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2004.09.11

日本一長い旧国の形式

クハ、クモハ、サハシ 国鉄、JRの形式はカタカナでその車両のプロパティを表す。貨車はもう鬼籍に入ったレム、ポム、テム、スムなどがかつてはあり、私はそのすべてをこの目で見たことがある。

現在このカタカナの一番多くの文字を使っているのがおそらくキサロハかオクテハだと思うが、旧型国電末期の飯田線に何の因果か、最後の舞台かクモハユニという日本一長い形式が在籍した。

クモハユニ64、この車はクモハ40系列に属し、ロングシートで郵便荷物合造車として落成した。兄弟も2台いた。が、折りしも戦争中、モーターを積んでもらえない兄弟がおりクモハユニの形式はあわれクハユニと変え飯田線にやってきた。
このクハユニ56が曲者で、常磐線にいたクハニ67に郵便部分をつけた形式が同じくクハユニ56を名乗った。こちらは1からはじまる。一方モーターを積んでもらえなかったクモハユニはクハユニ56の10番台として同じく飯田線に所属していた。

唯一モーターを積んでもらった幸運のクモハユニは兄弟とは離れ大糸線に配属となった。が、同線では利用価値がなく牽引車代用として働いたと聞く。その後岡山に移籍しても同様に牽引車、両運転台に改造もされた。旧型国電末期、飯田線はたくさんのファンが訪れ、クハユニはその珍しい形式ゆえ追いかけられた。

クモハユニはそんな喧騒とは別にひっそりと岡山で余生を過ごしていた。昭和53年だろうか、名物クモハ52、流線型電車が廃車になったのと入れ替えに岡山からクモハユニはやってきた。旅客車として堂々の復活だ。それは長い間離れ離れになった兄弟との久しぶりの対面でもあった。

追いかけられた。クモハユニは今までにない勢いで追いかけられた。それはその数奇な運命も手伝ってファンの共感を呼び、追いかけられまくった。彼にとっては最高の数年だっただろう。

そして119系に道を譲りその生涯を遂げた。岡山にいたらきっと不完全燃焼だった車生も飯田線の数年で完全燃焼をしただろう。

もうこんな長い形式が出てくる機会はないだろう。日本一長い旧国の形式は思い出としてファンの心に残ったのである。私の心残りはそんな彼の現役を見ないで終わってしまったことだ。

茶色時代のクモハユニ

転属当初は茶色だった。スカ色が標準の飯田線では異色

スカ色になったクモハユニ

その後スカ色へと塗り替えられた

写真協力:鈴木晴美氏

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コメント

今日、昼休みに、旧型国電IIとかいう本をたまたま読んでいて、クモハユニでてきました。奇遇ですね。僕も旧型国電はあまり乗ったことがなく(物心ついた頃すでに中央線は101系でした)、たまに横浜線の73系、青梅線、に乗るぐらいでした。流電は小学生の頃乗りに行きたかったのですが、親に遠すぎる、と止められました。

それと、釧路のオクテハ、「テ」が復活するなんて思いもよりませんでした。

Primera

投稿: primera | 2004.09.11 00:44

コメントいつもありがとうございます。私は小学校6年の頃から旧型国電ファンでしたのである程度は乗ったり撮ったりはできました。南武、青梅、横浜、鶴見、中央東などはよく覚えています。
訂正があります。クモハユニは64だけではなく身延の44がいました。こちらは横須賀線の先頭に立って走ったという元韋駄天ランナーでしたね。

投稿: SATO | 2004.09.11 09:08

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