。しかし末期は4連になって新鎌ヶ谷の折り返し運転を担当した。この京急1000は京成にリースで出されたものあり、返却後はさらに千葉急行に再リースという事業体を3つも変わったという経歴を持つものもいた。
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末期の頃、新鎌ヶ谷にて

北総9000(公団2000)が親会社が変わってもずっと頑張った東尾なら、京急1000の仲間は売られ買われての江夏豊、浅草線関連はこういうところでもドラマがある。

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さくら・はやぶさ もう一つの視点

東京ー九州のブルートレイン、「さくら」が3月一杯で廃止になるというニュースがyahooに載っており、鉄道系blogにも多数紹介されている。
Kaz-Tさん
mattohさん

私の場合、寝台列車は事情があって乗れないのだ(寝ている間にものすごいいびきをかくので周囲に迷惑がかかってしまうため)したがって今まで寝台の名の付く列車には乗ったことがない。

そういえばこういうシーンを数度経験している。最初は東京ー九州 寝台急行廃止の頃だ。もう何十年も前の話である。高千穂・桜島という急行が健在で、それがなくなるという話だった。私は東京駅で見たような見なかったような思い出しかない。次は東北急行だ。これは最近のことだろう。急行十和田に八甲田がなくなるというものである。20系、14系だっただろうか。最後の方は覚えていないが、やはり10系寝台車をよく覚えている。尾久で仕事を終えたオハネ12などがシーツを取り替えられていた。そして今回の特急の廃止である。

廃止も止む無いだろう。前に書いたblogにもあるように4社またがって走ってくるわけである。各社の取り分はさして多くない。ましてや東海などは通過しかしてもらえず運賃の取りようがないし、保線の邪魔にもなる。もしこれが東と西の2社のみで残ったとしたらまだ可能性はあったかもしれない。しかし上野発、上越線ー信越線ー北陸線ー東海道線ー山陽線経由で走るというのも現実的ではない。このところこの列車が走り出す時間に東京駅にいる機会があるが、空の号車もあるように見える。

このさくら・はやぶさは車両的に見るとなかなかレアな編成である。まず14系、24系と異系列の併結である。おまけに所属が異なる。
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熊本運転所所属ははやぶさの24系
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長崎運転所所属はさくらの14系
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連結されている

そもそも途中分割をする列車は電源確保のため14系と決まっていた(自車発電ができるため)しかしこれは電源車付きと自車発電という2種類の混結で対応している。昔なら考えられなかった。

車掌はJR九州の人が遠征で来ている。遠方からのお仕事は大変だと思う。
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それでも看板列車だし、残そうと思えば残せるし(事実 富士とはやぶさは残る)深夜の九州移動はもう夜行バスくらいしか残っていないので全廃はないとは思う。代替の車両がいないのだろう。別の項で書くが北斗星もJR後誕生とはいえもう15年以上走っているので車両がいつのまにか置き換わっている(同じ24系だからわかりにくい)、新造しようにもどの会社が持つか、また持ったところで使い道はあるかなどを検討した結果だろう。

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2004.11.14

2つのさよなら ~名車に送る鎮魂歌

京王で奇しくも今日2つのさよならがあった。

京王線の名車5000と井の頭線の未更新車3014である。2つの車に送るレクイエム

何を思っているだろう。星空を安堵の気持ちでながめているのだろうか。
日本がまだ成長を確信していたとき、貴殿らは生まれた。沿線の空は高く、人々は忙しかった。ファンは優しく、友は多かった。
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調布にて
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笹塚にて

時は貴殿らの活躍を暖かく見、そして冷たく世代の交代を用意した。昭和という年号と別れ平成という年号がはじまった時、貴殿らの「引退」という現実がそこにはやってきた。

5000よ、貴殿は車体の短さから一足先に後輩へと道を譲り、自らは裏方へと移動した。友は売られ、壊され一人ぼっちとなってしまった。
3000よ、貴殿はその優雅さが幸いして化粧直しをした後輩がもうしばらく沿線に残ることになった。貴殿は引退の選択をさせられたようだ。

今日、貴殿らの長い長い車籍が終わり、京王の車両としての運命は尽きた。最後までファンに追われ、愛された貴殿らはある意味幸せだったかもしれない。

さらば盟友よ。仲間は地方で頑張っていると聞く。安心して旅立ってほしい。

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若葉台で行われたデワの引退式。久しぶりに急行のサボをつけた
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明大前にて

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紅白電車 参上

京王に新しい車両が登場した。といっても改造車ではあるが、デワ600である。
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6000系を改造した電動貨車になる。塗り分けがものすごい。

おのおのの先頭車を見てみる
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デワ631

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デワ601

この車両、もとを正せば6007Fであった。先ごろ9000系の最新編成が入線したので入れ替わりに廃車となった。
京王の最近の傾向からすると9000が入ると代わりに6000が廃車となるという流れだが、今までは6030(地下乗り入れ車)が廃車となった。しかし今回は地上車の7Fが廃車となった。

この6007Fというのは数奇な運命である。大元は6000系6連の7番目として落成した。私ももちろん乗っている。その後京王が8連化を進めることになり、直前の6Fまでが編成を分断されて3+5となり分割特急になった。一方7Fから9Fまでの仲間は地下鉄乗り入れの種車となった。この段階で6000系は以下のようになった。

1~6 5+3の分割
7~9 6030
10~12 8連

しかしこの後なぜか変な編成が落成した。13Fである。京王は当初分割クーラーを先頭車、集中クーラーを中間車にという製作方針だったがこの13Fは分割編成で全部集中という変わり者だった。と同時に「最初から分割として落成した唯一の編成」であった。

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13時代のクハ デワではこの車両は改造されて運転台部分しか残っていない

この13が後に7と改番をされたのだ。大元の7は31と改番されて2年前に廃車となってしまった。

そして今回2回目の改番である。事業用車として生き残った13F、これと入れ替わるように5000系のデワが用途廃止で車籍を終える。今日がその最後の晴れ舞台である。

画像提供:ちはちょる氏

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2004.11.13

JRは私鉄です2 JR同志でも精算運転はある

良い画像がみつかりませんので、再掲もしくは画像なしで一旦書きます。

JRに分割して路線も分割されたところがある。東海道線などはまさにそれで熱海から切られた。中央線は東線と西線に別れて経営母体が変わった。

最初の頃は全く興味がなかったのだが、ここ近年気になっているので積極的に調べている。が、JRは深すぎで調べきれないのである。

まずは典型例から
1) 国鉄ー私鉄の場合
旧来からの形態である。これは簡単である
・相互型・・・中央線とメトロ東西線などが典型で、これは私鉄同士と変わらない
・片乗り入れ型・・これも区別すると
  ・一部片乗り入れ
  ・全部片乗り入れ
となる。一部だと伊豆急行が該当する。これは特急がJR、普通は相互である。国鉄時代は特急が片乗り入れ、JRとなり「モントレー踊り子」ができたので相互乗り入れとなった。伊豆急は「線路を貸す」というイメージもあるため詳細は不明。ただ普通に関しては乗り入れ距離で精算しているようだ。
余談だが、伊豆急がグリーンを止めたので東のグリーン付きは入れなくなった。そうしたら東海のT編成を2本つけて線内折り返しに当てた。なんだこりゃ?(今は止めている)

全部片乗り入れだと富士急行や昔の富山地鉄がある。富士急は自社の急行気動車が入っていた頃もあったがその後はJR車のみ、精算内容はわからない(線路を貸しているのか、車両を借りているのか)富山地鉄は特急雷鳥が入ったり、高山線からの気動車(なんと名鉄車)が来たが今は廃止になっている。廃止理由が「車両代金が払えない」とのこと。ここは車両を借りていたんだな。

2)JR同士もしくはJRと他社
典型例だから簡単な例から
・新幹線
これは西と東海で相互に車両を持って使うこと。ただ近年は西が独立っぽいことをやっているので距離精算の趣もある。
・第3セクター特急
ほくほく線や智頭急行などが該当するがこれも車両を相互保有一元管理、運用でぐるっと回って精算完了。
・瀬戸大橋線
これは興味深い。異社併結である。距離で按分でもしたのだろうか。5両を3と2に分けておのおのを所有してつなげて走っている。これは走りながらのその場精算。
・相互保有
北斗星が該当する。これは東と北でそれぞれ車両を持って複数本出る号数で按分

3)複雑怪奇
さて本論はこれ。ここの分野がよくわからない。強いて言うなら「精算部分をプールして後から精算」とでも言うのだろうか?
・九州ブルトレ
これは九州の車両が東まで延々3社をまたいでやってくる。全部の確認をしていないが西も車があるのだろうか(東海はないはず)精算はどうしているのだろうか。考えられるものとして対西にはあかつきなどの大阪発ブルトレで精算、東海は何か別のもので精算?
・東と東海
これも複雑。まずは東海道線だがこれは瀬戸大橋のように異社併結で対応。T編成があるのはこの理由。次に373の乗り入れがあるが、この精算は踊り子の熱海ー三島なのであろうか? また383がしなのとして塩尻ー長野に乗り入れる。サンライズも入ってくる。いずれも東の精算車両は存在しない。これがブルトレで精算されるのであろうか? 普通は他に飯田線からの辰野ー岡谷(茅野)と中央線の塩尻ー松本(長野)や快速みすずがある。このあたりは相互で精算しているように思える。
・西と東海
これも複雑。高山線は猪谷で切っているようだ。よってここはかなり楽。しかし特急ひだの清算がある。これはしらさぎで精算しているのだろうか? また特急南紀も新宮より先西区間に入っているのでこれで精算か?
普通の東海道線部分は大垣周辺の部分精算なので東ー東海よりは楽そうだ。
・東と西
直接接点が北陸線でかつ交流がからむので接点である直江津で完全分断である。大糸線も南小谷で電化が終わるので精算はない。が、特急がある。これはほくほく関連なので上記の通りだが距離が余るのだろうか?(西の直江津ー富山(金沢)から見れば東区間の越後湯沢ー六日町、犀潟ー直江津はあまりに短かすぎる)そこで急行能登が出てきて精算、加えてこの車両が夜の東のライナーに使われるのが面白い。トワイライトエキスプレスは西の片乗り入れ。

まだまだ出そうだが一旦筆を置く

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2004.11.07

JRは私鉄です1 支社での違い

JRと書かれるように旧国鉄のJR(**旅客鉄道)は一般の私鉄とは扱いが違っている。確かに平成元年あたりはまだまだアイデアが単発で長期的展望も見えず「公務員が無理しちゃって」という感じではあったが、最近は私鉄のリーダーとしての風格さえ感じるようになった。
そんなところをマニアックに調べてみよう。

まずはおさらい。国鉄は日本で統一となってはいたが実際は「鉄道管理局」という地域別支社のような区分けがなされていた。JR-Eならば大きなものは東京鉄道管理局、あまりにでかすぎるので西、北、南と3分割をしたほどだ。他には水戸や長野、仙台、盛岡、秋田などがあった。また配属も原則は車庫のある位置であったので山手線などは2つに別れた。品川所属は「南シナ」 池袋所属は「北イケ」であった。京浜東北も面白く南浦和は「北ウラ」 東十条(下十条)は「北モセ」 蒲田は「南カマ」と記載が3つもあった。

JRになると管理局制度はなくなり当初は「支社」と「支店」という取ってつけたような名称になった。しかし支店っていうのもねぇ・・ 東京の3つも統一されて東となった。このあたりで会社間の感覚がずれてきて東海は本社系列が海、唯一の支社静岡が静だが当初は海だった。国鉄時代は静なので先祖がえりになった。また亀山などは元々は大阪の天王寺鉄道管理局だったのでここは悲劇の分断をされてしまったのである。

さて、時代が少し流れてJR東も地域密着をセールスポイントにしはじめた。と同時に鉄道管理局時代には考えられない支社分割が行われたのである。八王子、横浜、大宮の支社分割だ。

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大宮支社 小山電車区の車両(E231)
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横浜支社 国府津電車区の車両(113)

さてあることに気が付いた。それは「弱冷房車のステッカー位置」である。もともと本社には編入されなかった水戸支社は以下のようだ。

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水戸支社 勝田電車区の車両(415)
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弱冷はドア横のステッカー

ところが他の支社や本社はこう
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高崎支社 高崎電車区の211
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ちょっと形は違うけど本社のエリート電車区 田町電車区の211

とドア上である。千葉支社も水戸に倣っているようだ。こう見てみると「ある程度仕様は支社に任せる」というスタイルを取り始めたのではないだろうか。国府津や小山はもともとが本社管轄、が、水戸や千葉は最初から支社ということで独自の文化があったのかもしれない。仙台のほうに行くと駅名標も変わっている。そのあたりも機会があれば紹介したい。
次回は「JRとで他社との精算運転はある」というお題で書いてみる。

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2004.11.04

秋の珍事 精算運転

乗り入れ運転をやっているとどうしても定期的に発生してしまうことがある。これが精算運転だ。
精算運転とは乗り入れの距離のズレを車両で弁償することである。相互乗り入れというのは乗り入れ両者で損得ナシで収まるように計画される。だから直通電車の本数が不均衡だったり、線内折り返しと称する「自社に帰れない運用」も存在する。しかしそこまでやっても期間がくれば微差が微差でなくなることもおきる。そこでこの差を自社の電車で精算のために走ることを精算運用という。運行番号に他社の記号をつけることで見た目がすぐわかる。

京急は面白かった。都営の乗り入れは川崎もしくは新逗子であったのだが、京急側は押上まで、距離に不均衡が起きた。そこで泉岳寺ー西馬込という全く関係ない区間の機織り運用をさせられたりしたが、THという運行番号まで作り都営車の精算運転を日常に行っていたという例があった(現在はなくなっている)このTHは急行が多く、600系の急行高砂などはだいたいTH運用だった。

さて、今日有楽町線で極めて珍しい精算運用が入った。東武とメトロの精算運用である。森林公園行きという東武限定の行先にメトロ車が入るわけである。それこそ精算が起きたときだけの限定の行先(事故などで入ることもあるが)なので撮影が極めて困難である。まずは証拠写真を

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13Tと書かれているのに注目

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側面のLED

そしてこれが07系だったからさらに珍しさに拍車が掛かったのである。噂では東西線に行くとか言うことも言われる07、もうこういう機会はないかもしれない。

自動放送や車内LEDはどうなっているのかと体験乗車をしたがごく普通の電車だった。

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森林公園行きと表示された

昔の有楽町線といえば3月に必ず発生した西武の精算運転、これは乗り入れが小竹向原ー練馬しかなく、小竹向原ー新木場の距離とあまりに違いすぎた。西武は2運用程度と抑え目ではあったがこれではやはり精算し切れなかったのだろう。51S、71Sが終日西武運用だったのでよく51Sとつけて西武車を見たものだ。

この情報を仕入れたのがなんと2ちゃんねる。いろいろ言われるところではあるが、使い方を間違わなければこんな珍列車も見事仕留められるのである。

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2004.11.01

停車位置

東武東上線でかつての塗色が復活したと聞く。それを見に和光市に出かけた際に見かけたもの。

始発はこちら

直通はこちら

ホームの並ぶ位置が異なっている

混雑する始発駅、たとえば丸ノ内線の池袋などは「今度」「次」「その次」と並ぶ位置こそ違うが、停車位置は同一。一列乗車したら、そっくり列が移動するという仕組み。ところが和光市は始発と直通で止まる位置を微妙に変えているのだ。これは便利である。

昔は編成長がバラバラだったので停車位置が異なるというのはしょっちゅうあったのだが、今は割合と停車位置が固定されている場合が多い。京急などは4連から12連まであるので停車位置は未だに違っていて慌ててドアの方向へ走るなどということもあるが、おおむね固定。ただしJRは別で、湘南新宿ラインなどは10連と15連が込み込みで入っているため新宿などでは結構困ったりする。


しかしこの手の圧巻。いや必要に応じてあえて位置を変えているのが名古屋の雄 名鉄だ。ここの新名古屋(まもなく名鉄名古屋と改称されるようだが)は行先に応じて停車位置を変えてくるという芸当をしてくる。行先と種別という2つのパラメーターで変幻自在に位置を変えている。これはホームが長いわりに編成が短いという独特の地域制も絡んでいるようだ。

新名古屋は豊橋方に本線・豊川線、西尾・三河海線、知多半島線(常滑線・河和線)を擁し、岐阜方に本線、犬山線、津島・尾西線と支線を持ち、おのおのに直通が入っていくわけだからこれをさばくのは一苦労だろう。特急こそ中ホームを使えるが他の優等は全部同一ホーム。次回改正では快速特急に、快速急行も走ると摩訶不思議にもさらなる拍車が。関東在住でもこの私鉄だけは見逃せないというファンが多いのもうなづける。

停車位置の微妙な違いを見つけて名鉄を思い出したのだが、肝心の旧塗装には振られてしまった。

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